第27話 好きっていうから
文化祭が終わっていつもの学校生活に戻っても、俺は科学部に行かなかった。
いつもだったら楽しみに待つ木曜日の放課後も、今日は一直線に帰路に就いた。
正直、今の段階で部活に行ったとしても、たいして喋らずに時間が過ぎるだけだと思う。
それなら別に部活に行く必要はない。
まだ仲直りするには準備が足りていない。それに、冷静に考える時間が俺にも愛子にも必要だと思った。
そうした理由もあって、俺は一回だけ部活をさぼった。
別にがっちりした部活でもないので、休みたくなったら休んでいいという雰囲気もあった。
だから何の連絡もせずに休んだわけだが、何だか罪悪感を感じてしまう。愛子はちゃんと言っているのかもしれない、と思うと申し訳ない気持ちになった。
そんな気持ちを味わいつつ、俺は次の部活の日を待った。
文化祭から一週間ちょっと経った木曜日、俺は久しぶりに愛子に会うことにしていた。
そしてその日に仲直りする。
俺はその日に向けて気持ちの整理をし続けた。
六時間目の授業が終わって、短めのホームルームも終了すると、俺はゆっくりと生物室の方に向けて歩き出した。
どうしてそんな余裕があるのかというと、今日は部活に行くという連絡を愛子にしておいたからだ。
愛子からはわかった、と簡素に返されただけだが、それは愛子が今日も部活に行くということを示している。
俺は早まる鼓動を抑えるように、ゆっくりと一定のリズムで進み続ける。
そうしていつもより時間をかけて生物室のドアの前まで来た。
俺は最後の調整に、腕時計の秒針を数えた。俺が緊張を落ち着かせるのによくやる手段だ。
きっと、愛子も今頃そうして心を落ち着かせているはずだ。
愛子と会わないうちに色々と昔のことを思い出していた。
時計の針で心を落ち着かせるのは、中学生の時に愛子から教えてもらったことだった。それがあまりに効果的だったので、いつしか当たり前のようにそうするようになっていたので忘れていた。
きっと愛子は、自分の感情を抑えるためにそうしていたのだろう。
俺に受け入れてもらえなかったことで、愛子は感情を抑えるようになってしまったのだと思う。
そうして生み出された方法の一つが秒針だったのだろう。
その事実をもう一度確かめて、俺は生物室のドアを開けた。
このドアはやっぱり重かった。
生物室に入ると、いつもの席に座っている愛子の姿が見えた。
愛子は白紙のルーズリーフに何かを書いていた。そう言えば、こんなことが前にもあった気がする。
確か前に喧嘩みたいになってしまった時にそうしていた。
じゃああれも、愛子が心を落ち着かせるための手段だろうか。
「久しぶり。一週間ちょっとぶりだな」
俺は愛子の正面まで歩いて行って、そう言った。そして愛子の正面のいつもの席に座った。
「久しぶりだね」
愛子はそれだけ言って、机に広げていたルーズリーフとシャーペンと消しゴムをしまった。愛子はまだペン型消しゴムを使い続けていた。
そのペン型消しゴムについても、俺は思い出していた。
それは俺がカッコいい消しゴムがあると言って愛子に勧めたものだ。
小学生の俺からすれば、ペン型の消しゴムはスタイリッシュでスマートで何だかかっこよく思われた。
俺は結局、その使いずらさから使うのをやめてしまったが、愛子は思い出が大事なのか、それとも単純に気に入ったのかずっと使い続けているのだ。
「そのペン型消しゴム、今見るとあの時程かっこよくは見えないな」
「……そうだね。あの時健吾が見せてくれたのは確かにかっこよく見えたのに、今見ると何だかダサい。健吾の言ってた通り、これを使うのもやめた方がいいかもね」
愛子は俯きながらそんなことを言った。表情は見えないが、明るい顔をしていないことは確かだ。
何だかテンションの低い愛子だが、それは当たり前だろう。
文化祭のあの時の愛子のように、感情を抑えるのをやめた時には負の感情も爆発してしまうのだ。
明るいときは誰より明るく、暗いときは誰より暗いのが、情緒豊かな愛子だった。
「いや、ペン型消しゴムをやめる必要なんてないと思うけどな」
だから俺は愛子にそんなことを言った。
それは俺が出した答えだった。それこそが、俺と愛子に必要なものだと思ったのだ。
「思い出も今も、自分も相手も、どれかだけを優先しちゃダメだったんだ」
それは自分が愛子の立場になってわかったこと。
俺たちは相手との関係を進めたがったために、自分の気持ちだけを優先して行動してきた。
俺の気持ちに気づかずに告白した愛子、愛子の気持ちをわからずに自分を守ることを優先した自分、愛子の気持ちに気づかずに誘った自分、俺の気持ちを考えられなかった愛子。
多少の憶測は挟まるが、それが今の俺たちを作った状況だ。
だから愛子は思い出と今の俺を別々に考えてしまったのだ。
俺と愛子は幼馴染なんて言う関係だし、過去に俺のことが好きだったから余計に思い出が好きなのか俺が好きなのかわからなくなったのだ。
それが俺の理解だったが、それを愛子には説明しなかった。
もっと他に喋るべきことがある。
「俺が愛子を好きになったのは、中学一年生の時からだよ」
俺はそう言って、俺がなぜ愛子を好きになったのかを話し始めた。
「一人で過ごしてた中学生生活だったけど、それはやっぱりつらくてさ。本当に学校に行きたくなかった。でも俺が今思えば楽しかったと感じられるのは、愛子が話しかけてきてくれたおかげなんだよ。愛子がいてくれたおかげで、俺は一人にならなかった。愛子と話している時間が世界で一番楽しい時間だった」
そしてそれがだんだん当たり前になっていって、そして俺が愛子のことを好きなのも俺の中で当たり前になっていった。
俺はその当たり前をもとに考えていた。だから愛子を頼っていたし、思い出も忘れてしまっていた。
「失って初めて大切なものがわかるっていうけど、俺は失って、また得てからようやく気付いたんだよ。愛子が好きだっていう気持ちに」
小学五年生の俺がわかっていなかったことがその時ようやくわかったのだ。
だいぶ遅い気付きだったけど、ようやく俺は自分の核ができたのを感じた。それが俺のペースだった。
「俺はそれを当たり前のこととして来たから、愛子からしたら嫌だっただろうこともわかったよ。だから、俺は全てを尊重するよ」
「思い出の愛子も今の愛子も、思い出の俺も今の俺も全部尊重する。それが俺に絶対的に足りてないものだったから」
「だから俺はそうやって生きていく。そうやって生きていきながらアプローチを続けるよ」
「嫌だって言われたらやめる。迷惑だって言われたら止める。でもそう言われないなら俺は関係を持ち続ける」
俺は一切逃げることなく、愛子の正面に座ったまま喋り切った。俺は絶対視線をそらさなかったし、この席を離れることもしなかった。
これで俺と愛子の立場は対等になった。
互いの腹の内をさらけ出し合った。だから後は愛子の反応次第で仲直りできるかどうかが決まる。
愛子の思いを聞いての俺の反応が今の話だ。
愛子は俺の反応に、どう反応するだろうか。
俺が反応を返すのに一週間以上かかったから、愛子が反応を返すのにもっと時間を空けるかもしれない。
実際、愛子は俯いたままで、まだ何も話してくれていない。
俺が黙って愛子の反応を待っていると、少しして目を赤くはらした愛子が顔を上げた。
「私は、いつまでも健吾に助けてもらってる私じゃない」
「うん」
「もうそういうのじゃない。健吾に助けてもらって、守ってもらって、頼らせてもらってちゃいけない」
「うん」
「だから、私はちゃんとけじめをつける」
愛子はそう言うと席を立って、俺の方にぐるっと回ってくる。たん、たん、たん、とどんどん俺との距離を詰めて来る。
そんな愛子は迫力があって、俺はつい椅子から立ち上がってしまった。愛子が殴りかかってきそうな雰囲気すらある。
愛子は机の正面を回って、とうとう俺の正面まで来ると、拳を頭の高さまで上げた。
俺はビビりながら、愛子に暴力は震えないと思い、受けの体勢を取った。
愛子の振りかざした拳は、俺の胸のあたりに直撃した。
特に手加減のされていないそのパンチは普通に痛かった。
「私に、好きって言って」
「えっ?」
「さっき健吾が話したのは思い出だったりちょっと違う言葉だったりで、直接的にそう言ってなかった」
「でもわかるでしょ」
「そういうことじゃないの」
「そう言うことじゃないって言うなら俺もそうだよ。愛子はどう思ってるんだよ」
「それこそもうわかるでしょ。私の話、聞いてなかったの」
「聞いてたよ。わかったうえで言ってるのは同じでしょ」
「……なんか気持ち悪い。バカップルみたい」
「急にどうしたんだよ。テンションの上がり下がり激しすぎるだろ」
「情緒豊かなんだよ」
「それもうわかったってば。……あーあ、なんかもう言う空気じゃなくなっちゃったじゃん」
「それは健吾が悪いけどね。あっ、じゃあさ、花火大会行こうよ」
「……」
「前に健吾が言ってたじゃん。学校の近くで遅めの花火大会が開かれるって」
「言ったよ。言ったけどさ、それ俺が後で誘うつもりだった……」
「あ……。じゃあその時また好きって言ってくれればいいから。だからそういうことで」
「まあ、それでいっか」
そうして、俺たちは今度こそ、花火の約束を取り付けることができた。
「早く花火始まらないかなー」
「あと十分ぐらいで始まるみたいだぞ」
俺たちは並んで空を眺めながらそんな会話を交わした。
今日は約束の花火大会の日だ。愛子は黄色の浴衣を着ていて、俺は紺色のを着ていた。
九月の終わりとなると、夜は普通に寒い。俺も愛子も身を寄せ合うようにして花火を待っていた。
そうして十分経ったころ、アナウンスが入って一発目の花火が打ち上げられた。
それは一発目ということもあって、大きなド派手な花火だった。
ドォーン! シュワワワ……
その音が体に響き、ああ花火だなという風に感じさせた。
そんな中隣に愛子がいると思うと、俺はもう泣きそうだった。
心がじーんとして、深い気持ちに入っていた。
「花火すごいね! 胸に響いたよ!」
愛子は楽しそうに、花火みたいに明るい顔でそう言った。その顔を見ると、余計に泣けてきてしまう。
「どうしたの、健吾。泣いてるの?」
「ちょっと待って。今花火を見るとヤバいんだよ」
「今は花火上がってないけど……あっ、今二発目が上がったよ!」
愛子は空を指さして言った。愛子の言った通り、二発目の花火が空に打ちあがった。
俺は感傷的な気持ちが抑えられないまま、愛子に約束の言葉をかけた。
「ねえ、好きだから」
「……えっ、何? 聞こえなかったんだけど」
「今花火上がってないんだけど」
「ごめんごめん。で、なんだっけ?」
「好きって言ったんだよ。まあいいや。また少しずつ、伝えていくからさ」
まだペン型消しゴムを使ってる幼馴染に伝えたいことを少しずつ 一井水無 @6244162
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