第68話 病室にて


 事件の次の日の午後一時。警察が発表した情報で世間は騒然となった。二家族の集団失踪事件の犯人は影心会であること、七名の被害者が残虐な暴行を受けた上でバラバラにされ、海に撒かれていたことなどが明らかになり、人々は大きな衝撃を受けた。

 

 犯人の検挙に多大な貢献をした颯太とヴァルチャーには、大きな注目が広がっていた。

 社長と有希が警察関係者や他の企業能力者達には口止めをしたため、謎の能力者Xが颯太だとバレることはなかった。


 ヴァルチャーはまた株を上げた。しかし、世間のムードは以前の火災現場からの救助の跡のようなお祭ムードではなかった。

 事件が解決した喜びよりも亡くなってしまった七名への追悼の気持ちと、反社会勢力への反感が広がっていた。


 なお、警察は人工能力開発薬の情報は伏せていた。世間が混乱することを恐れての処置であった。



 ♢ ♢ ♢ ♢ ♢


 警察が事件の情報を発表した二時間後の午後三時。

 颯太は町田市にある町田市立総合病院の四階の廊下を歩いていた。検査のために入院した飛鳥を見舞うためだ。

 廊下を歩いていると、消毒液のような、石鹸のような病院内の独特な香りが鼻に届いてくる。

 颯太はこの独特な匂いが嫌いではなかった。


「四一三。ここだ」

 颯太は、ノックをしようとしたが、中の電気が消えていることに気づき、寝ていたら起こしてしまうと思いやめた。なるべく音を立てないようにゆっくりと扉を開いて中に入った。


 目の前には、着替えをしている飛鳥がいた。

 上は黒のTシャツを着ていたが、下半身は下着しか身につけていなかった。ちょうど紺色のスカートを履こうとしていたようで、飛鳥は片足だけスカートの中に入れている。太ももの付け根のピンク色の下着を颯太ははっきりと見てしまった。


 視線を上に上げると飛鳥は呆然とした表情でフリーズしている。

 が、すぐに顔を真っ赤に染め叫んだ。

「きゃあ!!」


「すみません!」

 颯太は謝りながら慌てて後ろを向く。

「もお! ノックしてよぉー」

 後ろから恥ずかしそうな声と、慌てて服を着ているのか、布が擦れる音が聞こえてくる。

「すみません! 電気が消えていたので、てっきり寝ているのかと思って!」

 颯太は慌てて言い訳をする。飛鳥のあられのない姿を見てしまい、一瞬で心臓の鼓動が高鳴る。

「まったくー!でもそう言う理由なら許すよ。

 もうこっち向いていいよ。着たから」

「すみませんでした」

 飛鳥の方を向いた颯太は再び頭を下げる。すると、なんか前にもこんなことがあったなと感じた。

「良いよ! 颯太君には出会ったその日にもう裸も見られちゃってるしね。責任は取ってもらうけど……」

「すみません……」

 二ヶ月前の大失敗を本人から指摘され颯太の頭の中は申し訳なさでいっぱいになる。そして飛鳥の最後の言葉は小さすぎて聞き取れなかった。


「あの、身体の方はもう良いんですか?」

 颯太は頭を上げると飛鳥の全身を見ながらそう尋ねる。紺色のロングスカートに黒のTシャツというシンプルな組み合わせであったが飛鳥が着るととても似合っていて颯太は

(モデルみたいだな)

 と思ってしまう。


 おそらく化粧も何もしていないであろう顔は、普段との違いがわからないぐらいに美しい。いつもはポニーテールにしている髪も今日は下ろしており、それがまた飛鳥の魅力をかき立てている。

 飛鳥と出会ってから二ヶ月は経つ聡太であったが、その圧倒的な容姿にいまだに見惚れてしまう。

 そして心なしか、飛鳥の顔が赤いのが気になった。


「もう全然大丈夫だよ! 顔のあざも治してもらったしね。お腹も痛くないよ!」

「退院はいつなんですか?」

「もう帰って良いって! だから着替えてたんだ!」

「そうですか。良かったです! 本当に」

 颯太は心から安堵の表情を浮かべる。飛鳥に大した怪我がなくて本当に良かった。もし後遺症か何かが残ってしまっていたとしたら遅刻したことを死ぬほど後悔するところだったと、颯太は胸を撫でおろす。


「颯太君のおかげだよ。颯太君がいなかったら今頃生きてないと思う! 本当にありがとう! 颯太君は私の命の恩人だよ」

 そう言うと、飛鳥は深々と頭を下げた。

「そんな! 大袈裟ですよ! 飛鳥さん」

「全然大袈裟じゃないよ! 本当に感謝してる! それに、あんな強い人たちを簡単に倒しちゃう颯太君……。とってもかっこよかったよ!」

「ありがとうございます」

 飛鳥に褒められ、颯太は嬉しい気持ちと照れる気持ちが込み上げてくる。特にかっこいいなんてあまり異性から言われたことがないため、特に嬉しかった。


 飛鳥の眼には昨日と同じように涙が浮かんでいる。救助後の時と同じようにトロンとした目をしながら颯太に近づいてくる。


(また、あの顔だ……。 本当に熱とかないのか? 顔真っ赤だぞ?)

 飛鳥の頬は赤く染まっていて、瞳はうるうるしている。その顔があまりに色っぽすぎて颯太は目線を合わせられない。


「あのさ。また、ぎゅってしても良いかな?」

「えっ……」

 颯太が戸惑っている間に飛鳥はすっと颯太の首に腕を回してくる。シャツ越しにも伝わってくる飛鳥の鼓動と温もりに颯太の体は熱を帯びる。


「颯太君。ずっと信じてたよ!! 必ず助けてくれるって! 何回も死んじゃうかもって思ったけど颯太君のこと考えて頑張ったんだよ!」


 抱きしめてくる飛鳥の身体は小さく震えていた。

 飛鳥の言葉と震えから昨日の恐怖の感情が伝わってくる。


(あんなに凄惨な現場にいて、自分も暴力を振るわれたんだもんな。怖くて当たり前だよな……。体に問題がなくたって。心にはダメージがあるかもしれないし……。というか死ぬ恐怖をまざまざと体験したんだから絶対あるよな。こんな風にハグをしてくるのは安心を求めているのかもな。飛鳥さんが嬉しいならいくらでも抱きしめよう。俺も嫌じゃないし……)

 

 心に与えられたショックで人間がPTSDなどになってしまうことを颯太は知っていた。元気そうに見えてもしばらくは飛鳥の心のケアをしていこうと、颯太は思う。


「飛鳥さんはよく頑張りましたよ。もう二度と飛鳥さんを危険な目に合わせませんから。ちゃんと僕のそばにいてくださいね」

「うん」

 颯太の発したまるでプロポーズのような言葉が飛鳥は嬉しかったようで颯太の頭の横で嗚咽し始める。

 飛鳥の鳴き声を聞きながら颯太は、自分が口にした言葉に自分で驚いていた。


(僕のそばにいてくださいねって! キモ過ぎるだろ!! 何言ってんだ俺!! 飛鳥さんの醸し出す色気が俺をおかしくさせてるのか? あーはずい……)

 自分が発した言葉に身が悶えてしまう颯太であったが、冷静に考えると、自分の言葉の意味が後になってわかってくる。


(いや。俺にとって飛鳥さんは、何が何でも守りたい存在なんだな。もう特別なんだ……)

 飛鳥が先に突入したと聞いてとき、颯太は異常なぐらいな焦りを感じた。飛鳥が拘束され、暴力を受けたことを知ったとき、はらわたが煮えくり返るぐらいの怒りがこみ上げた。そして今日、飛鳥の身体が無事だと知ったとき、心からの安堵を感じた。

 自分の中で飛鳥がとてつもなく大きな存在になっていることを颯太は認識した。


「ごめん。なんか颯太君にくっついてると安心するんだ。嫌だったかな?」

 しばらく時間が経って、飛鳥は颯太から離れた。その顔に涙はもう浮かんでいないが表情はまだ真っ赤だった。恥ずかしそうにそうつぶやく。

「全然嫌じゃないですよ! 安心するのなら良かったです」

「ありがとう」

 飛鳥は嬉しそうに微笑んだ。


 少しの間が空いた後飛鳥が口を開いた。

「あのさ……、颯太君」

「はい?」

「……」

「飛鳥さん?」

「ううん。やっぱり何でもない」

「なにかありましたか?」

「ううん。いいの」

 颯太は飛鳥の雰囲気から何か大切が話があるような気がした。しかし、聞き返しても飛鳥は答えない。


「そうですか」

「うん」

 颯太がそう答えると、飛鳥は急に笑顔になって口を開いた。

「あのさ、今週こそはキャンプに行きたいな! ずーっとおあずけだったし」

「そうでしたね! じゃあ行きましょうか!」

「うん! 絶対に行こう!」

「じゃあ残りの浮気調査の仕事早く片付けなきゃですね」

「うん! よし! 全力で仕事終わらせてキャンプに行くぞーー!!!」

 飛鳥は満面の笑みを浮かべている。その笑顔を見て颯太は少し安心した。


 しばらくすると、飛鳥の荷物がまとまったので二人は病室を出た。

 今日は火曜日。週末に向けて二人は燃えていた。

 病院の廊下を歩きながら颯太は、飛鳥さんに何のキャンプ飯を御馳走しようか考えていた。久々のキャンプに颯太の胸は弾んでしまう。




 しかし、今週もキャンプに二人が行くことはなかった。

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