第9話 まただめだった
その日の帰り、顧問の先生と交渉して、テスト一週間前になっても生物室を解放してもらえるようにになった。
しかしテスト一週間前になると部活動は原則禁止なので、実験などはあまりしないように言われた。
まあ、もともとルールの緩い学校なので、特に変なことをしなければ問題ないらしい。
勉強場所を確保できたところで、俺たちはこれからテスト当日まで、毎日生物室に集まることにした。
普段会うとしても週に一度のペースだったので、いきなり毎日会うことになって少し緊張した。
今日会ったばかりなのに明日も会う。
家に着いてもその事実を確認するたびにワクワクして落ち着かない。
そんな状態で明日の学校の準備をしつつ、何の教科から教えようか考えていた。
愛子は理科や数学が得意なはずなので、苦手そうな古典や英語から教えよう。それらは俺の得意教科だし、かなり仕上がっている。
俺は古典と英語のワークをリュックに詰め込んだ。
必要なものをすべて入れたことを確認すると、リュックを机の上に置いて形を整える。
その拍子に、机の上に飾っていた花火のポストカードにぶつかってしまった。
クリアケースに入れて、自分なりにオシャレに飾っていたそれが倒れてしまい、慌てて手に取った。
よかった。壊れてないみたいだ。
俺はポストカードの安全に安堵しつつ、元の場所に飾りなおした。
俺は花火を見つめて、明日からも優しい気持ちで楽しく過ごそうと自分に向けて言った。
次の日、授業が終わり、ホームルームも終わって放課後になった。
例のごとく準備を整えておいたリュックを背負ってすぐに教室を出た。
向かうのはもちろん生物室だ。
しかし今日の生物室はいつもと違う。
いつもは部室としての生物室だが、今日は二人だけの自習室としての生物室なのだ。
……少し気持ち悪い気もするが、それだけ俺には落ち着きがなかった。
思えば誰かに勉強を教えるということをしたことがない。いつも教えられてばかりで、教える側に回るのは初めてだった。
勉強ができるはずなのに誰からも教えてほしいと言われないのって、何だか寂しい気持ちになる。
特に、俺が教えを乞われていないのに、俺よりもテストの点数が低かったやつが教えてほしいと言われてるときはちょっと傷つく。
やっぱり俺は、クラスの人たちから遠慮されてるんだろうなあと思わされる。
結局一人でいても、みんなでいても、つらいのは変わらないんだ。
そんなことを考えていると、二人だけの自習室である生物室に着いた。
俺はいつも通りガラガラと妙に重いドアを開けて教室に入った。
今日もやはり愛子が先に着いていて、勉強道具を広げていた。
いつものあいさつを交わしつつ、俺は愛子の目の間の席に着いて、持ってきたワークを取り出した。
「じゃ、成績優秀な俺が教えてあげるから、何かわからないことがあったら言ってな」
「成績優秀って、まだ中間テスト一回しかやってないじゃん」
「そのテストでも結果はまあまあ良かったし、中学生時代から俺は結構優秀だったって」
「まあ、それは認めざるを得ないけど。何しろ中学受験してたもんね」
「落ちたけどなあ」
「じゃあ全然優秀じゃないね」
「……そこはフォロー入れるところだと思うんだけどなあ」
愛子の言った通り、中学受験に落ちたやつが優秀なんて言うのは違うかもしれない。
中学受験をしたかった理由も、誰も自分のことを知らない学校に行きたかったっていうよくある不純な動機だし。
あー、落ちたのは納得したはずなのに胸がざわざわしてきた。
俺は心を落ち着かせるために腕時計に目を向けた。
秒針の動きに目を向けて、一定のリズムを数える。そうすると、だんだん心臓の動きが遅くなって心が落ち着けられる。
「それで、どの科目から勉強するつもりなの?」
俺は腕時計から顔を上げて聞いた。このやり方にも慣れてきて、今では一分もかからずに落ち着けるようになった。
「うーんとね、まだ迷ってるんだよ。得意な教科から始めるべきか、苦手な教科から片付けるべきなのか、わからなくて」
「俺だったら苦手教科から始めるなあ。得意教科ならモチベーション的にも暗記するのが楽だし、やりたくないのから片付けたほうがいいと思う」
「わかった。じゃあ、古典から始めてみる」
そう言って愛子はリュックから古典の教科書とノートを取り出した。今回の試験範囲には古典作品が三作品入っている。
「それじゃあ、最初から全部教えて」
愛子に思ってもみないことを言われた。
俺はてっきりわからないことがあったら適宜俺に聞いてくる感じかと思っていた。でも、最初から丸投げするなんて……
「全部教えるの? 自分でもわかってるところもあるでしょ」
「あるけど、それって多分三割くらいだよ。それなら最初から全部教えてもらった方が効率がいいよ」
「……ああ、確かに」
愛子の意見に納得してしまった。七割もわかってないなら、最初から全部教えるのとあまり手間は変わらないだろう。
「じゃあ、五十ページを開いて。古文の勉強から始めよう」
その言葉を合図に、俺の授業が始まった。
「へえ~、よくこんなところまで覚えてるね」
授業中に先生が話していた豆知識などを交えながら解説していると、愛子にそんなことを言われた。
「ただ授業中にメモとってただけだよ」
「それがすごいんじゃん。私なんて古典の授業はぼーっとしてるか寝てるかだよ」
「だめだなあ。俺は今まで授業中に寝たことなんて一度もないぞ」
「ほんとに? ほんとなら結構すごいと思うけど」
「ほんとだよ。小中高と、今まで授業中に寝たことはない。俺は真面目だからな」
「……それ、言われたくないんじゃないの?」
愛子が不思議そうな顔で聞いてきた。そういえば、そんなことで昨日嫌なことを言ってしまったばかりだった。
「……正直、今からすごく面倒くさいことを言うかもしれないけど良い?」
「別にいいけど」
「じゃあ言うけどさ。俺が嫌なのは、真面目だって言われることというか、俺を真面目だって言って突き放してくることなんだよ。それがちょっと寂しいっていうか……」
「まあ、わからなくはないよ。でも、そこらへんちゃんと言われないとわかんないから、ちゃんと言って。私びっくりしたし」
「わかった。ごめん、気を付ける」
そう言って、俺はやっぱりだめだなあ、と思いながら愛子の教えを反芻する。
勝手に自分のことを理解してもらえてると思うのは傲慢だし視野が狭すぎた。少しずつ、確実に理解していき、理解されていくのが大事なんだろうなと思った。
そんなことを学びつつも、この勉強会は続いていく。
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