第8話 あの夕日

 部活が終わりの時間となったのに最初に気づいたのは俺だった。


 一通り問題を解き終えたので、少し休憩しようとリュックからスマホを取り出した時に時刻が映った。

 俺としてはそんなに時間が経っている気がしなかったので大変驚いた。


「愛子、もう時間みたいだぞ」

「わかった~」


 視線は机に向けたまま愛子は返事をした。よく見ると、愛子は普通にワークを解いていて、さっきまで書いていたルーズリーフは姿を消していた。

 正直気になったが、愛子の機嫌が確実に悪くなると思って、聞くのはやめることにした。


 しかし、結局俺は愛子に勉強を誘えていない。

 テスト一週間前になると部活動は停止になる。

 つまり愛子とは会えなくなるのだ。


 理由もなく会おうと誘うことなんて俺にできるわけもないので、今日誘わなかったら一週間以上会えないことになる。

 せっかく仲良くなってきたのだから、これから一週間会えないというのは少しもったいない気がした。


 今の俺は言いたいことを言う、というスイッチが入っているが、そのスイッチも会えない間にオフになってしまうかもしれない。


 そうなると、またオンにするのがとても大変になる。

 そういう面でも、やはり今誘っておくべきなのだ。


 わかってる。わかってるんだけど、それができない。

 どうしても怖いし、恥ずかしい。


 今回は今までの言いたいことを言うのとは少し違う。

 自分の恥ずかしい気持ちも含めてさらけ出さなければならないのだ。

 そうすると、自分を守ることができなくなってしまう。

 だから、何度も口を開こうとはするのに、その度やっぱり言わなくてもいいんじゃないかという気持ちになる。


 言わないのは別に悪いことじゃない。

 それに、言うことが良いこととも限らない。


 俺はやっぱり、どうしても悩んでしまい、中々言葉を発せずにいた。


「ねえ、この教室からは夕日が見えないね」


 愛子が急に俺に話しかけてきた。確かにこの教室は位置的に夕日が見えない。でも、だからどうしたっていう話だ。


「夕日は見えないけど、空はちょっとだけ黄色く染まってるな」


 俺はなんと言えばいいかわからず、そんなことを口にした。何の意味も含んでない言葉だった。


「最近はだいぶ日が長くなってきたけど、この教室からじゃあ、日が長くなっても短くなっても、夕日は見えないんだね」


 愛子はさらに言葉をつづけた。でも俺にはその真意が全く分からない。

結局考えてもわからないので、思い切って直接聞いてみることにした。


「さっきから、なんで夕日が見えない話してんの?」

「別に理由はないよ。でも、良い雰囲気でしょ。吞まれてしまうくらい」


 愛子はそう言うが、意味が分からない。急に何をやりだしたんだろう。


「ごめん、本当に意味が分からないんだけど」

「だから、意味なんてないんだってば。雑談なんてそんなもんでしょ。それとも一言一言伏線を仕込んでおかないとダメ?」

「ダメなわけないけど……」


 そこで言葉がつかえてしまった。

 俺はやっぱり愛子のやってることがよくわからないし、この雰囲気が果たして「良い雰囲気」なのかもわからない。


 ただ、愛子はそうやって考えるんだって思った。


 黄色く染まる空を見ながら愛子の顔をちらっと見た。愛子は窓の外を眺めるばかりで全然こっちを見ない。

 そんな空間はやさしく暖かくて神秘的で、いつもとは全然違う場所に思えた。

 そう感じると、何だか簡単に俺の口は開いた。


「ねえ、これからテストまでさ、一緒に勉強しない?」

「いいよ」


 すぐに返事がきた。

 愛子は満足気な顔で笑っていた。

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