第87話 きっと地獄に落ちるな

 午前九時二十分、颯太たちが乗っている車は高速道路に入ると速度を上げ、目的地に向かって進んでいく。社長の話によると今日は山梨県笛吹市にある石和いさわダンジョンに行くらしい。一時間半ほどで着くそうだ。


 ダンジョンは攻略難易度によって上から神級、特級、上級、中級、初級とランク分けされている。今向かっている石和いさわダンジョンは下から二番目の中級ダンジョンである。階層も地下百階までしかなく、比較的安全なダンジョンとされていた。


 石和ダンジョンに向かう目的は「鱗玉石」を採取するためである。鱗玉石はダンジョン内でのみとれる鉱石で、黒い岩肌にエメラルド色のうろこ状の文様が特徴的である。その見た目の美しさから、加工され床や壁などに大理石の様に使用される高級な素材である。

 この依頼は、とある企業から受けたもので、鱗玉石を百キログラム納品することが今回のミッションであった。

 

 颯太は伊香保以来の久しぶりのダンジョン任務に心を躍らせていた。西に向かう中央自動車道は空いており、社長が運転する車は百キロ以上のスピードで右車線を進んでいく。

 

 ふと颯太が左を向くと、みずきが窓に頭をもたれながら寝ている。ついこの前まで夜勤の仕事をしてきたみずきだからこの時間は眠いのかもしれない。

 

 瞼を閉じていてもはっきりと主張してくる長いまつ毛……。女優と言われてもなんの違和感のない整った顔立ち。今まで何回も見たことがある寝顔であったが颯太はつい見つめてしまう。


 しばらくすると、右手を柔らかい感触が包み込んできた。右を向くと飛鳥が唇に立てた人差し指を当てながら笑いかけてくる。「内緒だよ」とでも言いたげな顔だ。


 恥ずかしそうに照れている仕草が飛鳥のかわいさをさらに高めている。飛鳥は、すぐに視線を逸らし窓の外に目を移した。しかし、飛鳥の柔らかい左手は颯太の手を先程より少し強く握ってきた。みずきが寝ている隙に自分だけ手を繋ぐ魂胆のようだ。


(仕事中にいちゃつくの禁止って二人が決めたんじゃん! めっちゃ破ってくるな! まだあれから一週間も経っていないのに……)


 そうは思いながらも、颯太の胸の中には幸せな感情が込み上げてくる。少しでもくっついていたいという飛鳥の気持ちが温もりから伝わってくる。


「はぁ……」

 誰にもわからないほどの大きさで颯太はため息を吐いた。


(ほんと……。幸せすぎるよ、俺は……。地獄に落ちるな、きっと)


 颯太は左手からも幸せを受け取っていた。二十分前、みずきは車が走り出すとすぐに、自分のカーディガンをぬぎ、颯太との間に置いた。そして、カーディガンの下から手を繋いできていた。


 青々とした山肌に沿って車は軽快に進んでく。


 ♢ ♢ ♢ ♢ ♢


 石和ダンジョンに到着したのは十一時前だった。颯太たち四人は荷物を持ってダンジョンに併設されている管理事務所に入っていく。

 有希は買いたいものがあるようで、車を走らせどこかへ向かっていった。

 

 社長の話によると石和ダンジョンは管理事務所の地下二階が入り口になっているようだ。ダンジョンに入る許可を事務所の受付でもらうと、四人はエレベーターに乗り地下二階に降りた。目の前には、黒い扉があり、そこを抜けると大きな空間が広がっていた。


 作りは以前行った伊香保ダンジョンと似ていて、壁や地面、が大理石で作られている。テニスコートほどの広さの空間に換金所や救護棟更衣室と書かれた小屋が建っていた。


 四人が受付に行くと、カウンターの向こうには二十代くらいと思われる女性が二人立っていた。

「ダンジョンに入りたいんだが」

「あ、能企の方々ですね。ようこそ石和ダンジョンへ! 本日は自由探索ですか? それとも依頼探索ですか?」


 社長が話しかけると、右手側に立っていた金髪ロングヘアでメガネをかけた女性が答えた。自由探索とは文字通り自由にダンジョン内を探索することである。依頼任務とは異なり入場するのに金がかかる。ちなみに石和ダンジョンは一人五万円が必要である。依頼任務は企業の依頼により探索する任務で入場する際に依頼表を見せることにより入場料はかからない。


「依頼探索だ」

「承知しました。では依頼票と、入場される方全員分の能企証お預かり致しますね」


 颯太たちが能企証を渡すと、女性は慣れた手つきで能企証を確認していく。すると突然、女性が叫んだ。


「えっ! 嘘! 皆さんってヴァルチャーの方々なんですか!? 」

「ああ、そうだよ」


 社長が不思議そうな顔でそう答えると、目の前にいた二人大きな声で叫んだ!!


「すごい! 夢みたいです! ねぇ! 理沙さん!」

「ほんと、すごい偶然ですね! やばい!」


 二人は顔を赤らめながら手を繋いで嬉しそうに飛び跳ねている。かなり興奮しているように見える。颯太たちがその様子をぽかんと眺めていると、理沙と呼ばれた女性が口を開いた。


「あの、私たち、ヴァルチャーのXさんのファンなんです! ねぇ、あゆみ!」

「そうなんです! あの火災現場からの救出劇見ました!! もう感動しちゃって!! すごくかっこよかったです!」


(そういうことか)


 二人の興奮の意味を知ると颯太は嬉しい気持ちになった。最近、世間では自分のことを謎の能力者Xと呼ばれていることは颯太も把握していた。しかし、こうして目の前でファンだと言われると悪い気はしなかった。


 しかし、颯太の横で、飛鳥とみずきの眉間にシワが集まり始めたが颯太は気付かない。


「あの、今日はXさんはいないんですか? もしかして、お兄さんがXさんですか? 身長も似てますし……」

 女性が颯太を見ながらそう口にしてきた。

 隣にいるもう一人も颯太を疑いの目で見つめてくる。


(やばい)


 颯太は胸が高鳴るのを感じた。


「ああ、あいつは今日は別のところで任務なんだ。ここには来てないよ。こいつは最近入ったばっかの新入社員だ。あいつみたいな活躍はまだできないよ」


「そうなんですね。残念です! 確かに、お兄さんはまだ若すぎますよね。私たちの予想ではXさんはきっと三十歳くらいの方ですから。ねえあゆみ!」

「はい。次また石和ダンジョンに来る際はXさんも一緒にお願いしますね」

「おっ! 君たちは鋭いなぁ! よし!君たちだけに教えちゃうけど、あいつは今年で三十一だ!」

「えーすごい!! ありがとうございます!」

「次くる時は連れてくるからよ! 楽しみにしててくれ!」

「はい」


 その後は二人は落ち着きを取り戻し、受付を済ませてくれた。一瞬ひやっとした颯太であったが、社長の演技によりなんとか疑いの目はそらせたようだ。


 受付を済ますと颯太たちは、更衣室に向かって歩いて行った。更衣室は男性で女性で建物が分かれている。


「それじゃあ後でな!」

「はい」

 社長の声に飛鳥が答えた。


(あれ?)


 颯太は、更衣室に入る前に見た飛鳥とみずきの表情が若干ピリついているように見えた。しかし原因もわからなかったため気のせいだと思い、颯太も更衣室に入って行った。


 






 









 

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