第73話 二人の謝罪



 月曜日、颯太はいつもより二時間早い五時に起床した。布団から抜け出しすぐに運動着に着替えると、家を出てジョギングを始める。

 

 六月半ばを過ぎた現在は日中は三十度を越すことが多く、非常に蒸し暑いが、朝のこの時間はまだ、過ごしやすい。

 まだ薄暗い道を颯太は足早に駆けていく。時間が早いためか人に出くわすことはあまりない。

 犬の散歩をしている人や、新聞の配達をしている人を少し見たくらいだった。


 一時間ほどでジョギングを終えると、颯太は自宅に戻り、すぐにシャワーを浴びた。

 シャワーが終わると髪を乾かし、昨晩の残りの野菜炒めに加えて、味噌汁としゃけを焼き、簡単な朝食を済ませた。 


 テレビをのんびりと見た後、洗い物を済ませると、カーテンから日の光が差し込んでいることに颯太は気づいた。

 カーテンを開けると雲一つない晴天が広がっている。その光景を見て颯太は

「良い天気だ」

 と呟いた。

 

今日の天気はまるで自分の心の中を表しているようだと颯太は感じる。


 土曜日と日曜日の二日間、颯太は思いっきりリフレッシュした。

 

 土曜日は朝から山登りに行き、頂上での食事を楽しんだ。下山した後は温泉施設に立ち寄り、サウナや温泉で疲れを癒した。

 

 日曜日は午前中をたっぷり布団の中で休んだ後、午後は漫画喫茶に行き、お気に入りの作品や、最近映画化された作品の原作を読んだ。読むのに疲れてきたらマッサージシートに席を変え、ひたすらマッサージを楽しんだ。


 そして漫画喫茶から出ると、夕飯にはお気に入りのラーメン屋で濃厚豚骨ラーメンを食した。


  窓の外を眺める颯太の心にもう澱みはなかった。心も身体もリフレッシュした颯太は、心のもちようが変わっていた。


 初めはひたすら、社長たちと飛鳥に嫌悪感を抱いた颯太であったが今は違う。


土日でしっかりとリフレッシュし、冷静に今回のことを振り返った颯太の心にはもう怒りや苦しみの気持ちはない。


 

 たとえ、純粋な思いからじゃなかったとしても。

 みんなは俺に親切にしてくれた。

 特に、飛鳥さんは……。

 いつも自分を励ましてくれた。

 わからないことはなんでも教えてくれた。

 毎日とびきり美味しいお弁当を作ってくれた。


 (感謝しよう。みんなが自分にしてくれたことの全てに……)


 颯太は社長や有希、飛鳥がくれた優しさだけを受け止めることにした。たとえそれが純粋な動機からじゃなかったとしても、三人の優しさが全て偽物とは思えなかった。


 颯太は迷いのない心で青空を見つめる。


(もう一度みんなと一から関係をやり直そう。今度は嘘偽りのない本当の姿で……。やっぱり俺はみんなが好きだ。ヴァルチャーが好きだ。そして、飛鳥さんのことも……)


 颯太は今回のことでたくさん傷ついたが。悩んだ末に辿り着いた答えは明快であった。なんだかんだ自分がヴァルチャーのみんなを好きなことに気付くと、もう迷いはなかった。


 颯太は七時半までゆっくりすると服を着替え、玄米茶を飲むとスキルを使った。


 ♢ ♢ ♢ ♢ ♢


 颯太が八時に出勤して、しばらく経った後も会社には誰も来なかった。

 社長や有希が会社にいないことはよくあることであったが、飛鳥がいないことは今までなかった。颯太は少し心配になったが、もしかしたら社長達と出掛けてるのかと思い、そこまで深く考えなかった。


 颯太が三階のみんなの机に並べてあるオフィスに向かうと、自分のパソコンの前に一枚の付箋が貼られていた。


 そこにはこう書かれていた。

「十六時には出勤する。話したいことがあるから颯太も会社にいてくれ。猛」


 颯太は付箋をパソコンから剥がすと、壁にかかっているホワイトボードの前に移動する。

 ヴァルチャーではこのホワイトボードで依頼を管理している。仕事の依頼内容は全て封筒に入れられ、ホワイトボードに磁石で留められている。


 颯太は、今日やるべき仕事の封筒を開いた。

 今日の仕事は、午前中は結婚相手の身辺調査一件。午後は十四時に依頼人への浮気調査の結果報告、十八時からの浮気調査であった。

 颯太は早速、身辺調査に取り掛かった。


 ♢ ♢ ♢ ♢ ♢


 午後、十六時すぎ。颯太が地下のトレーニング室でベンチプレスをしていると扉が開き、スーツ姿の社長と有希が入ってきた。

「お疲れ様です! 話があるんですよね! 会議室に行きますか?」

 颯太がすぐに筋トレ道具を片付け、そう尋ねると、社長は深刻な顔をしながら、

「いや、ここで良い」

 と口にした。


 そして、社長が有希になにやら目配せをすると、二人は突然しゃがみ始め、颯太の目の前で土下座をした。

「えっ?」

 あまりの出来事に颯太が言葉を失っていると有希が土下座の体勢のまま、顔だけを上げ口を開いた。


「颯太! 今回の件、本当に申し訳なかった!!」

 有希は、いつも飄々としているのが嘘みたいに深刻な顔をしている。


「えっ?」

 颯太が呆気にとられていると今度は社長が、口を開く。

「飛鳥がお前を騙していたことだ。俺たちも同罪だ。その作戦を知っていて止めなかったのだから。本当にすまなかった」


 社長が頭を下げるのに合わせて、有希も再び頭を下げた。


 二人の謝罪の意味を理解して、颯太は慌てて口を開く。

「そんな! やめてくださいよ! 土下座なんて、起き上がってください!」

 一平社員である自分に向かって土下座をしてまで頭を下げる二人の姿勢に颯太は困惑してしまう。二人の土下座をやめさせようと必死だ。


「いや、良いんだ。今回、颯太には相当嫌な思いをさせてしまったな。私たち家族の連帯責任だ。本当にすまなかった」

 有希が申し訳なさそうに顔を歪ませる。


「ちゃんと話は聞きますから、起き上がってくださいよ。僕なんかにそんな体勢で頭下げないでください」

 颯太は必死に頼み込むが二人は体勢を変えようとすない。


「颯太。一つ頼みがあるんだ!! どうか聞いてほしい」

「なんですが?」

 社長の次の言葉を颯太はじっと待つ。


「飛鳥が何も食べないんだ。さっき会ってきたが、抜け殻のようになっちまって衰弱してた。土日の間もなにも食べなかったらしい」

「あんな風な飛鳥を見るのは初めてだった。私たちがいる間も、颯太に嫌われたと言ってずっと泣いてたよ。ずいぶんやつれてた」


 社長と有希の話を聞いて颯太は呆然としたが、なおも二人は言葉を続ける。


「元はといえば俺たちがいけなかったんだ。飛鳥には子供の頃からずっと負担をかけてきた。何度も会社の経営のことで飛鳥に心配をかけてきたんだ」

 社長は後悔と反省が入り混じった顔をしている。


「ああ、飛鳥は中学生の頃も高校生の頃も全てを投げうって会社を支えてくれた。いつしか私たちは飛鳥の優しさを当然のように思ってしまっていたんだ」

 有希も鎮痛の面持ちでいる。


(そういえば飛鳥さん、前に不満を漏らしていたな……)

 二人の話を聞いて、以前飛鳥と二人で食事をしている時に飛鳥が愚痴を言っていたことを颯太は思い出した。


「今回の作戦は全て、俺と有希のためにやってくれたものなんだ。方法が、間違っていることに気づいていたが、それを指摘しなかった。俺たちも同罪だ。本当にすまなかった!」

 二人は再び頭を下げた。


「もう、謝罪は大丈夫ですから頭を上げてください!」

 颯太がそう言うも二人は体勢を変えようとしない。

 仕方がなく颯太は訪ねる。

「それで、頼みってなんなんですか?」


「飛鳥のことを許してやってほしい! 今回のことで俺らや会社の事を嫌になってしまうのは仕方がない。でもそれでも飛鳥のことだけはどうか許してやってくれ!!」

 社長は今までで一番大きな声を出した。

 必死さが伝わってくる。


「あいつは、ぶっ飛んでいるところもあるが、人を目の前にして嘘をつくような人間では絶対にない。お前を好きだと言ったのなら。それは間違いなく本当の気持ちだ。もう一度だけ、飛鳥を信じてやってほしい」

 有希も社長に、続いてくる。


 颯太は二人の飛鳥を思う気持ちが伝わってきて胸の中が暖かくなるのを感じる。


(もしかして、飛鳥さんって……)

 それと同時に本当に自分のことが好きなのかもという考えも浮かんできて胸が高鳴る。



「もし、颯太が会社を嫌になってしまったのなら、転職してもかまわねぇ。でも飛鳥のことだけは頼むよ」


 社長のその言葉を聞いて、二人に抱いていた嫌悪感や不信は全て消え去った。飛鳥を思う熱い思いにむしろ颯太は二人のことがさらに好きになった。


「頭をあげてください」

 颯太が静かに呟くと二人は顔を上げる。二人と視線が交わると颯太は穏やかな表情を浮かべながら口を開く。


「安心してください。僕は社長も有希さんも好きですよ。もちろん飛鳥さんのことも」

 颯太の言葉を聞くと二人は驚くように目を見開いた。

 二人の驚きの感情を肌で感じながら颯太は言葉を続ける。


「確かに、初めはショックでしたが休みの間にゆっくり考えたんです。そしたら作戦のことを抜きにしても、皆さんは僕に優しくしてくれたなと思えたんです。有希さんは僕の力を開発してくれました。社長は僕を信頼してミッションボーナスをつけてくれました。飛鳥さんは、何度も僕を助けてくれました」

 颯太の言葉を二人は息を呑んで聞いている。


「だから僕はこの会社が好きです。もう一度、一から皆さんと頑張っていきたいです! 心を一つにして」

 颯太の思いを知って感動したのか二人は泣いていた。颯太も、瞳に涙が浮かぶのを感じていた。


「ありがとう! 本当に!」

「でももう、隠し事とか騙すのはやめてくださいね」

「約束するよ」


 社長達はようやく立ち上がり、颯太と固い握手を交わした。

 颯太はすっきりした気持ちを抱えていたが、それ以上に頭の中は飛鳥のことでいっぱいだった。


 颯太は仕事終わりに飛鳥の家を訪れることを決めた。


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