第5話 提案
俺はしっかりと窓が締まっていることを確認して、教室の電気を消した。
ドアの前から部屋の全体を見渡すと、とても広い教室だなと思った。
様々な実験道具やホルマリン漬けの生き物たちが並ぶ棚に囲まれて、たくさんの机やいすが並んでいる。
それは昼間は授業に使われている教室なのだから当然かもしれない。しかしそんな広い教室を二人で使っているのはより贅沢に感じられる。
そう思うと普段からまじめに活動していない俺たちが使っていい場所のか疑問に感じてしまう。
なんだかちょっと申し訳なくも感じるし、何かしらの実験をした方がいいのかもなあ。
でも俺は別に実験がしたくて科学部に入ったわけではないのだ。
俺は理科はどちらかというと苦手だし、理系か文系かで言えば完全に文系だ。
そんなやつがなぜ科学部に入ったのかと言えば、正直なんとなくだ。
入学したての頃の部活紹介で、部員が一人もいなくて司会の人が「一応紹介しておきます」と言って説明し始めた科学部という部活が少し気になったのだ。
部員が一人もいない、というのに少しテンションが上がったのは事実だ。自由に過ごせそうだし気が楽そうだと思った。
やっぱり、誰にも気にされない環境というのは楽なものなのだ。
そんな望みがあって俺は科学部に入った。
しかしそんな望みが叶うことはなく、科学部にはもう一人入部希望者がいた。
それが俺のよく知る芦原愛子だった。
愛子が科学部に入ろうとしていることを知った時、驚きはしたものの、すぐに納得できた。
正直、愛子なら入りそうな部活だなと思ったからだ。
俺は二人の部活が嫌じゃなかったし、愛子の方も幸い嫌じゃなかったようなので、二人とも科学部に入ることになったのだ。
だから俺は科学に興味があって科学部に入ったわけではない。だからどんな実験をしたらいいのかも何もわからない。
でも愛子は小学生のころ、よく科学関係の本を図書館で読んでいたから本当は科学的な活動もしたいのかもしれない。
やっぱり何かしらの実験をしようと提案してみてもいいかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、昇降口までたどり着いた。
そこには先に報告を終えたらしい愛子が待っていた。
「ごめん、お待たせ」
「全然いいよ。じゃあ帰ろっか」
愛子はそう言って校舎から出た。
この学校は土足オッケーなので、上履きを履き替える必要なく校舎から出ることができて楽だ。
俺と愛子はもちろん帰る方向が同じなので、部活の帰りは一緒に帰っている。
一緒に帰るようになった最初のころは緊張したけど、今となってはだいぶ落ち着いた。
科学部が終わる時間が五時過ぎなので、他の部活とあまり被らないのだ。運動部は活動している最中だし、あまり活発でない部活はすでに帰っているからだ。
そういうわけで、今の時間帯の通学路は人が少ない。
もともと俺も愛子もクラスで目立つタイプではないし、人通りも少ないことから周りからどうこう言われる心配がないことに気づいたのだ。
「そういえば、先生なんか言ってた?」
「お疲れ様って言ってたよ。他は特に何も言ってなかった」
「そっか。それじゃあさ、部活についてちょっと相談があるんだけど」
「なに?」
いつの間にか沈み始めた夕日が愛子の顔を照らしていた。風が少し吹いているが、気温が高すぎて熱風のようにしか感じられない。
「一応科学部なんだから、実験を何かしらした方がいいと思うんだよ」
「あー、なるほどね」
愛子は相変わらず薄めのリアクションをした。別に驚かれることを言ったわけではないので別にいいんだけど。
「確かにせっかくの科学部なんだから、ずっとお菓子食べて喋ってるだけじゃ、もったいないかも」
俺は別に「もったいない」とは思わないが、愛子はそう思うらしい。やっぱり実験とかやりたかったのだろうか。
「そうだな。まあ、具体的にどんな実験をしたいとかはまだないから、それは宿題ということで」
「わかった。じゃあ次の部活の時に話そっか」
俺はオッケーと返して頷いた。
俺はあんまり科学詳しくないから、ネットで調べる必要がありそうだ。教科書に載ってる実験は、面白くなさそうだし。
「……それにしても、今日の健吾はちょっと変だね」
少し間をおいて愛子は静かにそういった。俺たちは階段を上って線路沿いの道を歩き始める。
「まあ、ちょっと人間が変わったかもしれないなあ」
「自分で言うんだ。じゃあ、意識して人間を変えたの?」
「そうだよ。俺は簡単に影響されるタイプだから、尊敬する人に言われたら一発なんだよ」
「……尊敬する人って?」
「俺の好きなお笑い芸人さんだよ。昨日ラジオを聞いてたんだけど、その人が言ってたことで、ちょっと俺に刺さったんだよ」
そのラジオでその人は、何も言わないっていうのは卑怯だと言う話をしていた。
実際俺は何か言うのが怖いし、俺の思ってることが正解なのかどうか不安に思って何度も確認たり悩んでしまったりする。俺のしつこさは、きっとそこだ。
それに、俺のことはもう気にしないでほしい、なんて風にもちょっと思っていた。
でもそれは俺が逃げているだけだし、その芸人さんが言っていたように卑怯だと思った。だから今日は思っていることを伝えようとしたのだ。
「まあ、健吾のそれは良いことだと思うよ。私もいつもより喋りやすかったし。それに、実験のこととかも健吾から伝えてくれて、よかったよ」
愛子がそういってすぐ、電車がガタンゴトンと音を立てて通った。
何か言おうかと思ったが、電車が通り過ぎるまでに時間があって、今から反応するのも変な感じになってしまった。
俺は結局何も言わず、歩き続けた。
線路沿いを歩いているので、駅はもうすぐそこに見えている。
湿気を含んだ熱い風がじっとりと肌を撫でた。何だかさっきよりも風が温かく、気持ちよかった。
明日からも少しずつ、思ったことを伝えていくことにしよう。
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