第55話 突然の依頼

 午前十時三十五分。証拠写真撮影完了。

今からちょうど三時間前に妻に対して笑顔で「行ってきます」と口にし、家を出た男は、二〇代と思われる女性と立川駅南口の大通りに面したホテルに入って行った。

颯太は透明化スキルを使い、二人のすぐ後ろをついていくと至近距離から部屋に入ろうとする二人を撮影した。


 午後四時四十一分。証拠写真撮影完了。

 昼からパートに行くはずの女性は、職場に向かわなかった。

午後二時に多摩市にある遊園地の入り口で男と待ち合わせをした女性は、園内を楽しそうに遊び始めた。二人は三時間近く手をつないでアトラクションを楽しんだ後、観覧車に乗った。乗っているゴンドラがちょうど一番頂上に来るとき、二人は唇を重ねた。富士山がくっきりと見える青空と、差し込んでくる夕日が美しい時間だった。透明化スキルと飛行スキルを使った颯太は窓の真横からそのシーンをしっかりと撮影した。


 午後七時二十一分。証拠写真撮影完了。

仕事終わりに、府中駅前にある会社を急いで飛び出した男性は、午後六時に聖蹟桜ヶ丘駅で前で女性と合流し、駅前のカラオケボックスへ入って行った。一時間ほど、歌を楽しんだ後に、その瞬間は訪れた。二人は、キスをし始め、やがて男性の手が、女性の服の中へ入り込んでいった。

 颯太はしっかり写真を撮るとすぐにカラオケを出た。


「大丈夫? 颯太君。顔が死んでるけど……」

「……」

駅前のベンチに座っている颯太はぐったりと空を見上げている。今日一日で三件の調査を終了することができたが、張り込み時間の長さと、他人のプライバシーを侵しているという気持ち悪さが相まってグロッキーになっていた。以前にも何回か浮気調査は行ったことがあるが、自分にとって一番嫌な仕事だと颯太は今回改めて感じた。


 今は日曜日の午後七時半。水曜日に依頼が入った分の浮気調査は今日で全て片付いた。しかし、また新しく入った浮気調査の仕事が後十五件もあった。

 颯太の「透明化スキル」と「透視スキル」、「心の中を読むスキル」と飛鳥の「探索スキル」は探偵の仕事をするのにあたって完璧なスキルと言えた。


 大体五分くらい相手の心の中を読みながら颯太が尾行を続ければ、浮気をしようとしているかどうかはすぐに判別ができた。後は、張り込みを行い、証拠を押さえるのみであった。スキルがあまりにも優秀過ぎて、依頼は百発百中。依頼人からの評価がまた上がり、新しい顧客が現れるのであった。


(勘弁してくれ。もう無理だ……。もう嫌だ。他の仕事ならどんな苦しみにも耐える自信はある。だけどこの仕事だけは耐えられない……。他人のプライベートを見たくない)


 颯太は心底疲れ切ってしまった。肉体的な疲れであれば耐えられるのだが、こそこそ他人のプライべートを嗅ぎまわるような仕事は颯太には合っていなかった。


「颯太君……?」

飛鳥は心配そうに颯太の顔を覗き込んでくる。

(まずい。飛鳥さんに心配かけちゃだめだ。元気を出さなければ! そうだ!)

「飛鳥さん、すみません。三分だけ時間をください」

「えっ? うん。大丈夫だよ。もう少し休んでいこう」

飛鳥は少しきょとんとした顔をしたが、すぐに穏やかな表情を浮かべた。

颯太はリュックからコーン茶を取り出すと、一口飲むと「飛行スキル」を発動させた。


「すみません」

 颯太はそう一言飛鳥に謝ると、上空一キロメートルまで急上昇した。


 颯太の眼下には、西多摩の美しい夜景が広がっていた。東の方を見ればスカイツリーや東京タワーまでよく見ることができた。六月の初旬とはいえ、夜のこの時間で、この高度はかなり気温が低かった。


しかし、颯太は寒さには一向にかまわず、大きく息を吸い込むと思い切り叫んだ。


「なんでこんなに浮気や不倫が多いんだぁぁーーーーーーーーーーーー!!! バカヤロォーーーーーーーーーーーーーーー!!」

思いのたけを誰にも聞こえない場所で思いっきり叫んだ。すると、少し心がすっきりし、すぐに飛鳥のもとに戻っていった。


「すみません、飛鳥さん。お待たせしました。」

「ううん。大丈夫?」

「はい。上空で思いっきり叫んできました。もう大丈夫です」

「そっか。良かった」

「はい」

「あっ颯太君これあげる」

「ありがとうございます」

飛鳥は颯太に暖かいコーヒーを手渡してきた。颯太は受け取るとすぐにふたを開け、口を付けた。上空で体が少し冷えていたためか、とても身に染みておいしかった。


「あーあ、本当だったら、昨日と今日はキャンプだったのにね。ほんと残念」


 ベンチに座っている飛鳥は足をバタバタ動かしながらそう口にした。その表情は心からがっかりしているように見える。

「そうですね。今すぐ、キャンプに行きたいです。自然に癒されたいです」

「そうだよね。なんか浮気調査って、調査してる方もなんか気が滅入ってくるよね」

「はい。正直苦手です」

「私もだよ」

「でも、まだまだ依頼がいっぱい残ってますよね……」

「うん」

「……」

 明日からもこうした生活が続いていくことを悲観したのか二人は黙ってしまう。


しばらくして飛鳥が急に口を開いた。


「来週! 来週こそは絶対にキャンプに行こう! もう他に何か仕事が入ってたってかまいやしないわ! 何としても行こう!」


 飛鳥の言葉から何が何でもといった熱気が感じられる。颯太もその意見に賛成だ。

「そうですね。来週はどんなに仕事があっても休ませてもらいましょう!」

「うん! 二人でお父さんにお願いしよう!」

「そうですね!」


 二人の意見が一致したところで今ちょうど話題に上がっていた社長から飛鳥のスマホに着信が入った。


 飛鳥が出ると、緊迫した声で社長が叫んだ。

「すごい仕事の依頼が来たぞ! 颯太と一緒に会社に戻ってくれ!」


飛鳥が会話したところによると、犯罪者の検挙の依頼だという話のようだった。颯太たちは急いで会社に向かった。

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