第52話 感謝の気持ち

「あの、颯太くん……? 嘘でしょ⁉︎」

目の前にそびえ立つ巨大な物体を前に飛鳥は目を丸くしている。口をあんぐり開けて、横にいる颯太の方を振り向いてくる。飛鳥は普段冷静だから、ここまで驚いた顔をした飛鳥を見て颯太は嬉しくなった。


「嘘じゃないですよ。今日はこれに乗ります」

「えぇーー、本当なの? やばい!! すっごい嬉しいよ! 信じられない!!」

 飛鳥の興奮した様子を見て颯太は心の中でガッツポーズをした。


 二人がいる場所は、先ほど買い物をした大型ショッピング施設「グランビア」から歩いて三十分くらいの距離にある船着場であった。時刻は午後七時半である。

 今、二人の目の前には巨大な船が佇んでいる。その船は一時間半をかけて東京湾を一周する。夜景に包まれながら船の中で食事を楽しめるため、カップルに大人気のクルーズ船だ。


 昨日の夜、飛鳥とディナーの約束をした颯太は、大急ぎで店を調べた。「ディナー 大満足」という検索ワードで出てきたのが、このディナークルーズだったのだ。ホームページに載せてある画像が良かったのと、口コミの評価も良かったため、予約したのだった。


「えぇー、すごい! なんか夢見たい……」

 少女のように目をキラキラさせながら喜ぶ飛鳥を見ていると颯太は自分まで嬉しくなってきてしまう。


「この船…もう外観がすっごくかっこいいね!」

「カシャ! カシャ!」

飛鳥はこれから乗るクルーズ船の外観を嬉しそうにスマホで何度も写真を撮っている。

その様子を颯太は穏やかな表情で見守っている。


(こんなに喜んでくれるなんて……。いっぱい調べて良かったな)

 颯太はこの船着場に来るまで、ディナークルーズを予約していることを、飛鳥に言わなかった。いきなり見せて驚かせようとしたのだ。

サプライズが上手くいくか不安だったが、飛鳥の喜ぶ様子を見て、ほっと胸を撫で下ろした。


「ねぇ、颯太くん! あそこすごい綺麗だよ! 一緒に写真撮ろうよ!」

 颯太が楽しそうにはしゃぐ飛鳥を見守っていると、いきなり飛鳥が近づいてきて言った。

 飛鳥の指差した先には出港前の船をバックに、今日の日付が書かれた看板と、優しい青い光を放つイルミネーションが置かれていた。


船をバックに映るように飛鳥がスマホをこちらに向ける。颯太は、横に立ったが、

「ねぇ、もっとこっち来て」

と、飛鳥は意外と画角にうるさいようでシャッターを押さない。周りに何人か人がいる中で密着するのが恥ずかしかったが、颯太は距離を詰める。

「はい」

「もっと」

「こうですか?」

 結局肩と肩が当たるまで近づいてやっと飛鳥のOKが出た。肩から伝わるわずかな感触に颯太はドキドキしてしまう。

「うん。じゃあ撮るよ」

飛鳥は、周りにこちらを見ている人がいないのを確認すると変装用のマスクと帽子を外した。


 写真を撮り終わり、飛鳥がまたマスクを、つけるまでの一瞬だったが、飛鳥の顔が少し赤くなっているように颯太には、見えた。


♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢


 クルーズ船の中は、まさしく別世界だった。船内は通路から床、壁面まで全て高級感があった。特に、食事会場に向かうまでの通路には、金で作られた船の模型や、数えきれないほどのダイヤモンドで装飾されたティアラなどが飾られており、特別な空間が広がっていた。


 飛鳥は食事会場に向かう間、そうした一つ一つの調度品に歓声をあげていた。飛鳥の顔はずっと幸せそうに微笑んでいた。

ただでさえ、芸能人のような容姿をしているのに、そんなふうに無邪気に笑うのは卑怯だと、颯太は感じてしまう。この別世界のような雰囲気が颯太の心を浮つかせていた。


 食事会場に入ると、係の人が席まで案内してくれた。窓際の席だったため、外に広がる夜景がよく見える。会場にはピアノも置かれており、心が落ち着くような優しいメロディを奏でていた。


 しばらくして船が出航するとコースの料理が運ばれてきた。サーモンのマリネや、鴨肉のソテー、フィレ肉のステーキなど、出てきた料理はどれも一級品で二人は大満足だった。


デザートと共に出されてコーヒーを、飲み終えると、二人は食事会場を出た。

 船内にある売店で土産物を見たり、ロビーで行われているハープの生演奏などを聴いたりして穏やかな時間をしばらく過ごした。


 船が出航してから一時間が過ぎた頃、二人はデッキに出た。そこは一番後方のデッキだったためか、二人の他には高齢の夫婦しかいなかった。飛鳥はマスクと帽子を外した。


「わー、すっごい綺麗!! こんなに綺麗なんだ。全部がイルミネーションみたい!」

「そうですね」

 二人の前には東京の夜を彩る鮮やかな夜景が広がっていた。スカイツリーやレインボーブリッジなども遠くに見ることが出来る。ひとつひとつの窓の灯りが形作るその時間だけのビルの灯りも二人には美しく見えた。

 それに加え、肌に受ける穏やかな風と、ほのかに香る海風が、また特別な空間を演出しているように思えた。


 飛鳥は嬉しそうに街の夜景を眺めている。船の近くの工場の灯りや、時折上空を通過する飛行機など、さまざまな景色を楽しんでいるようであった。


(これだけ喜んでくれたなら、今回のディナーは大成功だな。それにしても飛鳥さんって会社では真面目だけど、本当は天真爛漫なんだな。船に乗ってからずっとテンションが高い。でも、こんな飛鳥さんもいいな……)


 普段の仕事中には見たことがないほどはしゃぎ回る飛鳥が颯太には新鮮だった。まだ知らない飛鳥の素顔を見れたようで嬉しかった。


 やがてある程度夜景に満足したのか、飛鳥は颯太の方を振り向いた。そして、颯太の目を真っ直ぐに見つめてきた。その顔はあらゆる幸福を集めてきたような満足しているように見える。


飛鳥の向こう側では都内の建物が少しずつ大きくなってきているように見える。クルーズの終わりが近づいてきていた。


「颯太くん……。ありがとう。本当に幸せな時間だったよ」

飛鳥は本当に嬉しいと言った表情をしている。颯太の目を真っ直ぐに見てくる


颯太はその瞳を真っ直ぐ受け止めることができない、少し照れてしまって。もう少し自分の綺麗さを自覚してほしいと颯太は思う。目を自然に逸らしながら

「こんな感じで大丈夫でしたか?」

と口にした。


「もう最高だよ! 想像してたよりも百倍良いよ! 言葉にできないくらい幸せだったよ!」

飛鳥はなおも真っ直ぐ颯太を見つめてくる。心なしか頬が赤く染まっているように颯太には見えた。


「良かったです」

「……」

颯太がそう口にすると飛鳥は少し考え込むようにおし黙った。

そんな今までと違う飛鳥の様子を不思議に思っていると、飛鳥はおもむろに口を開いた。

笑顔はもう浮かべていない。真剣そのものな表情をしている。


「あのさ……、なんでこんな良い所、予約してくれたの? 値段だって高かったでしょ?」


(しまった。ちょっと値段が高過ぎて引いちゃったかな。でも、飛鳥さんにはずっとお世話になってきたからな。絶対に喜ばせたかったんだよな)

飛鳥の反応に、少しやり過ぎてしまったかと颯太は不安になったが、自分の気持ちを真っ直ぐに伝えてみることにした。


「僕は、会社に入ってから、正直不安なことだらけでした。仕事のやり方だってわからなかったですし、始まった仕事は、当初考えていたものと違ってました。色々と不安で……。正直参っていたんです」

  飛鳥は颯太の話を真剣な顔で聞いている。颯太はなおも言葉を続けた。


「でも、飛鳥さんはそんな僕にいつも親切にしてくれました。わからないことがあったらなんでも優しい教えてくれました。だから、僕はここまで仕事を続けてくることができたんです!しかも、毎日、ただでお弁当まで作ってもらっちゃって。僕は、飛鳥さんにはどんなにお礼を言っても足りないんです!」


 颯太の言葉を聞いている飛鳥の眼には涙が滲み始めていたが緊張のためか、それには颯太は気づかない。颯太は言葉を続ける。真っ直ぐに心の中を人に伝えるのは正直言って恥ずかしい。しかし、感謝の心だけはきちんと伝えること。それは母親からずっと教わってきた不破家の家訓であった。


颯太は言葉を続ける…ありったけの感謝の思いを込めて。


「今日のディナーはそんな飛鳥さんへの、せめてもの感謝の気持ちなんです。いつも本当にありがとうございます!」


颯太は頭を深く下げながら、思いのたけを伝えた。どんなに感謝してもしきれない。それが正直な気持ちだった。


頭をあげると、目の前にいる飛鳥は泣いているようだった。ハンカチで必死に眼を押さえながら肩を振るわせている。


その様子を見て、颯太は、

(あれ? なんで飛鳥さんがここまで泣くんだ)

と少し不思議に思った。











 

 

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