第5話 1−2−2 ワイバーン襲撃
「逃げますよ、アーク様!」
もう擬態なんて無駄だと察したセシルが俺の手を取って走り出す。市民も一斉に逃げ出す。こういう時に逃げる場所は中層の避難施設か上層の騎士団本部に併設されている砦。ここからだと中層の避難施設が近いが、俺たちは客人という立場から王城に逃げ込める。
距離はあっても王城まで下がった方が安全だろう。人波に合わせて一番奥へ向かう。それとは逆に冒険者や騎士が壁へと向かっていった。
ワイバーン。
倒してもドラゴンスレイヤーの称号は貰えずともこれからのキャリアには十分役に立つ相手。
空を飛んでいることから攻撃手段が限られてくる。ずっと上空からブレスを吐かれたらどうしようもないが、そこまでブレスは続けられない。絶対に脚の爪か翼に生えた爪、もしくは頭で接近戦を仕掛けてくる。
その時を狙って攻撃するのが定石だ。俺は魔法が使えたから一方的に遠距離から魔法をぶつけて叩き落としてから首を刎ねていたけど、冒険者たちはどうやって倒すんだろうか。
その戦いっぷりも見てみたい好奇心にかられたが、セシルがいる中でそんな真似はできない。ここは命を大事にしていきたい。
そもそも今の俺は精霊の加護がないんだ。魔法が使えるのは血のおかげ。今の俺は全盛期と比べて戦闘能力がかなり落ちている。ワイバーンの相手なんてできないだろう。
「グギャアアアア!」
ワイバーンの雄叫びが近いなと思ってしまい、振り返ってしまった。それが良くなかった。
一匹は壁の近くで冒険者が応戦しているらしい。だがもう一匹は冒険者なんて無視してこちらに向かってきている。
中層の、人が多い大通りに。俺たちが走っているこの場所に。
ワイバーンが二匹ってことはおそらく番。だっていうのに各々が独断行動を取るか⁉︎
怪物が人間の集落を襲うのは人間が何かしらをやらかした時か、冬眠が近いかのどちらか。冬は遠く、冬眠明けというのも考えにくい。
となると、希少なワイバーンの卵でもこの首都に持ち込まれたか。それくらいしか理由が考えられない。ごく稀に理由もなく襲われることがあるが、竜種ではほぼありえない。竜種は自分の領域を大事にする習性があるからだ。
その領域が移ろうと、人間の集落を襲うのは本当に稀。逆鱗に触れない限りこんなことにならないほど竜種は頭が良いはずなんだが。
……これ以上は俺の足じゃ無理だな。迎撃した方がいい!
「【水よ、穿て】!」
「アーク様⁉︎」
セシルの手を振り解いて水の槍を三本形成する。そしてそれをワイバーンの顔と腹、翼に当てた。
だが初級魔法ばかり練習していた俺では込めるマナが少なかったのか動きを僅かに止めるくらいしかできなかった。
身体が小さいからか出力が落ちている。というか、完全に前とは威力も制御の精度も違いすぎる。精霊の加護がないからだ。昔なんて微精霊も含めればどれだけ契約してたんだって話だからな。
今契約している精霊がいないこともあって威力がなさすぎる。マナはいくらでも周りにあるのに威力に変える速度が足りない。出力が違いすぎる。
アルトリウスの頃ならこの一発でワイバーンなら倒せたんだけどな。
ワイバーンがひるんでいる内に冒険者が到着していた。弓を持った人がとにかく矢を放っている。だがそれは旋回することで避けられていた。
「ま、魔術師……⁉︎あんなガキが……?」
「だが威力がない!アテにするなよ!倒すのは俺たちだ!」
冒険者に驚かれるものの、俺はいないものとして扱うようだ。
それで良い。ヘイトを向けててくれ。その間にこっちも準備をするから。
「アーク様、ダメです。逃げましょう?」
「ここで逃げたら、ははうえに怒られます。モルゴースの名前は軽くないと」
「アーク様が死んだら私が奥様に殺されますよぉ⁉︎あんな竜相手に逃げたって奥様は怒りませんって!」
まあ、ル・フェなら怒りはしないだろう。というか戦ったことに怒りそうだ。
でもあのワイバーン、何故か俺のこと睨んでるし。もう逃げられそうにない。
冒険者に攻撃しようと滑空して翼などで蹴散らしていく。冒険者が時間稼ぎになっていない。有名な冒険者はいないのか。
「にげられないよ。アイツ、ずっとこっち見てる」
「うわぁ、本当ですね……。アーク様、何か悪いことしました?」
「してない」
「じゃあ私ですかね……。これでも品行方正に生きてきたつもりですけど」
理由なんて考えたって無駄だろう。そんなのは倒した後に考えればいい。
それに話している間にマナを集められた。これなら大技を使えそうだ。
マナを集めているのがわかったのか、ワイバーンがこっちを睨んでくる。アイツ、もしかしてマナに反応してるのか?そうなると狙いは最初から俺っぽい。
魔術師が目当てだったとしたら俺かル・フェのせいだな、うん。
ル・フェが何かやらかした可能性は……かなりあるな。正直母親代わりとはいえ庇うことはできない。何をしたっておかしくはない性格だ。
「それにしてもアーク様、肝が座りすぎでは?あのワイバーン、すっごく怖いですけど」
「ははうえの訓練の方がこわい」
「えー。奥様、何をしてるんですか……」
実際ル・フェの訓練で怖いのは彼女の期待の目だけど。俺がアルトリウスの孫だからか、魔術の才能のなかったロホルの息子だからか、俺の魔術取得に凄く興味を持っている。言葉ではまだそこまでしなくていいと言っているものの目は雄弁だ。
もっとできるはずだろうと。これ以上を求められている。その期待がちょっと辛かったり。
冒険者たちが建物の壁を走ってワイバーンの高さまで駆け上がり剣で叩き斬っていた。なんだ、できる奴もいるじゃないか。
ワイバーンは俺に目線を向けているからか冒険者の攻撃をあまり避けられていない。だからこの一撃は避けられない。
「セット。【現象をねじ曲げろ。降らせ、オークニー】」
「っ⁉︎まさか……!お前ら、退避!」
冒険者の強面の一人が俺の魔術に勘付いてその場から離れる。
今の俺にはこの程度しかできない。規模も小さく、ワイバーンに雨を降らせるだけ。雨雲を作ってちょっと強い雨を当てるしかできない。
ワイバーンは攻撃ではなかったことに、突如できた雨雲を疑問に思ったのか顔を上げて黒い雨雲を見つめる。
ああ、これで終わりじゃないとも。雨を降らせる魔法だけど、それだけで終わりじゃない。あの雨雲の水分量は普通の雲と密度が違う。
ここが第一段階。第二段階として雨雲に更にマナを注ぎ込む。
これこそが本命。雨に濡れなかった冒険者たちの判断は正しい。なにせアレはマーキングなんだから。
「【降り注げ、鳴神】!」
「ギャアアアア⁉︎」
雨雲からスパークが落ちる。雷を落とすための前段階に過ぎなかったわけだ。俺は雷の精霊と契約なんてしていなかったし、雷の魔法なんて得意じゃない。なら水の魔法で雷を発生させるための土台を作ればいいわけだ。
全身に帯電させてワイバーンは地面に落ちる。水を浴びた状態で雷を受けたらワイバーンといえども一撃で倒せるはず。なのにワイバーンはまだ呼吸をしている。ただのワイバーンより強い個体だったみたいだな。
雷は特に殺傷力が高いから今の俺が使っても大抵の怪物なら一撃なはずなんだが。そこは腐っても竜種ってことか。
まだ痺れているワイバーンへ俺は近付く。止めを刺さないと。
「雨と雷の魔術……。まさか魔女殿の後継者……?」
呆然としている冒険者の横を通り抜けてワイバーンの頭に触れる。あんまりやりたくない方法だが、水の魔術が得意な魔術師はほとんどの怪物に対して即死魔術が使える。触れる必要があるから絶対的な魔術ってわけでもない。
相手をノックアウトしてから使わないといけないから本当に強いドラゴンとかには使えないし。でもこの魔術のせいでル・フェは怖がられているんだよな。
「【逆巻け。血流】」
水の流れを逆にすることと同じ要領で心臓から流れる血流を逆にして心臓を破裂させる。怪物の心臓が残らないから怪物を加工しようとする職人や買取をやっているギルドからは嫌がられるんだけど、勝つ方が大事だ。
というわけで魔術を使ってこのワイバーンを殺すが。
(……なるほど。俺を狙ってきたのはそういうわけか。これ、死人が出てないといいけど)
ワイバーンが確実に死んだことを確認してセシルの元に戻る。周りはワイバーンを倒したことで歓声を挙げているけど俺はこのまま王城に戻りたい。
もう一体がどうなったのかは後で報告を聞けば良いだろう。一部の冒険者は壁の方へ向かっていった。それが正しい冒険者の姿だよな。
「アーク様。奥様にちゃんと報告しますからね」
「……うん」
怒られるんだろうな。案外ル・フェは俺のことを大事にしてるからな。
俺が一匹を倒した時とほぼ同時にもう一匹のワイバーンも倒されたらしい。セシルに手を引かれつつ、首都の外を見る。そこにいるだろう存在に目線を向けるものの、姿を隠している存在をしっかりと視界に収めることはできない。
ただマナの感じからしてそこにいるんだろうと思うだけだ。
空のある一部だけ
そこにいる筋骨隆々な赤い存在が嗤ったように見えた。
こんな事態が起きてしまったから俺は当然のように街へ行く許可が降りなかった。王族も心配したのか行動を制限してきたし。三歳児がワイバーンを倒したなんて信じられないよな。俺が普通じゃないからこそだけど。
俺の魔術を見ていた人は多く、セシルが俺のことをアーク様って呼んでいたこともあって俺の話題が首都中に広まったらしい。使った魔術もル・フェの象徴である雨と雷のコンボ魔術だったために『魔女の後継者』の呼び名が一気に広まったとか。
ル・フェがドライグ王国を攻めた時も同じ魔術を使ってたからな。俺が使ったのはその簡易版なんだからそんな話も流れる。
ル・フェが戻ってくるまで暇になったな。襲ってきた奴にはこっちから対処はできないし。
────
その存在はただ懐かしい感覚をアイル帝国の首都で感じたために配下のワイバーンを連れて訪れていた。ワイバーンの卵などがあったわけではなく、ただの市場視察の感覚でやってきただけだった。
そこに雨の魔女がいることは知っていた。そしてかの存在にとっては雨の魔女は天敵とも呼べる相性の良くない相手だった。だからこそ雨の魔女とは別の懐かしい存在は誰だと思ったために訪れたわけだ。
そしてその存在が誰かが分かった途端ワイバーンをけしかけていた。その存在──アークが今どういう状況かと調べるために送り込んでいた。
結果としてアークがワイバーンを一匹倒したことから実力ははっきりとわかった。まだ幼い身分ながら魔術の腕は十分以上。そして今の人間関係もある程度は把握できた。
ワイバーンと同じほどの巨体。全体的に筋肉質で肩や頭から角と思われる鋭利なものが生えていた。身体の体表は赤と黒で構成されていて、身体の周りに炎が纏わり付いていた。
『ああ。面白え。モルゴースの元にいるんだったらお前は以前のお前を越えられるかもな。そのまま健やかに育てよ、アルトリウス。この火の大精霊イフリータがお前の道筋を燃やしてやる』
世界に数少ない大精霊の一体、イフリータはずっと獰猛な笑みを浮かべて撤退した。ワイバーン二体の犠牲など大精霊からすれば安いもの。
そんな本人からすればちょっとしたいたずらが、世界を混乱に陥れていくことになるとは誰もが思わなかった。イフリータさえもただのちょっかいくらいにしか思わない。
だが大精霊の力とはそれだけ世界に与える影響が強いものだ。人間が苦労することになるのがこの日の気まぐれで決定されたのだと、たとえ他の大精霊でも気付けるわけはなかった。
────
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