第83話 あの頃と同じ姿で

 日曜日の朝九時。颯太は布団の中で思い悩んでいた。もう陽は登っているはずだが、カーテンが閉じているため、光は入ってこない。室内は真夜中のように暗い。


 本来であれば昨日と今日は飛鳥とキャンプにいく日であったが、みずきとのことが決着しておらず飛鳥と二人きりで出かける気分にはならなかった。


 そのため飛鳥には申し訳ないがみずきとのことが決着するまでキャンプは延期してもらった。

 

 あの日以来、飛鳥は抱きしめてきたり、キスをしてくることは無かった。目が合うとほんのり顔を赤らめるが。


 みずきとの関係がはっきりするまで我慢しているのだろうと颯太は思う。飛鳥に気を使わせているのが申し訳なかった。


「最低だ。 俺は……。二人の人を同時に好きになってしまうなんて。あり得ないよな。死んだ方がいいだろ!」

 

 颯太は、布団の中でうずくまりながら自分を責め続けている。六時に目を覚ましてからずっとだ。


「最低だ……」


 一晩のうちに百回は自分に投げかけた言葉をまた呟く。頭の中は自己嫌悪の気持ちでいっぱいだった。


 颯太は曲がったことが嫌いだ。だから、飛鳥や社長たちの作戦も許せなかった。浮気や不倫なんてもってのほかだと思う。浮気調査の仕事が嫌いなのはそういうことを平気でする人間を見たくなかったから。


 しかし今回、自分が二人のことを同時に好きになってしまった。しかも、まだ、みずきとの関係がはっきりしないうちに飛鳥とキスまでしてしまった。平日は仕事があったため、あまり考えないで済んだが、土日になると再び考えてしまう。休みの間、自己嫌悪で頭がおかしくなりそうだった。


「でも……何度考えても俺は……」

 みずきと飛鳥が好きだった。偽ざる本心として、二人のことを想っている。自分の命以上に大切な存在として。どちらが上も下もなく。どちらも自分の人生をかけて絶対に幸せにしたい相手だった。どちらか選ぶことなど到底できるわけがない。


(世の中の人間はこういうときどうしてるんだ? いや、同時に二人の人を好きになるなんて状況に普通はならないのか……。もしかして俺って異常者なのかもな。脳が狂ってるのかもしれない)


「一度病院で調べてもらうか……」


 そんなことを考えていると、突然枕元に置かれていたスマホが光った。画面を覗いてみるとみずきから着信が入っている。颯太は慌てて電話に出た。


「あっ、颯太ー? 今どこにいるの?」

「えっ、どこって……。普通に家にいるけど」

「なら良かった。もう少しで家に着くから」

 みずきの言葉を最後に電話は切れた。


(えっ? どういうことだ? ここに来るのか!? なんで?)


 突然の連絡に颯太は焦ってしまう。とりあえず布団から飛び起き、私服に着替えると、部屋を急いで片付け始める。


(いきなりすぎるだろっ! 前もって連絡してくれよな!)


 颯太は、オーラも使用して自分の動く速度を速めたが、結局まだ片付かないうちにチャイムがなってしまった。


 夏の暑い中で待たしておくのは可哀想だと思い仕方がなく扉を開けると、そこには高校の時の制服を着たみずきが立っていた。


「あの……ミズキサン?」


 あまりにも意味がわからない状況に声がうわずってしまう。


「お邪魔しまーす」

 しかし、みずきは颯太の返事を鮮やかに無視しながら中に入ってくる。


 颯太は仕方がなく、みずきを部屋に通した。

 ベッドを椅子がわりに、部屋の奥側にみずき、手前側に颯太が座る。


 みずきを見ると、深緑色の制服を着ている。上はジャケットで下はスカートになっている。六月下旬の、だんだんと真夏に近づき気温が高くなってきているこの時期には合わない格好であった。


 しかし、その姿は三ヶ月前まで女子高生だっただけあり非常に様になっていた。黒髪のボブヘアと深緑色の制服が見事にマッチしている。通行人の誰が見ても高校生の美少女に見えるだろうと颯太は感じた。


(やっぱりみずきは可愛いな。それに、この制服。懐かしいな……)


 みずきを見ると、つい高校の頃のことを思い出してしまう。自然と懐かしい情景が頭に浮かんでくる。


(いやいや、昔を思い出してる場合じゃないだろう! この謎の状況がなんなのか聞かなければ!)


 颯太がそんなことを考えているとみずきが先に口を開いた。


「あー、暑かった!! やっぱ夏は無闇に外出するもんじゃないね!!ここは冷房が効いてて最高!」


 そう言うと、みずきは上に両腕をあげ気持ちよさそうに伸びをした。


「どうしたんだみずき? そんな格好して、しかもいきなり尋ねてきたりして」

「うん。今日はさ、颯太に話をしに来ました」

「話?」

「うん」


「なにかあったのか?」

 みずきの様子がおかしいことに颯太は不安になってしまう。心配そうにみずきに尋ねる。


「全然悪い話じゃないよ。けど……。大切な話」

 

 みずきは、そう言うとベッドから降り、下のカーペットの上に正座して颯太の方を向いた。颯太は何がなんだか全くわからないが、同じように下におり正座してみずきの方を向き、みずきの言葉を待つ。


「一年生の最初に体力をつけるために持久走を毎日したときのこと覚えてる?」

「あぁ、よく覚えてるよ! あれはしんどかったな。一日十キロは走らされたよな」

「あの時さ、体力が無さすぎていつも倒れ込んでいた私を颯太は気にかけてくれたよね。何度かおぶって学校まで連れて帰ってくれたこともあったし……」

「懐かしいな。今思うとあの頃のみずきは体力がなかったな」

「入学したばかりだったからね! 周りの生徒が異常なんだよ。あんなハードな訓練についていけちゃうなんて」

「確かに、入学してきた奴らは最初からみんなすごかったな」

 

 颯太の頭の中には三年間共に過ごした仲間たちの顔が次々に浮かんできて懐かしい気持ちになる。


「みんなが当たり前のように厳しい訓練についていく中で私だけが落ちこぼれだったよね」

「……」


 みずきの言葉に、颯太は昔の映像を思い出す。

 厳しい訓練についていけずいつも倒れたり、吐いたりしていたみずきを。


「みんながどんどん先に行っちゃう中で、颯太だけが横にいてくれたね。しかも、放課後にトレーニングまで付き合ってくれて」

「そうだったな」


(あの頃のみずきはほんと貧弱だったな。体も細かったし。それでも三年の最後の方は女子の中でもトップクラスの身体能力を持っていたもんな。よく頑張ったよ……)


 高校に入学した頃の弱々しいみずきを思い出すと今の立派な姿が嘘のようだった。放課後に颯太が提案したトレーニングを必死になってこなすみずきの姿を思い出し、目頭が熱くなってしまう。


(あれ? でも話が見えないぞ? 結局何しにきたんだ?)


 颯太がそんなことを考えているとみずきは言葉を続ける。


「私はさ、あの時、学校をやめようと思ったんだ。自分には無理だから退学しようって」

「えっ? 」


初めて聞く話に颯太は驚きを隠せない。


「今だから言うけどね。正直かなり限界だった。やめる寸前だったんだ。だけど、そんな私を颯太がいつも励ましてくれたよね。一緒にトレーニングもしてくれた。だから私は頑張れたんだよ!」


「みずき……」

 

 みずきがここまで感謝してくれているとは思わなかったため、颯太は驚いてしまう。


 みずきは涙ぐんだ目をまっすぐなこちらに向けてくる。そして、わずかに唇が震えたように見えた後、口を開いた。


「私はあの頃からずっと颯太が好き! ずっとずーっと。三年間」


 みずきはそう口にすると優しく微笑んだ。一筋の涙が瞳から溢れた。


 ものすごい量の想いの塊が心に届き、颯太は胸がいっぱいになってしまう。


(まさかこんなに自分のことを想ってくれているとは思わなかった。高校の頃から、休みの日は平気で部屋に泊まりに来てゲームしていたし、自分を男として見ているとは思わなかった。)


 幸せな気持ちはとめどなく溢れてくるのだから、目の前にいるみずきになんて言っていいか思いつかない。


「みずき……」

とだけ答える。


「ごめんね! いきなりすぎてびっくりしちゃうよね。ずっと伝えたかったんだ」

「なんで、言ってくれなかったんだ?」

「だって颯太、恋愛している暇なくなっちゃったじゃん。スキルが出るのが遅かったから……。必死で努力し続ける颯太に言えないよ……。迷惑でしょ?」


「えっ!」


 みずきの言葉に、まるで隕石が落ちてきたのではないかと感じるほどの衝撃を受けた。そして、瞬時にみずきの心を全て理解した。


「俺のことを思って言わなかったの?」

「うん」


 みずきの恥ずかしそうな顔を見た瞬間、颯太の中でみずきへの思いが爆発した。


(俺に恋愛なんてしてる余裕がないことをわかっていたから気を遣って言わなかったのか……。みずき……)


 みずきの自分を思う優しさ、気遣い、愛情。

その全てが颯太の心に伝わり満たしていく。自然と涙が込み上げてきた。


「ごめん!」

 颯太はたまらなくなってみずきに近づくと、膝立ちのまま抱きしめた。


 みずきの柔らかな感触が上半身に伝わってくる。


「颯太。大好きだよ。あの頃ずっと言いたくても言えなかったからさ……。今日はこの格好なの……」


颯太はみずきが愛おしくて仕方なくなる。強く抱きしめながら颯太も想いを言葉にする。


「俺もだよ。みずきが大好きだ!」

「えへへ! わかってたよ」


 颯太の言葉を聞くとみずきは幸せそうに呟いた。そして、強く強く颯太を抱きしめてくる。


「やっと言えた……」


満足気なみずきの声がとても愛おしかった。
















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る