07 手の中に
翌日のアルバイト自体はいつも通りこなせました。もう作業が身体に染み付いていたのです。余計なことを考えず、ただただ身体を動かしました。
終わって夕方頃、僕は梓さんとラーメン屋に行きました。
「瞬くんはここのラーメン、食べたことある?」
「いえ、無いです」
「美味しいよー? やっぱり豚骨が最高だよね」
そんな会話をしながら、カウンター席しか無い小さな店に入りました。確かに、美味しかったです。梓さんとはチャーシュー丼も分け合って食べました。
「なんか瞬くん、元気ない?」
「大丈夫ですよ」
「お姉さん、気になるなぁ。喫茶店行こうか」
そこは、兄と初めて来た喫茶店でした。喫煙のできる店が、辺りにそうあるわけでも無かったんです。梓さんはタバコに火をつけ、僕の顔を覗き込みました。
「何かあったんでしょ」
僕は梓さんから目を逸らしました。彼女には何もかも見透かされてしまうかもしれない。そんな思いがあったんです。
「親とか友達とかに言えないこと?」
ゆっくりと僕は頷きました。
「じゃあ、なおさらこのあたしに言うっていうのはどう? バイト先の先輩、って絶妙な距離だとは思わない?」
確かにそうです。しかし、僕には梓さんへの恋心があります。あんなことがあってもなお、揺るぎないものでした。だからこそ、言うわけにはいかない。
「済みません、梓さん。誰にも言いたくないんです」
「そっかぁ。じゃあ、坂口さんに言うのは? あの人なら何でも相談できそうだし」
「そうですね……」
梓さんの口から兄の名が出るだけで、僕は震えてしまいそうでした。なので、強引に話題を変えました。
「梓さんこそ、僕にしか言えないこととか、無いんですか?」
うーんと梓さんは小首を傾げ、タバコの煙を吐いた後、こんな話をしてくれました。
梓さんには、一つ年上の姉がいるそうです。とても優秀な人で、勉強も運動もよくできたと。そんな姉と比べられ、今まで生きてきたと彼女は語りました。
「だから、姉のこと嫌いなの。早く一人暮らししたくて、今の大学選んだんだ」
「僕もそうです。親に不満があったわけじゃないんですけど、早く家を出たくて」
「そっかぁ。ねえ、またお姉さんの家に来てよ」
僕は驚いて拳を握りました。食事の次は、家に誘われるだなんて、思ってもみなかったのです。
「そうですね、いつか」
そんな返答をしました。梓さんは楽しそうに笑いながら、コーヒーに口をつけていました。そして、話は僕のことに戻ってしまいました。
「瞬くんの悩み、言えるようになったら、お姉さんが全部受け止めてあげる。そのくらいの余裕はあるよ」
「ありがとうございます。でも今は、どうしても言えないんです」
今、どころか、永遠に言うことなんてできるはずがありません。そのとき、僕のスマホが振動しました。
『今からうち来て』
兄からでした。僕はうっかり既読をつけてしまいました。拒否するなんてできません。僕は梓さんに嘘をつくことにしました。
「あの、済みません梓さん。親から電話しろって連絡がきまして……」
「ああ、もうこんな時間かぁ。いいよ、解散しよっか」
僕は梓さんと別れた後、真っ直ぐに兄の家に行きました。インターホンを鳴らすと、彼は笑顔で出迎えてくれました。
そして、リビングに通されました。ダイニングテーブルの上には、開かれたノートパソコンがありました。
「これ、よく撮れてるだろ?」
それは、一昨日の情事でした。僕は目を背けようとしましたが、頭を掴まれ画面に戻されました。僕の喘ぎ声も全て入っていました。
「お願いです。消してください」
「だーめ。それより、今日梓ちゃんと一緒に居たろ? ずっと見てたよ。まあ、そんなことしなくても、位置情報見ればわかるんだけどな」
どうやら僕が眠っている間に、GPSの共有アプリを僕のスマホに入れていたようでした。僕はろくにアプリを管理していなかったので気付きませんでした。
「削除しようだなんて考えるなよ? そしたらこの動画、ネットに流すから」
もう既に、僕の日常さえ兄の手の中にある。それがわかった瞬間、僕は崩れ落ちそうになりました。兄は続けました。
「俺とのこと、梓ちゃんには言ってないよな。言えるわけないよな。だって好きなんだもんな。おい、答えろよ瞬。好きなんだろ?」
「はい……好きです……」
けっけっと気味の悪い笑い方をして、兄は僕にキスをしました。舌を入れられ、ねっとりと長く。
「あの梓ちゃんがこのことを知ったらどうなるんだろうな? 大丈夫、黙っててやるよ。今のところはな」
そして、寝室へ行き、無理矢理組みしだかれました。兄の言う通りに僕は動きました。また、脅しの材料が増えてしまう。それに気付いてはいましたが、もうどうにもできませんでした。
僕は一生、兄に縛られ続けなければいけないのか。それを思うとまた、涙が出てきました。
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