第2話 1−1 魔女に育てられる三歳児

 ドライグ王国侵略戦争から三年。


 アイル帝国の栄華は極まっていた。ドライグ王国に攻め込んでから食料事情が改善して更に他国にも攻めていき、小国を併合していった。連戦連勝のため国の士気も高くなり、経済も回って周辺国では一番の大国へ変貌していた。


 そこの王城に客人がいた。


 その客人の名前はアーク・トゥルス・モルゴース。つまり俺である。


 ……アルトリウスとして生きていた記憶がある俺は何故だか息子夫婦の子供であるアーサーになっていて、アイル帝国の魔女の元に人質として送られて、そこで偽名をもらって生活をさせてもらっている。


 客人なのにメイドさん付きなのはどうなのか。客人だからいるのもおかしくないのかもしれないけど、貴族でもなんでもないんだけどな。いや、一応隣国の王子ではあるんだけど、王子として教育はされていない。


 王子だなんて教えられていないし、このまま多分王子とは教わらずに過ごしていくのか、それとも年月を重ねたら教えてもらえるのか。


 今の俺の生活を考えると教えてもらえそうにないな。


 何故なら、最低限の王城での作法を教わるだけできちんといる王族とは分けて生活をしているからだ。このアイル国の王子は今年九歳になる。その王子がまた厄介なんだが、それは置いておこう。俺は心は大人だから。


 さて、俺の今の一日はなんというか英才教育を施されている。元国王で王位継承位が一位だった俺でもやらないことをこんな若い身空でやらされている。


 まず朝起きて、寝間着から着替える。メイドがいるが、王族でも貴族でもないのでこの辺りは自分でやる。王になった時もメイドにやってもらったことはなかったか。ドライグ王国が特殊だったんだろう。豊かな国ではあったが、人材が豊富なわけではなかったし。


 着替えたらそのまま中庭に行く。部屋からナイフを持っていき、そこでナイフを振るう。これは日課の教育課程には入っていないが、俺が元の感覚を覚えておくためにやっている。


 ぶっちゃけ俺はこの国で人質だ。何故か英才教育を受けているものの、ドライグ王国に対する手札のはず。だからどんな扱いを受けるかわからないために自分の身は鍛えておくに限る。俺の血筋的に狙われる可能性が高いから、自衛手段は身につけておきたい。


 それは俺の育ての親である魔女ル・フェもわかっているから色々と鍛えているんだろう。俺の教育に関してはル・フェが全てを取り仕切っている。王族とも何か話し合っているみたいだがル・フェが全てを突っぱねているようだ。


 ナイフは自分の型を思い出しながら振っていく。ドライグ王国流剣術を使っているところを見られたら教えてもいない剣術を使う変な奴だと思われるから誰もが知っているドライグ流剣術は用いない。


 その代わり俺が使っていた我流の剣術は使う。魔法が前提の剣技で魔法の習熟度がまだまだ未熟だと思われている俺では使えない剣技だ。三歳児だということを隠すために実力は隠す必要がある。


 この剣術を使っているところをル・フェに見られてもマズイんだけど、朝方はル・フェはこの王城にいない。早朝は必ずどこかに行っているため見られる心配はない。その行き先については予想できるし、帰ってくるのも完全に朝日が登ってそれなりに時間が経ってからだ。


 だからこの時間にしかこの剣術は練習ができない。


 朝の時間帯になったら自分の部屋に戻る。メイドや王城に詰めている衛兵などの巡回が始まるからだ。いや、俺が抜け出す時間にも働いている人はいるんだけど、人数が少ないから魔法を使って抜け出せる。


 で、俺が朝に訓練をしていることをほとんどの人間が知っているから帰り道は普通に帰るだけ。中庭で訓練をしていることも知られているから窓越しに姿を確認されて終わりだ。誰も近寄ってこない。


 俺の訓練が危ないものではなく、時間になったら正確に部屋に戻るからだ。だから衛兵やメイドには子供が頑張っていると微笑ましい目線を向けられて終わり。


 だが、今日はそうはいかなかった。


「アーク。今日もナイフで遊んでいたのか」


「ベンドおうじ」


 この国の第一王子、ベンド・リ・アイル。九歳。この国の王族は皆目の冴えるような鮮烈さを思わせる赤髪でベンドは綺麗な翡翠の瞳をしている。赤髪が王族の証になっていて、瞳は王妃次第。


 俺は金髪に紅の瞳だから王族ではないとされている。この髪も瞳もアルトリウスの時と同じだ。まあ、孫なんだから色合いは似るだろう。


 俺が王子をはっきりと発言できなかったのは三歳児の幼児特有の舌ったらずなせいだ。走る速度とか滑舌とかはどうしても肉体に依存する。こればっかりは仕方がない。


 ベンド王子は俺のことを忌々しそうに睨んでいた。


「何でお前はそんなに頑張るんだ。お前のせいで僕はすぐに引き合いに出される。アークがやっているのだからお前もやれってな。そのせいで剣術の稽古の時間が長いんだよ。僕は王子だぞ?ドライグ王国の伝説と違って王が最前線に立つ必要はないのに」


「それは……もうしわけありません」


 二重の意味で。


 ドライグ王国の伝説と言われたら俺の前世、アルトリウスのことだ。武を持って王国内の厄災を払い、内政では国の運営を傾かせたこともなく、そのせいで他国でも有名な王だったらしい。だからかベンド王子の教育で度々名前が出るようだ。


 そして今世ではル・フェの監視下ではない時間に少しでも力をつけたいために早朝に練習をする。幼子は普通そんなことをしないだろう。で、歳下の俺がこんなことをしていて、しかも客人であるために王子としての模範を示せとでも教育係に言われているんだろう。


 すまない。俺がこの城にいるばっかりに。


 でもル・フェがいない時間は貴重だからこの時間を逃すことはできない。本当に遣る瀬無い。


 ベンド王子は元王の目から見ても十分以上に優秀なんだがなぁ。勉学はもちろん、剣術だって騎士が褒めていたからな。軍属の騎士が褒めるって相当だぞ。王子への身贔屓も少しはあるんだろうけど、この前普通に騎士と斬り合っていたからな。


「お前、将来はどうなりたいんだ?魔女殿のように宮廷魔術師になりたいのか?」


「それは、どうでしょう?ははうえが決めることだとおもいます」


「母親の言いなりか。お前は王位もないんだから縛られるわけでもないのに」


 今はそうするしかない。母親代わりのル・フェに逆らうには力がなさすぎる。脱走したところですぐに捕まる。なら逃げたって意味がない。


 本当なら国に帰りたいが、それは現状できない。ル・フェがわざわざ俺を確保したのは俺を弟子にするためだろう。戦争を仕掛けてまで確保した俺を逃がすわけがない。せめてル・フェに対抗できるぐらいの実力をつけないと無理だ。


 ……この国どころか、世界を見渡しても最高の腕を持つ魔術師に勝てる実力ってどれくらいだ?三十代の頃の俺なら勝てたんだろうけど、三十歳まで待ってたら息子夫婦は寿命で死にそうだし。


 それは親不孝すぎるからもっと早く帰りたい。うん、どうしたものか。


「まあいい。お前は王族ではないのなら邪魔にはならん。俺が利用してやるから精々腕を磨いておけ」


「それは、王位けいしょうの争いについてですか?」


「ああ。弟はどうとでもできるが、問題は姉上だ。姉上が早々に結婚してその夫が王になれば国が割れる可能性がある。だからできれば俺が継ぐのが平和的な解決なんだがな。……姉上も中々王位に興味があり、弟もなりたがって推す派閥もある。困ったものだ」


 アイル帝国は現状子供が三人いる。十二歳の王女、九歳の第一王子たるベンド王子に、五歳で側室の子である第二王子。この三人で王位を争っている。まだ表面化はしていないが、いつかは継承位戦争に発展するだろう。


 ドライグ王国ではそんなことにならないように子供はロホルだけだった。俺も一人っ子で、もし王位の人間が亡くなったらそれまでだとして無駄な内紛が起こらないようにしていた。最悪遠縁から養子を取るか、国内の優秀な貴族を指名すればいいだけだ。


 正当後継者がいなくなった時のことは大変だろうけど、無駄な争いのタネがない方がいい。この国は子供を産みすぎた。せめて二人だったらそこまで拗らせなかったんだろうが、三勢力あるのは面倒だ。


 特に力のない貴族なんてあえて第二王子を推して実績を積み上げて、その後の内政に口を出そうとしてくるだろうからな。厄介極まりない。


 ベンド王子は順当すぎる。王位を継ぐのは男児であるべきという考えが蔓延っているので何もしなければベンド王子が国王になる。実際優秀だし、今の国王に属している貴族はベンド王子を支援するから一番安定した派閥かもしれない。


 安定を目指すか逆転を目指すか。そんな議論になってしまうだけで面倒ごとの匂いがする。


 ル・フェも今の所誰を支援するか明言していない。けど客人という立場からベンド王子は俺が支えるということを決定事項と看做している。


 そこもやはりル・フェの出方次第なんだよな。


「お前に期待していることは魔術の腕だ。ナイフ遊びはそこそこにしておけ」


「ははうえがいなければ魔術をつかうなといわれていますので」


「ああ、魔女殿は朝の見廻りだったか。なら朝食前はナイフ遊びをするしかないと。魔術師になるのにそれは意味があるのか?」


「かいぶつの解体などもするらしくて。はものの扱いはなれておけとははうえが」


「なるほど。理由があるのならいい。……なればこそ、俺がやらなくちゃいけない理由になってしまうではないか」


 魔術師が頑張っているのだから王子も頑張れとなってしまうわけだ。いや、本当にすまない。


 ベンド王子は言いたいことが終わったのか手を振って去ってしまう。不躾にならないようにその背に礼をして僕も自分の部屋に戻る。運動着から普段着に着替えている間にメイドが部屋の扉をノックした。


「アーク様。起きていらっしゃいますか?」


「はい。おはようございます」


 メイドのセシルが部屋に入ってきて俺の身嗜みを確認してくれる。まずいところがあれば直してくれるが、今日は大丈夫だったらしい。


 そのままセシルに連れられて食事に向かう。王城で暮らしているが王族の方々と席を共にするわけではなく、貴賓用の食事室があってそこへ通される。勤めている人用の食堂も別にあるので三つ以上食事の場所があるが、これは王城ではありふれた構造だ。


 王城なんて客人を招いて自分たちも暮らすんだから必然的に大きくなるし、必要な部屋の数もかなり多い。新人メイドなどは迷子になることも多いのだとか。


 そんな貴賓用の食堂に向かうと、いつもの席に彼女は座っていた。


 濡羽色の床にまで届きそうな挑発を後ろでひとふさに纏めて、湖を思わせるような透き通った水色の瞳を持った絶世の美女。今を生きている人間の中でこの人以上に美しいと言える人はいないと断言できるほど、人間の美を超えた魔女。


「おはようございます。ははうえ」


「ああ、おはようアーク。セシルも朝からご苦労」


「いえいえ、奥様。今配膳をいたしますね」


 母上と呼んでいる血の繋がりもない女性。その女性の対面に座る。


 魔女モルゴース・ル・フェ。彼女の名前こそがモルゴースのはずなのだが、何故か彼女は俺の偽名の家名に自分の名を与えた。その意味がわからない。一応人間の世界的には息子ならばフェを家名として与えるはずだ。


 まあ、偽名なんだから深く考えたって無駄か。同じ名前が入っているために俺はル・フェの息子として扱われるし、彼女も魔女ならではの文化だと伝えているせいか疑われることもない。そういうものかと納得されて終わりだ。


 俺はアルトリウスの頃の誓約で彼女の本名を呼べない。それが彼女が俺を諦めることに対して求めた対価だ。だから俺は彼女をモルゴースと呼べない。


 だから物心がついた頃から彼女のことを母上と呼ぶことにした。これなら息子としておかしくないし、俺の誓約にも引っかからない。今もアルトリウスとしての誓約が残っているかわからないけど、俺が自分をアルトリウスだと認識しているために破らない方が良いだろうと考えている。


 俺のことを知っている王家の人間や国の上位貴族が俺たち親子の家族ごっこを見たらどう思うのだろうか。彼らは俺たちの間に血の繋がりがないことを知っている。俺がドライグ王国の嫡男だと知っている。


 敗戦国の人質か、王位を失ったただの子か。魔女の息子になってしまった可哀想な子か。その辺りだろう。たまにそういう目線を向けられる。ベンド王子は知らないようだが、第一王女は知ってるから憐れむ目を向けてくる。


 そんな事実はどうでも良いんだがな。ル・フェはル・フェなりに愛してくれる。魔術の鍛錬などは厳しいが、飴と鞭は使い分けてくれる。教師としても問題ないだろう。


 ル・フェを袖にしてしまったことで罪悪感もある。彼女が望むならこの家族ごっこも続けよう。


 最後は、ドライグ王国に帰らせてもらうが。


 セシルが配膳をした食事を食べる。焼きたての白パンにサラダ、それにコーンスープだ。白パンはドライグ王国の麦を使ってるな。数年前まで王家でも黒パンを食べてたのは知ってるぞ。食料事情はドライグ王国のおかげで豊かになったが、それは翻ってドライグ王国が苦しんでいるということになる。


 息子は、ロホルはしっかりと国の運営ができているだろうか。他国の情報どころか、この国の情報すらまともに手に入らない。戦争が近くなったりその戦争の結果ならすぐ手に入れられるが、他国の食料事情なんて三歳児に伝えられるわけがない。


 色々と考えながらテーブルマナーも気にしつつ食べ進めると、ル・フェが口を開いた。


「アーク。今日の修練魔術は水です。あなたは水に一番適性がある。そこを伸ばしましょう」


「わかりました。ははうえ」


 魔術の鍛錬か。前世では感覚で使ってたし、そもそも精霊ありき・・・・・だったから理論なんてほとんど知らないんだよな。だがそこは魔女。感覚で使わせてくれるわけがない。


 剣を振るより大変なんだよな。生きていくために、ル・フェを騙すためにやるけど。

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