第71話 失意の中で

 午後十時、颯太は一人、八王子の街を歩いていた。一時間近く張り込んだ甲斐があり、ターゲットだった男の浮気現場を抑えることができた。

 これで、今日やるべき仕事は全てやり終えた。


 普段だったらすぐに家に帰って風呂にでも入って休むのだが、今日はそんな気分ではなかった。


 いつもと同じように歩いているはずなのに、一歩一歩、いや全身がひどく重く感じられた。

 黒くどんよりとした感情が心の中に渦巻いており、颯太はただなんとなく夜の街を彷徨っていた。



「はぁ……」

 もう何回目かもわからないため息が口から溢れる。飛鳥の話を聞いてから、止まらなくなってしまった。心をぐちゃぐちゃにされたような最悪の気分だった。


 よくこんな状況で仕事を頑張ったなと、聡太は自分を、褒めたくなる。張り込んでいる最中も考えていることは全て飛鳥のことだった。

 考えたくなくても頭から離れてくれない。

 呪いみたいだなと颯太は思う。


「はぁ……」

 颯太は再びため息を吐くとなんとなく上を見上げた。遠くに、八王子で一番高い建物。ミレニアムタワーが見えた。

 以前会社のみんなと屋上に行き、街を眺めた場所。飛鳥が二人きりで街を案内してくれた時に行った場所。


 颯太は、込み上げる思い出に、胸がいっぱいになった。背中のリュックから玄米茶を取り出すと一気に飲み干す。

 そして、ミレニアムタワーの屋上に向かって能力を発動させる。


 〇.一秒後、颯太はミレニアムタワーの屋上に立っている。颯太はビルの端まで歩いて行き、足を下に垂らすようにして腰掛けた。

 目の前に眩しいくらいに輝く夜景が広がっていた。立川や府中の夜景はもちろん、都内の方の灯りまで見ることができた。


 前に飛鳥と見た夜景はあんなにも輝いて見えたのに、今は全ての光が澱んで見える。大人の汚い営みが街を漂っている気さえした。


「あぁ。しんどい……」

 胸に抱える苦しみが、自然と言葉になってもれてしまう。


 社長や有希、そして飛鳥に裏切られたという思いが頭を埋め尽くしていた。


 限りない喪失感……

 圧倒的な悲しみ……

 深い失望……


 負の感情がとめどなく颯太の心を蝕んでいく。


(俺は、俺は本当のところ、何も信用されてなかったんだ。厳しい会社の状況を知った上で頑張っていくって誓ったのに、俺の思いは何も伝わってなかったんだ。俺を惚れさせる作戦なんて、ひどすぎる)


 颯太の頭の中には、ヴァルチャーの三人と過ごした思い出が、次々と浮かんでくる。その思い出のどれもがみんなで笑い合っている映像だった。


 思い出を振り返ると颯太の瞳からは涙が溢れてきてしまう。


 大好きだった。

 社長も有希も。

 そして誰よりも飛鳥を。


 自分の本当の能力を開発してくれた有希。

 自分に期待をしてくれる社長。

 全てを包み込むような優しさで自分を支えてくれた飛鳥。


 この二ヶ月間、ヴァルチャーに入ることができた自分は最高の幸せものだと確信していた。

 お金はなくても、仕事がなくても。

 この人たちと働けるのは最高だと。


 会社のみんなのためならどんなことでも頑張っていこうと思っていた。


 今日までは……。


 大好きだった人たちは自分を騙していた。

 しかも、最も信頼していた飛鳥さんが中心となって……。


 二ヶ月間毎日一緒にいただけあって、飛鳥の顔はすぐに思い浮かべることができる。

 まるで天使かと思ってしまうほどの美しい顔立ち。自分を励ましてくれる時の暖かい微笑。頬を真っ赤に染めながら恥ずかしがる飛鳥。


 正直、仕草や表情の全てが愛しく思えてしまうほど、飛鳥に惹かれてしまう自分がいた。


 でも、それは全てまやかしで、偽物だった。

 自分を騙すための演技だったのだ。


「飛鳥さん……。ひどすぎるよ」

 颯太は頭に浮かぶ飛鳥に向かってつぶやいた。

 騙されていたことを知った後も、頭の中に浮かぶ飛鳥の顔は悔しいほどに美しかった。


(なんだよ。俺のことが好きって。バカにするのもいい加減にしてほしい! あんな綺麗な人が俺なんか好きになるわけないだろ! どうせ騙していたのがバレたから、誤魔化そうとしただけだ。まったく……勘弁してくれ! 信じられるわけないだろ!)


 颯太は、自分に対する評価がもともと低かった。飛鳥みたいな絶世の美女が自分を好きになるなんて夢にも思わない。飛鳥の告白は一ミリも心に入ってこなかった。



 颯太は、圧倒的な失望と失意の中で一つの結論に辿り着いた。

 それは、


(もう、あの人のことを信じるのはやめよう。

 だって、人を騙しておきながら、あんなにも無邪気に笑える人なんだから……)


 ということであった。

 颯太は、飛鳥に対して完全に心を閉ざした。


 颯太は誰もいない屋上でしばらく泣き続けた。

度々、振動するスマホを颯太は触りもしなかった。




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