06 もう遅い
全てが終わってしまってから、ベッドの上で僕は嗚咽を漏らしていました。実の兄と交わってしまったのです。吐きそうになりましたが、すんでのところで抑えました。
「いつまでも泣くなよ。もう遅いんだぞ?」
兄は笑いながら、後処理をして、服を着はじめました。僕の服はというと、よく見ると床の上に丁寧にたたまれていました。とりあえず僕も服を着ました。
「言っとくけど、全部撮影してたから」
「えっ……?」
兄は壁を指しました。上の方に、カメラが取り付けてありました。ベッドの様子がよくわかる位置でした。
僕はどうか消してくれと頼みましたが、兄は笑うだけでした。そして、撮影されていたということは、すなわちこれからも彼からは逃げられないということも、さすがにわかりました。
「お願いです、兄さん。今日限りにしてください。もう、こんなの耐えられません」
「嫌だね。もう瞬は俺のものなんだよ。一生、離すつもりないから」
せめて今日は帰らせてほしいとも頼みましたが、無駄でした。兄はリビングから白い錠剤と水のペットボトルを持ってきて、僕に飲めと促しました。
「これ、コーヒーに混ぜるの大変だったよ。まあ、ただの睡眠薬だ。今日はここで寝ろ」
抵抗したらまたはたかれる。そう思いました。大人しく指示に従いました。僕はベッドに横たわりました。兄は寝室を出ていきました。
眠気はすぐには襲ってきませんでした。僕は天井を見上げ、さっきの行為のことを思い返しました。また、涙があふれてきました。
兄の言った通り、もう遅いのです。僕たちは兄弟で関わりを持ちました。その事実を上手く飲み込む必要がありました。
何しろ、これからのことがありました。兄は「坂口さん」としてアルバイトの同期をしながら、僕に接するつもりなのでしょう。僕もそうするしかありませんでした。
僕の頭に浮かんだのは、梓さんのことでした。仮に彼女に知られたら一体どうなることでしょう。それを考えるだけでも寒気がしました。
とにかく今は休むしかないと思いました。僕は目を瞑り、なるべく他のことを考え始めました。それは、構想しているSFの物語のことでした。
翌朝目覚めると、兄がタバコを吸いながら僕を見ていました。
「おはよ。もう昼だ。何か食うか?」
僕は頷きました。こんな状況ではありましたが、お腹はすいていました。リビングに行き、兄が焼きそばを作るのを、ダイニングテーブルについて待っていました。
「どうだ、瞬。美味しい?」
「美味しい、です」
そのときの僕には味なんてわかりませんでした。次に兄の口から何が飛び出すのか、想像してびくびくしていました。
「昨日は瞬のことを抱き締めて寝たよ。俺、一人が長かったからさ。幸せだった」
「……そうですか」
聞きたいことが山ほどありました。でも、僕から質問をして、兄の機嫌を損なうことを避けたかったんです。僕は沈黙しました。
その日は何も予定がありませんでした。兄はというと、夕方からアルバイトのシフトが入っていたようです。もう帰っていいと言われました。
家に帰った僕は、父か母に連絡をしようかどうか悩みました。僕に兄がいることは、少なくとも父だけはわかっていたはずです。
なぜ、言ってくれなかったのかという怒りもありました。二回目の結婚であるということ、そして兄の存在は、それほどまでに隠したいものだったのか。
けれども、どう連絡していいものかわかりませんでした。あの戸籍を見る限りでは、すぐには兄に辿り着けないのだとわかっていました。
よって、いきなり兄の話題を出そうにも、どう切り出していいのかわかりませんでした。まさか、本当のことまで全て言うわけにはいきません。
結局、僕は連絡するのを諦めました。父も母も、いつかは話してくれることだったに違いないと自分自身を納得させました。
僕はシャワーを浴びました。全てが流れ落ちればいいのに。そう思いながら。いつもより長く丹念に身体を洗いました。
風呂からあがってスマホを見ると、梓さんから連絡がありました。
『明日、バイトの後にご飯行こうよ!』
そんな文面でした。梓さんから、そういう風に誘われたのは初めてでした。嬉しさよりも先に、後ろめたさがつのりました。
梓さん。僕は実の兄と交わったんです。
そんな僕が、どういう顔をして梓さんと会えばいいものか。僕は再び、涙を流していました。
しかし、梓さんには会いたかったですから。僕は了解しました、と返事を送りました。
その日の夜は食欲がなく、何も食べずに過ごしました。兄の顔がちらつきました。シフトを見ると、翌日兄は休みでした。そのことにいくらか安心しました。
眠るときも、忘れられない兄の感触が僕を支配しました。それを振り払おうと、僕は自分の世界に入っていきました。いつか、そのSFが書ければいいんですけどね。もう、無理なんです。今の僕は、それらを全て忘れてしまったんですからね。
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