第8話 第一王女の誘い
結局、生活は一変した。
朝夜はル・フェと一緒に過ごすことになり、ル・フェは俺とご飯を食べてから仕事をするようになった。今まで朝早く出掛けてお昼は城の中で仕事をしたり俺の修行を見たり、夜にもどこかへ行っている印象があったのに大分規則正しい生活をするようになったな。
城の外に行って何をしているのか知らないけど、それをしなくなって平気なんだろうかと心配になる。いや、魔女の仕事って何だよとも思うが。国内を巡ったりしているんだろうか。聞く気もないけど。
本当に普通に接してる分にはただの優しい母親なんだよな。ル・フェを知らないからこその違和感なんだろう。この三年間の放置具合が俺の知っているル・フェ像と乖離していなかったために今の状況が理解できないんだろう。
ル・フェもセシルも過保護になった。いや、三歳児に対する対応としたらこんなものだろうか。こんなでも小国の王子だったわけだから普通の幼少期というのがわからない。ただの子供だったら王城だろうと暴れ回りそうだな。ロホルの小さな頃なんてそんなやんちゃ坊主だったし。
そうなるとここまで大人しいのは怪しまれるか?周りの評価としては「さすが魔女殿の息子ですな」ってものばかりだし、このままでいいか。今いきなりガキっぽくしても不自然だろう。ガキっぽさもわからないし、下手な演技をする必要もないだろう。
ワイバーン襲撃事件から一週間。ル・フェの変化にも慣れた頃、セシルからおかしな話を聞いた。
「お茶会?」
「はい。第一王女たるグネヴィア様が坊ちゃんをお茶会に招待したいと。おそらくワイバーンの一件を受けて自陣営へ引き込むためでしょう」
派閥争いだとセシルは言う。
第一王女、第一王子のベンド、第二王子による王位争奪戦だ。基本は第一王子のベンドが王位に就くのだけど、グネヴィア王女は正妻との子であることもあり一番歳上として王位を狙っていると聞いた。
第二王子は側室の子だ。子供が王位に就けば母親の立場も上がる。今の所第二王子は親の権力闘争に巻き込まれているところだろう。まだ五歳なこともあっておそらくは母親の言いなりだ。側室の子だとかその辺りは理解できていないんじゃないだろうか。
だが、この政争は遠くない未来に起きる。グネヴィア殿下が王位を獲る気満々なことと第二王子の母親が躍起になっているというのは王城の中では有名な話だ。それに胃を痛めているのがベンド王子。
こういう身内によるドロドロが嫌だから王族も貴族も最小限に抑えておきたいんだよな。そういう制限がかけられるのもドライグ王国が小さい国だったからだろう。アイル帝国は武功を立てた者に褒賞を与えなくちゃいけないから貴族の数も多い。
貴族や王族が多い方が国としては正しい姿なんだろうけど、俺は嫌だと思ってしまう。多ければいいってもんじゃないだろう。
こんなことを考えていても目の前の現実から逃げられない。相手は王族だ。そんな権力を持った人物が権威を見せつけるお茶会に誘った。その返答は一つしかない。
「わかった。いく」
「ではそのように。明日のティータイムに行われるそうです。私は返事をしてまいりますので」
セシルはすぐに部屋を出ていく。
面倒なことになったな。俺の心情としてはベンド王子を推している。面倒ごとが確実に少ないからだ。他国に攻め入って領土を拡大している大国が身から出た錆で自滅するなんて歴史でいくらでも例がある。今のままでは過去の事例を繰り返すだけだ。
何故だかル・フェはこの帝国を大事にしているし、俺も今は所属する国家だ。俺が出ていくまで変な騒ぎを起こさないでほしい。だから最大派閥を支持しているだけ。
対抗派閥ではあるが、グネヴィア殿下のお茶会には出なくてはならない。権力が怖いということと、ここで相手の反感を買うような真似をする理由がないこと、そして情報蒐集の意味がある。
第一王女の派閥は正統な後継者とは言えないが、女性の立場を向上させたい貴族派閥が後ろ盾になっている。服飾系で稼いでいる貴族は見目的な理由で女性を旗頭にしたいようで後援している貴族もそこそこ多くてそれなりの派閥になっているようだ。
とてつもない賭けである第二王子派閥よりは確実に力がある。第一王子ベンドの正規派閥には敵わないが、無視できない勢力となっている。ベンド王子も気にしているのは姉の方だ。弟の方は分が悪いとわかっている貴族が多いために一番派閥に所属する貴族が少ない。
こういった情報はル・フェから王城で暮らす者としての教育で習った。ル・フェが国王派なので俺もベンド王子を推しているわけだ。ル・フェを敵に回したくないのでそういう主張をしている。
俺も大手を振るってそう宣言しているわけではないが、ル・フェの息子として王子派だと察している人間が多い。そんな俺にグネヴィア殿下が声をかけた理由。
何か勝算があるのか、情報蒐集のためか。もしくはまだ幼くて丸め込めると思ったのか。この辺りが理由だろうな。
さてさて、面倒だな。
次の日はあっさりと来て、ル・フェからも警戒するようにと言われてセシルと一緒に王女殿下の私室へ向かった。グネヴィア殿下の部屋は少女のものらしくピンク色を基色としてぬいぐるみや花などが飾られている。
少女の部屋を訪れるなんて初めてだ。王族や貴族の男性らしく少女と言う名の華を愛でるなんて変な趣味はなかった。だから女性の部屋なんて訪れたことはない。ヴィヴィの部屋なんて俺が作ったくらいだし。
向こうも従者は一人だけ。メイド服を着た妙齢の女性がいるけど名前は知らない。他に隠れている人間はいない。それはサラマンダーが確認済みだ。
そしてこの国の王族に漏れず皆目の冴えるような鮮烈さを思わせる赤髪でグネヴィア殿下もベンド王子と同じく綺麗な翡翠の瞳をしている。見目も化粧品をしっかりと使っているようで肌ツヤが良く、食事状況も良いからか十二歳にしては豊かな肉付きの身体をしている。
王族というステータス、そして身体に使われる贅沢な資金によってその美を維持している。国王も彼女が唯一の女の子なためかなり溺愛していると聞く。だからこそ彼女が増長する。今も王位を狙っているのはそういう甘やかしのせいだろう。
そんな感想を覚えながら彼女に近付く。
「ようこそ、魔女の子、英雄アーク。さあ、お座りになって?」
「はい。王女でんか」
たった二つしかない椅子の片方に座る。窓側の席にグネヴィア殿下が座り、俺がその対面に座る。メイド二人はお茶会の用意をして一切座らない。準備が終わったらお互いの主人の後ろに控える。
俺はセシルの主人じゃないけど、今は俺のことを主人として扱ってくれている。ル・フェに仕えているからこそ息子の俺にもメイドとして接してくれるだろうけど。人が足りないよな。魔術師なんてものは秘密主義であり、特にル・フェは隠すべきものが多すぎる。
セシルがどういう立場なのかはいまだにわからないが、ル・フェから信用を得ているというのは明らかに表側の人間じゃないだろう。深く探ったら藪蛇だと思ってサラマンダーにも何もさせていない。俺の手札が少なすぎる。
セシルのことは後でも考えることができる。今は目の前の王女殿下のことだ。目の前のテーブルには多種多様な焼き菓子と紅茶が置かれる。紅茶の種類まではわからないが、香りだけでかなり上質なものだとわかる。前世でも飲んでいたかわからないものだ。
ドライグ王国で採れる物は品質が良かったけど、それを王族だからって全部口にできるわけでもないし。うわ、焼き菓子にクリームが付いてる。牛乳の用途がありすぎて料理が開拓されていくごとにその万能性から年々価格が上がっている牛乳をふんだんに使ったクリームもあるなんて。
甘やかされてるな。色々な意味で。
「それではいただきましょうか」
「はい。いただきます」
上座であるグネヴィア殿下がカップに口を付けてから俺も口に含む。香りの段階でかなり濃厚だとわかっていたものの、ここまで深みのある紅茶を飲んだのは初めてだ。多分帝国産の高級茶葉だろう。渋みもなく飲みやすい。この辺りは紅茶を入れたグネヴィア殿下のメイドの腕が良いんだろう。
カップも温められているし、かと言って俺の舌が火傷するほどの熱さでもない。子供は熱すぎるものを飲めないからな。
グネヴィア殿下は話を振るわけでもなく目の前のお菓子に熱中している。これはそういうポーズか、純粋にお菓子を楽しんでいるのか。どっちにしろ俺はお菓子に手を出さず紅茶だけに留める。
俺に配膳されていない物に手を出すわけにはいかない。
ある程度お菓子を食べて満足したのか、王女殿下はようやく話題を切り出す。
「アーク君。魔術師ってどういう存在なの?わたくしも魔術を覚えればワイバーンを倒せるのかしら?」
「ははうえの受け売りですが、魔術師は産まれたときから魔術師です。成る者ではありません。はじめから魔術師なのです」
「産まれた時から決まっていると?では限られた人間にしか使えない特殊技能ということ?」
「はい。だから魔術師は少ないのです」
そもそもマナを知覚できないとダメで、後天的に魔術師に成るのは不可能だ。俺だって生前は魔術師になったわけではない。魔術を使えるようになっただけで、魔術師は名乗れなかった。
俺が術理を理解しようとしなかったからだ。魔術を使えることそのものは便利だと思ったが、それを極めようとは思わなかった。剣の方が好きだったし、王としてやるべき政務も多かった。魔術だけを勉強する時間がなかったとも言える。
これは魔術師という名前に対する定義の問題だ。俺は魔術を扱えるだけで魔術師ではなかった。けど今はル・フェによって魔術を教わっている。魔術師の卵として育成されている。だからこそ魔術師を名乗れる。
たとえ今からグネヴィア殿下が魔術を習って、もしマナを見ることができる才能があったとしても魔術師とは呼べない。それは結局生前の俺と同じような中途半端な存在になるだけで魔術師とは呼べないのだ。
魔術師とは精霊に認められて、その秘術を行使することを認められた上でその術理を解き明かす者こそが魔術師と呼ばれる。大元である精霊に近付くために全てを費やすことができる者だけが魔術師と名乗ることを許されるのだ。
俺は生前、ヴィヴィに失格だと言われた。俺は魔術師にはなれないと。それはそうだろう。ヴィヴィと夫婦になったものの、俺は人間であることを捨てなかった。ドライグ王国の王となることを選んだ。魔術師としての道を捨てたんだ。
グネヴィア殿下もあくまで使えるカードの一つとして知りたいのだろう。そんな中途半端を精霊たちが認めるはずがなく、結局は魔術師として大成することもなく、何にも使えない不出来なものにしかならないだろう。
なら早めに希望は断っておくべきだ。反転して絶望になる前に、精霊が傷付く前に。ヴィヴィのような変わり種がもういるとも思えないからな。
「魔術とは精霊さまにささげる願いなのです。そしてそれは力ではありません。理解を深めるためのものです。戦争で使うような暴力的な使い方はできませんよ」
「ならあなたのお母様は?あの方は宮廷魔術師として様々な戦争で活躍されていらっしゃいますわ」
「それは本当ですか?今回の戦争でもははうえがしたことは船の動きを止めたことだと聞いています。必要以上にしぜんを破壊したり、世界を動かすことはできないのです。精霊さまがお許しにならないので」
ル・フェがやっていることは水を扱って敵の動きを止めたり、雨を降らせて相手の行軍を止めたり、こちらに有利な地形状況を作り出すくらいで直接的な攻撃を魔術によって行なってはいないはずだ。
まあ、ル・フェは
というか、ル・フェと同じことができたらそれは魔術師としてのゴールだ。それはつまり魔術師と名乗れなくなることと同義。もしグネヴィア殿下の魔術師としてのボーダーがル・フェになっているのならそれは世界を知らなすぎる。
仮にも神と呼ばれた存在を倒した一人なんだから。そんな魔術師、世界に二人と居てたまるか。
「……その話はおかしくないですか?だってあなたはあのワイバーンを殺したでしょう?ワイバーンの脅威をわたくしが知らないとでも?冒険者が束になっても倒せない怪物をあなたは一人で倒しました。魔術はとても強いのでは?」
「はい。使い方によってはワイバーンをも倒せるとぼくが証明しました。それでも使い方次第です。ワイバーンを倒した方法ですが、食事の席でするものではないので遠慮させていただきます。ぼくの魔術適性が水だったからこそできたこととだけ、ヒントでお伝えします」
「検死の結果はわたくしも既に存じております。血流を逆流させて心臓を止めたのでしょう?つまりあなたは手を触れながら魔術を使えば生物を絶対に殺せるというわけです。そんな殺傷能力のある存在は管理されるべきではありませんか?」
なるほど。これが話の終着点か。彼女の話の誘導に
英雄とかも物語の最後には排除されるからな。俺も前世では排除された。強すぎる力は排斥されるなんて昔から使い古された終焉だ。
実につまらない。
彼女が恐れているのは俺の今の年齢が原因だろう。三歳児というのは情緒が育っていない未熟児だ。そんな子供が触れただけで生き物を殺せるというのなら、いつか暴走するのではないかと恐れているわけだ。
俺が普通の子だと認識している、もしくは王族としての色眼鏡で見ているからだろうな。
前提が間違っていることに気付いていない。
そもそも普通の子供ならワイバーンを殺せるわけがないし、こんな凶悪な力を初めて公で見せたのがワイバーン事件。そしてその後俺の周りにいるのはセシルだけでル・フェは俺の行動に枷を付けているわけでもない。
それはつまり、この国で最強の存在が自由にさせても良いと認めているということだ。
ル・フェもまだこの国を捨てる気がないから俺を使ってこの国を壊そうともしていない。
第一、ル・フェがこの国を壊そうと思ったら国土全てに雨を降らせて地盤をグズグズにして国を物理的に鎮めることができるっていうのに。そのついでに大きな街に雷でも落とせば全滅だ。
俺を恐れてル・フェを信用するのは雨の魔女を知らなすぎる上に、自分の認識を絶対視している証拠だ。彼女は大人だから大丈夫だろうと思ってしまっているのだろうが、むしろ一番怒らせたらマズイ存在だ。
気に入らなかったら簡単に国ごとポイ捨てするぞ。尺度が人間と違うとわかっていないのは上に立つ者としてヤバイよな。
人間と魔術師の認識すらズレているのに、ル・フェは魔術師という括りでも更に特殊だ。後戻りできないところまで進まないことを祈るが、俺ではグネヴィア殿下を止めることは出来ないだろう。
だって俺は彼女の派閥に入るつもりはないんだから。
「ははうえによって管理されていますよ?」
「……その精神性すらおかしいのです。三歳というのに大人と話しているよう。テーブルマナーも問題なし。魔術師とはこういう存在なのですか?」
「ははうえに教育されましたから。もし派閥へのお誘いならお断りさせてただきます。ぼくは魔術を極めたいのであって、変な争いに巻き込まれたくありません。お茶、ごちそうさまでした」
お菓子には一切手を出さず、紅茶だけ飲み干して椅子から立ち上がる。俺が立ち上がったことで後ろにいたセシルが礼儀としてグネヴィア殿下に頭を下げるがあくまで儀礼的なものだ。内心どうでも良いと思っていそうだ。
セシルとの付き合いも長い。表情を見れば何を思っているのかある程度わかる。まさしく無だ。王女という立場に何も見出していなければ、この稚拙な政争ごっこもつまらないと思っている。
ほぼ同意見だが、口に出しちゃいけないことだとわかっているので何も言わないまま退室しようとする。
「お待ちなさい、アーク君」
引き留めるグネヴィア殿下は何故だか俺の近くに来ると膝を曲げて俺の頬に触れるだけのキスをしてきた。
うわぁ、そこまでして
純潔を尊ばれる王族が頬とはいえキスをするという暴挙に出たことに二人のメイドが目を丸くしていた。いや、セシルは激怒すらしている。セシルも怒ると怖そうだよな。
「アーク君。第一王女がここまでしたのです。言いたいことはわかりますね?」
「いいえ。まったくわかりません。これにどんな意味があるのですか?」
「あなた……。王族のくちづけですよ?つまりあなたはわたくしにとっての特別です」
「ぼくは王女さまもおうじさまも、特別だと思いません。ぼくにとっての特別はははうえとセシルだけです。では今度こそ失礼します」
俺も頭を下げてさっさと退室した。セシルも慌ててついてくる。
キスは彼女にとって大きな
魔術師の精神が早熟だとしても子供に変わりないんだから。ほぼ初対面の相手が一気に距離を詰めてきても怖いだけだ。
それに俺の心はヴィヴィにだけ捧げられている。グネヴィア殿下は残念ながら対象外だ。
部屋まで戻ってくるとセシルがハンカチを取り出してキスをされた側の頬をゴシゴシと擦ってきた。嫌悪感を隠さずに熱心に擦った後、ハンカチに火をつけて燃やしてしまった。
やっぱりセシルも魔術が使えるんだな。
「アーク様。申し訳ありません。あなたを守れませんでした」
「別に。ぼくってベンドおうじを応援すれば良いんでしょ?」
「ええ、それで構いません。これ以降第一王女の誘いは全て断るようにします」
「そうして。つかれた」
政争に関わるつもりはないんだよ、二重の意味で。
俺はここから出て行きたいんだから。
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