第70話 心に届かない

「な、なんで颯太がそこにいるんだ?」

 しばらくの沈黙の後、社長がやっと言葉を絞り出した。


「透明になって足音を立てずに歩く訓練をしていたんです。今日、尾行している時に気づかれてしまったので。盗み聞きするような形になってしまって申し訳ありません」

 颯太は自分がここにいる理由をしっかり説明した。その上で、もう一度尋ねる。


「それで、さっきの話はどういうことですか」

 聡太の質問に飛鳥と社長は再び沈黙する。社長はしまった。というような顔をしており、飛鳥は顔面が蒼白になっていた。


(俺を飛鳥さんに惚れさせて、転職させないようにする作戦?? なんだよそれ……)


 颯太は、二人の会話を聞き、地球の自転が止まったのかと思われるほどのショックを受けた。

 初めはただの社長の冗談かとも思ったが、飛鳥の反応を見ると、そうとは思えなかった。


(嘘だろ? 信じられない……信じたくない)

 頭の中で必死に否定しようとするが目の前に立つ飛鳥の反応が、話が事実だということを物語っているように感じた。


 次第に颯太の鼓動は速まっていく、しかし、それと同時に全身から血の気が引いていくような感じもあった。


「ごめんね。颯太くん。ちゃんと全部話すから。こっちにきて」

 そう口にする飛鳥の顔は、不安や焦り。後悔。全てを同時に含んでいるような顔をしていた。颯太は飛鳥のこんな顔は今までに見たことがなく、一瞬たじろいでしまう。


「おい、飛鳥!」

 颯太と二人きりになろうとする飛鳥に社長は声をかけるが、

「颯太くんと二人きりにして」

 と飛鳥が口にしたため、社長は二人を見送ることしかできない。


 飛鳥の後を颯太は黙ってついていく。


(俺に転職をさせないために、飛鳥さんは優しくしてくれてた?? いくらなんでもそんなことありえないだろ!! あの優しい飛鳥さんがそんなことするはずない! 社長たちが命じたのか?? いや、そもそも。俺に見せる優しさも初めから全部演技だったのかもしれない!! 考えてみれば飛鳥さんは初めからずっと優しかった。異常なほど……。いや、まさかな! でも、もし本当に、そんな作戦が行われてたとしたら……)


 颯太の頭の中はぐちゃぐちゃだった。でも、一つだけわかることは、飛鳥がもしそんな作戦をしていたのだとしたら…


(心が耐えられない)

 

 会社に入ってから最も信頼し、尊敬してきた飛鳥さんだ。颯太は祈るような気持ちで飛鳥の後に続いて会議室に入った。


 飛鳥は颯太の奥、窓側の椅子に座った。テーブルを挟んで颯太は扉側の椅子に座る。


「ごめんなさい!!!」

 颯太が、座るや否や飛鳥は頭がテーブルに当たるほど下げながら大声で謝ってきた。

「何がですか?」

 

 颯太は冷たい声を発した。二ヶ月間、尊敬と親しみを込めて飛鳥に接してきた颯太であったが、今はどうしてもいつも通りに振る舞えない。


 顔を上げた飛鳥が、颯太の顔を見てくる。颯太があまりにも厳しい表情を浮かべているからか飛鳥は一瞬怯えた表情をした。


「さっきの話なんだけどね。ごめんなさい。颯太くんの能力がわかった時に、どうしても会社に残って欲しくて、私がお父さんとお母さんに言って始めたの。私が颯太くんと仲良くなって、颯太くんがもし私を好きになってくれたらいいなって思って」


 飛鳥の言葉を聞いた颯太は戦慄した。


(嘘だろ? 社長や有希さんが命じたことじゃないのか? 飛鳥さんが考えたことなのか??)


 あまりにショックすぎて颯太の頭はくらくらしてくる。もし布団が目の前にあるのなら今すぐ倒れ込みたいぐらいだ。


「会社のために……ですか?」

「うん」

 飛鳥の言葉を受けて、颯太の胸は悲しみでいっぱいになった。今まで何度も辛い目にはあってきたがこんな悲しみは初めてだった。


「でもね! 本当に最初の頃しかこの作戦はやってないんだよ! すぐに辞めたの! こんなのダメだと思って!! お父さんとお母さんには言ってなかったけど、本当にすぐに辞めたんだよ! お願い! 信じて!!」

「……」


 飛鳥は、泣きそうな顔をしながら必死に訴えかけてくるが、颯太からしたらそもそもの作戦自体がありえなかった。自分の会社に残らせるために恋愛感情を利用すると言った考え自体がありえなかった。飛鳥の説明は何も颯太に響いてこなかった。


 無言でいる颯太に飛鳥は言葉を重ねてくる。

「作戦を辞めたのはね。颯太くんに申し訳なくなったからだよ。颯太くんはいつも私に優しかったし、会社のために本気で頑張ってくれた!

 うちの会社の状況を知っても会社に残るって言ってくれた。そんな颯太くんだったから私もすぐに反省して辞めたんだ。ごめんなさい!! 絶対に許されることじゃないとは思うけど。今回だけは許して」

 飛鳥は再び頭を下げた。ガンっという音が響くほど強く頭をテーブルにぶつけながら。


「お弁当を作ってくれたり、街を案内してくれたり、一緒に出かけてくれたりしたのも、全部作戦だったんですか? 今まで優しくしてくれたのは、全部……」

 颯太はそう口にしながら、眼に涙が浮かんでくるのを感じた。飛鳥の今までの優しさが全て偽物だったのではないかという思いが心を締め付けてくる。


「違う!! 違うよ! いや、お弁当とか、街を案内とかは最初は仲良くなるためにやったことだけどさ、それは最初だけで! 作戦を辞めてからは本当に自分のそのままの心で颯太くんに接してきたよ!!この前、都内に行ったのだって自分が行きたかったからだもん!! お願い!! 信じて! 颯太くん! 私はずっと演技も作戦も何もしてないよ!」


 飛鳥は顔を真っ赤にしながら叫んでいる。なにがなんでも颯太にわかってもらいたいと言う気持ちが見て取れる。


 しかし颯太はまだ釈然としなかった。飛鳥のそうした姿さえ、全て演技なんじゃないかと思えてきてしまっていた。街をを案内してくれたことも、楽しかった都内のデートも、この前の事件後からやたらとしてくるようになったハグも。

 全てが計算なんじゃないかという不安が颯太には拭えなかった。


(普通、自分に惚れさせて、転職させないようにするなんてこと考えもしないだろ! 最低すぎる! 何を言われても信用できないよ)


 颯太は基本的に曲がったことが大嫌いだ。嘘や誤魔化しなど、最も嫌うところであった。色々と言い訳をされても今回の作戦を考えて実行した飛鳥のことを以前と同じようには見れなかった。

 颯太はなおも飛鳥に冷たい視線を向けている。


 そんな颯太の刺すような視線を受けて、飛鳥は、意を決したように息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。


「あのね。本当はこんな場所で、こんな状況で、言うことじゃないのはわかってるんだけどね。颯太くんにどうしても言いたかった事があるんだ」

 飛鳥が今までと表情が変わり、なにか緊張感を帯びた顔つきになったことに颯太は気づいた。心なしか僅かに顔も赤くなっているように見える。

 颯太は少し身構える。


「それはね……。私は颯太くんのことが好きなんだ」

「えっ?」

 思ってもみない飛鳥の言葉に颯太は言葉を失う。

「ごめんね。こんな状況で、言いたくなかったんだけど。本当なんだ! 私は颯太くんが好き!本当に大好きなの!!」

 飛鳥は顔を真っ赤にしている。

 颯太は呆気に取られていてなにも喋れない。


「アホかと思われるかもしれないけどさ、颯太くんに好きになってもらいたかったんだけど。私の方が颯太君に夢中になっちゃったんだ。もうずっと前から颯太君のことが好きなの!!」


 飛鳥に告白された瞬間、颯太の心は確かに一度ときめいた。それと同時に大きな喜びも心から溢れ出し、身体中を駆け巡りそうになった。しかし、颯太はその感情を無理やり封じ込めた。

 

(もう騙されたくない)


 という心を守る防衛反応が働いた。颯太は冷たい表情を少しも崩さず判決を待っているような飛鳥に言葉を投げかける。


「その告白も、僕を引き止めるための作戦ですか?」


 颯太の言葉を受け、飛鳥は全力で頭を振って否定する。

「違うよ!! 絶対に違う!! 本当の気持ちだよ!! 心からの! さすがにこんな大切な気持ち。嘘で言わないよー!」

 飛鳥はたまらず、大粒の涙を流し始める。

「お願いだよ! 信じてよぉ! 本当に大好きなんだから!」


 泣きじゃくる飛鳥を目の前にしても颯太は、表情を崩さない。

「やだよ! やだ!! 疑わないで! これは作戦でもなんでもないんだって! 本当に颯太くんが好き! 転職したっていいからさ。嫌いにならないでよ!!」

 飛鳥の涙は止まらない、飛鳥の瞳から落ちた雫はテーブルや飛鳥のスーツを濡らしていた。


「そんなの、信じられるわけないじゃないですか! 僕は会社のためにどこまでも尽くしていく覚悟はとうにできていました! それなのにそんな卑劣な作戦を実行するなんて、たとえ飛鳥さんでも許せません」

 颯太は思いの丈を口にした。飛鳥をこれ以上泣かせたくはなかったが仕方がない。自分の思いを正直に伝える。


「颯太くん……」

 飛鳥は自分の気持ちが伝わらないばかりか、信じてももらえないことをさとり絶望の表情を浮かべる。


「僕を好きだなんて、信じられるわけないです。もうやめてください」


 飛鳥みたいなずば抜けた美貌を持ち、人当たりも柔らかい人間が、自分なんかを好きになるわけがないと颯太は本気で思う。ただ、今回の状況を切り抜けようとしているだけにしか見えなかった。


「ほんとだってば!! 颯太くん、心の中を覗けるスキルあるよね? あれ私に使ってよ!!

 そしたら私の気持ちが全部わかるから!!

 お願い! スキルを使って!!」

 飛鳥の顔はもう涙でくしゃくしゃになっている。


 しかし、飛鳥の必死の言葉も颯太の心には響かなかった。


「すみません。もう次の仕事に行く時間ですね。行ってきます」


 颯太の言葉を受けて、部屋の壁にかかっている時計を飛鳥が見るとそこには二十時四十五分と表示されていた。次の浮気調査のターゲットが会社から出てくる時刻に近づいていた。


「待って! 私も行くよ」

「僕だけで大丈夫です。顔も覚えていますし」

「じゃあさ、後でまた電話するからまた話そう! お願い!」

 飛鳥がそう口にするのが聞こえたが、颯太は黙って会議室を出た。





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