08 罪の子

 大学生の夏休みはたっぷりありましたから。宿題もありませんし、アルバイトがある他は暇でした。僕は何度も兄に呼ばれました。歯向かうことはしませんでした。

 何度も兄を抱いているうち、僕はこう考えるようになりました。行為自体を好きになれればいいのだと。しかし、なかなかそうはいきませんでした。達しはするものの、嫌悪感だけがどんどん僕の身体の中に積もっていきました。


「瞬、気持ちいい?」


 上に乗りながら、兄が聞いてきました。


「わかんないです……」


 すると、頬をはたいてきました。


「嘘でも気持ちいいって言えよ。さあ、言え。兄さん、気持ちいいよって」

「兄さん、気持ちいいです」


 こんなやりとりに何の意味があるのでしょう。しかし、身体を重ねる度、兄の敏感なところもわかってきてしまいました。僕は丁寧に彼に尽くすようになりました。

 兄は顔だけでなく、身体も美しい人でした。厚い胸も、固い腹筋も。僕は手や舌を使って彼の身体をなぞりました。

 初めは兄の指示に従ってするだけでした。しかし、途中からは、僕の考えで身体を動かしました。

 僕には小さな期待がありました。従順になって、身体を満足させて、いつか飽きられれば、解放されるのではないかと。

 兄を梓さんだと思って抱くときもありました。さすがに無理がありましたけどね。僕が本当に好きなのは彼女でした。彼女の存在に僕はすがりました。

 アルバイト先では、決して兄を兄さんと呼ばないように、細心の注意を払いました。

 あの制服の下のことを僕は知っている。それだけで呼吸が乱れそうでした。なので、シフトをずらしたかったのですが、兄がそうはさせませんでした。

 親からは、お盆くらいは帰ってこいと連絡が来ました。アルバイトが忙しいからと僕はそうしませんでした。

 本当に忙しかったというのもありますが、その当時の僕は父と顔を合わせられる自信が無かったんです。

 やはり、僕には父に裏切られているという気持ちがありました。どうして兄のことを伝えてくれなかったのか。一回目の結婚は、そんなに消したかった過去なのか。

 次第に、僕も気付きました。兄は、初日こそ僕のことを好きと言いましたが、それからは全く言ってこなかったのです。

 だから僕は、もう何度目かの情事の後、兄に言いました。


「ねえ、兄さんは僕のことを好きではないんでしょう。憎んでいるんでしょう」


 二人とも、まだ服を着ていませんでした。タバコを吸いながら、兄は笑いました。


「ん? 好きだぞ? でも確かに憎い。なぜだか教えてやろうか?」


 僕の父と母は、不倫関係にあったのだと兄は説明しました。母との関係は、一回目の結婚の最中から行われていたそうです。

 そして、母が僕を身ごもったことで、父は兄と兄の母を捨てました。離婚してから一年後、兄の母は自殺したとのことでした。


「俺が発見したんだよ。ぷらーんってな。首吊り死体、見たことないだろ。えぐかったぞ」


 兄の母の遺書には、父への恨みと、父の血が流れる兄を愛せなくなったという内容が書かれていたようです。

 僕の存在が一つの家庭を壊した。そのことを突きつけられて、僕はうろたえました。


「瞬、好きだよ。殺してやりたいくらい」


 兄は優しく僕に口づけをしました。どのくらいの狂気が彼の胸に宿っているのか。それを思うと、叫びだしたいような気に駆られました。


「僕は……僕は好きじゃないです」


 ちょっとした抵抗のつもりでした。すると、兄は拳を作り、僕を何度も殴り付けました。僕は黙って耐えていました。

 僕はこの通り、やわな身体をしています。兄は顔だけは避けてくれましたが、首の下は散々痛め付けられ、僕は荒い息を吐いていました。しかし、それは兄も同様でした。


「ごめんな? 瞬。殴ってごめん。でも、瞬が悪いんだぞ?」


 そうだ。僕が悪いのだ。兄を怒らせるようなことを言った僕が。僕は謝りました。


「兄さん、ごめんなさい」

「まあ、今は好きじゃなくていいよ。いつか本気で好きにさせるから」


 僕は父を呪うことにしました。父が兄のことを告げていてくれれば、こんな形の対面は無かったのではないかと。

 その前に、そもそも僕という存在を作りさえしなければ。僕は僕の生をも呪いました。

 母にも恨みが芽生え始めました。父に妻子がいることを知っていて不倫をしていたのかどうか、この際問題ではありません。

 ずっと父と母のことは好きでした。家族として、愛していました。それが、二人の人間の犠牲の上に成り立っていた幸せだったなんて、僕は知りたくありませんでした。

 僕は本当ならば息吹いてはならない命でした。のうのうと今まで生きていたことを恥ずかしく思いました。


「好きです、兄さん」


 心と身体の痛みに耐えることが、兄と兄の母への贖罪ならば、甘んじて受けようとその日に思いました。

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