第10話 約束

 授業で習ったことを愛子に教えるのはだいたい終わって、これからはワークを解いていくことになった。

 ワークの場合は全て教えてしまっては意味がないので、さっきまで説明したことを思い出しつつ解いてもらうことになった。


 その間俺は今日の授業で新しく習ったことを覚えていく。

 試験前になるとテストに出やすいところを先生が教えだすので、日々の授業の復習が大事になってくるのだ。


 そんな感じで、二人して黙々と問題を解き進めていくと、時刻は五時になっていた。

 顧問の先生から生物室を開けられるのは六時までと言われているので、残すところあと一時間だ。


 俺は今日の復習をしっかりと終えて、単語帳を開くところだった。

 愛子は今どこら辺を解いているのだろうと思って見てみると、試験範囲の最後の方のページを解いていた。


 机と顔の距離が近くて心配になるが、それだけ集中しているということだろう。

 俺は自分の勉強に戻ろうと、英単語帳に目を落とした。


「はぁ~、つかれた~」


 そんな声が聞こえてきた。愛子は手を組んで上に伸びをしている。

 一通り区切りがついたのか、俺が見てたせいで集中が途切れたのかわからないが、いったん休憩するつもりのようだ。


「古典のワークは結構進んだ?」

「進んだよ。健吾に教えてもらったおかげでかなり解きやすかった」

「それならよかった。何かわからないところはあった?」

「何個かあった。まだ答え合わせしてないから、他にもあるかもしれないけど、ここら辺がわからないんだよ」


 愛子が指さした箇所を見てみると、前回の試験範囲を理解していないと解けない問題だった。


「これ、前回の試験範囲で習ったのを使うんだよ」

「なるほどねえ。どうりで分からないわけだ」

「……前回赤点だったりしないよな?」

「全然大丈夫だったって。高一の中間で赤点はまずいでしょ」

「そうだよ。だから心配して聞いたんだよ」

「ほんとに大丈夫だって。それよりさ、これ教えてよ」


 愛子に促されて、わからないというところを教えていく。ゆっくり解説したおかげか、愛子は納得してくれたようだ。


 それはよかったのだが、愛子のワークを見てみると、他にも間違えている問題が目についた。

 愛子はまだ丸付けをしていないので気付いていないかもしれないが、これは指摘した方がいいのだろうか。


 どうせ後々気付くことだし、今指摘する必要はないかもしれない。

 でもどうせなら今教えてあげたほうがいいような気もする。でもそれはお節介なのかもしれないし……


 俺の「でもでも論争」が始まったところで、いったん心をリセットする。

 そうすると、一つの疑問が浮かんできた。


 愛子は間違いを言われても怒らないだろうか。

 ……いや、怒らないか。


 最近の愛子はよく怒っているイメージがあるが(もちろん俺のせいだとわかっている)さすがに怒らないはずだ。

 俺の親切心からの行動だし、別に悪いことではないはずだから。


「愛子、そこの問三も間違えてるぞ」

「ええ……そうなの?」

「そうだよ。そこは誰が主語なのかを正確に読み取らないと間違えるんだよ」


 俺が説明を始めると、愛子は小さく相槌を打ちながら話を聞いて、へえ~なんて言いながら一応納得したみたいだ。


 しかし俺の説明が終わると机に突っ伏してため息をつき始めた。


「はぁ~」

「どうしたんだよ。俺に間違いを指摘されたのが嫌だった?」

「いや、そういうわけじゃない。それはありがたかったけど、私は何個間違えるんだと思った。そして、テストまでが途方もない道のりに思えてきたんだよ」

「わかるなあ。これで本当にテストで高得点が取れるのか、努力が実るのかって不安になるんだよ」

「そうなんだよ~」


 愛子はなおも手を枕にして机に突っ伏している。腕時計が当たらないように左側に傾いていた。

 こんなに弱弱しい愛子を見るのは久しぶりだった。


「勉強する気はなくなっちゃったの?」

「……ごめん。我慢できない。私の情緒豊かな感情がとめどなく溢れちゃってて、もうどうしようもない」

「なに言ってるのかよくわからないけど、勉強したくなくなったのはわかったよ」


 この場合、愛子に勉強させ続けるべきだろうか。テストまではまだ猶予があるわけだし、今日のところはお開きでもいいのかもしれない。

 それに、今日教えたところを意識すれば赤点は回避できるはずだ。問題によっては高得点も狙える。

 時間的にもちょうどいいし、そろそろ終わりにしようと愛子に言おうと思った。しかしその前に愛子が口を開いた。


「ねえ、ちょっとお願いがあるんだけど」

「なに?」

「テストが終わった週の休みに健吾の好きな週末の過ごし方を私に教えて」

「……別にいいけど、なんで?」

「最近の週末はすることが無くてつまらないから。一人で出かけてもなんか楽しくないし、二人なら楽しい週末になるかもしれないし……」

「わかった。俺がナビゲートしながらお気に入りの週末を過ごさせればいいんだな」

「うん」

「なるほど。じゃあ、それをご褒美にして、愛子は勉強を頑張るってことだ」

「……恥ずかしい言い方しないで」


 そう言うと、愛子は恥ずかしそうに丸まった。机に突っ伏した愛子が完全な城塞になっている。


「じゃあさ、休日は二日あるわけだから、二日目は愛子のとっておきの週末を教えてよ」

「……いいけど、私の場合はあんまり出かけたりとかしないから、いい場所がわかんない」

「ありのままでいいんだよ。変に気取った場所を選んでも気持ち悪いし、本当に自分の好きな週末を教え合おうよ」

「健吾もそれをご褒美にして、勉強頑張るの?」

「……そう言われると恥ずかしいからノーコメントで」

「ずるい~」


 そう言う愛子を見てみると、机から顔を上げて笑っていた。

 それは今までで一番大きい笑顔で、俺もつられて笑ってしまった。

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