笑顔
訓練二日目の朝。
現実の訓練場に多くの魔道士・騎士の姿があった。
訓練場の空気は朝の空気である以上に冷たい。幾人かの魔道士は既に冷却魔法を現実でも使えるようになったようだった。
通常、人道的な方法の訓練であれば数週間から数ヶ月は魔法の取得に時間がかかる。その上、取得直後はかなり微弱な魔法になる。夢の中の訓練の成果は思ったよりも大きいものだった。
「姫様! 訓練の効果が早速でましたね!」
興奮気味のミルが私に走り寄りながら言った。
「そのようね」
「姫様、これは革命ですよ! 夢での訓練で新たに魔法が覚えられるとなれば、我が国の魔法力は飛躍的に向上しますよ!」
「それは良かったわ」
「……何か心配事でもおありですか? もしかして、昨夜の訓練、姫様の魔力的負担が多すぎましたか?」
「いいえ、魔力は問題ないわよ。心配事も特にないけれど、どうして?」
「いえ、姫様があまり嬉しそうではなかったので」
「嬉しい……?」
私は母国レヌカでは居眠り姫として何の役にも経たずに眠って過ごしていた。それが、キーケに来てこんなにすぐに役に立つことができることは、素直に嬉しかった。
だが、自分の想像以上に感情が動いていない。
子供の頃に自分の感情の起伏がどの程度大きかったかは覚えていないが、もう少し感情が動いていたと思う。呪いを受けて以降、感情が疲弊して動きが小さくなってしまったように思える。
「こんなにも早く成果が出てくれて、とても嬉しいわ」
できるだけ笑顔で言ったつもりだ。
感情が大きく動かない分は言葉で補わなければならない。
訓練二日目の私の夢の中には二十人の魔道士と騎士がいた。
残りの十四人は現実世界で冷却魔法の訓練を行なっている。今夢にいる二十人のうち十九人はまだ冷却魔法の取っ掛かりを得られていない。
「姫様、私により強力な冷却魔法をかけてはもらえませんでしょうか」
夢の中にいる二十人で唯一現実で冷却魔法を使えるミルが私に言った。
「これ以上強力だと死んでしまう可能性があるわ」
「夢の中ででも死を恐れるものはいますが、私は違います」
「うーん……。実は、強烈な痛みがあれば、現実でもショックで死ぬ可能性があるらしいのよ」
「らしいというのは……? この夢の魔法は誰かから教わったものなのですか?」
「いえ、あの……。夢の中の痛みで死んだ人がいると聞いたことがあったのよ」
誤魔化した私にミルは微笑んで、
「姫様、それは我が国で昔から伝わる冗談です。夢を見た当人が死んでいるのに誰が夢の内容を知ることができるのかという与太話に過ぎません。もっとも、世界の夢ができてからは語られなくなりましたが」
「あら、そうなの……」
「姫様、お願いいたします。私は誰よりも強くなりたいのです」
同い年くらいのミルに昔の自分が重なる。男尊女卑の世界で無邪気に一番を目指していた子供の私。ミルの力になってあげたかった。
「ちょっと、確認するわ」
「確認?」
不思議そうな顔のミル。
私は呪いを抑えていた力を少し緩めた。
「………………」
「………………?」
不思議そうな顔のミル。
私は呪いに魔力で圧をかけた。呪いも魔法の一種であり、より強い魔力を込めることで打ち消すことができる。
「──ケッ。都合のいいように使いやがって。俺はお嬢さんの飼い犬じゃねぇんだからなーぁ」
「姫様、この声は……?」
「これは悪夢の呪い。この呪いの力で夢の中に痛覚や触覚を呼び出してるの」
「呪い、ですか?」
私はミルに呪いのことを話すことにした。
「そうだったのですか……。それで姫様は居眠り姫と呼ばれるように……」
「えぇ。その呪いが折角有効活用できると思ったのに、夢で死んだときに現実でも死んでしまう可能性があるから、そこまではできないのよ。だから、今くらいの使い方がちょうどいいのよ」
「そうですか……」
ミルは項垂れかけた顔をゆっくりと上げ、虚空に向かい、
「……呪い。どう死ねば現実でも死ぬ?」
「はぁ? なんだ?」
「お前は姫様を何度も夢で殺したそうだが、姫様は生きておられる。夢の中の死で現実でも死ぬには何か条件があるはずだ」
「あー? なんで答えなきゃ──」
呪いに魔力の圧をかける。
「──ちっ。……まあ、簡単に言やぁ込める魔力の量と精神力だ。あの馬鹿みたいな訓練でも魔力が多い寒い方に行けば行くほど耐えるのに精神力が必要だろ。精神力をちょっと超える魔力を与えりゃ起きるし、かなり超える魔力を与えりゃ死ぬ」
「……なるほど。では、少しずつ魔力量が高い方へ移動する姫様の訓練方法は理に適っているわけか」
「はっ。理に適う……。こんな馬鹿みたいに広く魔力を散布するなんて、お嬢さんの魔力量じゃなきゃ理になんて全く適やしないんだがなーぁ」
ミルがゆっくりと振り返る。視線の先には雪山がある。魔力量の多い寒いエリアほど遠くにあり、ここからでは果ては見ることができない。
呪いに言われて気づいたが、寒さのグラデーションを緩やかにすることを優先して、広さはかなり大きくなってしまっていた。寒さにある程度の段階を設定して広さを小さくしたほうが訓練しやすいかもしれない。
「姫様。私は姫様の作った雪山の果てまで行くことができました。精神力は十分にあります。
姫様。私に死ぬほどに強い冷却魔法をかけてはもらえませんでしょうか」
「え?」
「呪いの話では精神力を大幅に超えた魔力であれば死に至るとのことでした。であれば、あの果てと同じ魔力量の冷却魔法を受け、徐々にその魔力量を上げていただければ、精神力を大幅に超える魔力量にはならず、死に至ることはありません」
「あら」
「お願いいたします、姫様! 鍛えていただくご本人に言うのはおかしな話かもしれませんが、私は姫様を守るだけの力がほしいのです! 姫様が二度とこのような呪いなどを受けないようにお守りしたいのです!」
ミルの視線を正面から受け止める。真剣な瞳が私を射抜いた。
職務として姫付きの騎士をしていたミル。
それが、今は職務を超えた、騎士としての忠誠心を感じる。
「──分かったわ」
「姫様!」
「姫付きの騎士ですもの。強くなってもらわないと」
「はい!」
夢の中とはいえこれから死ぬことになるのに、ミルは喜色満面であった。
私はミルに手をかざし、
「じゃあ、優しく殺してあげる」
「お願いします!」
ミルは笑顔のままだ。
「変な子ね。殺すと言われて喜ぶなんて」
「姫様も殺すと言って、嬉しそうですよ」
頬に手を当てると確かに私も笑顔になっているようだった。
呪いのことを知っている私の騎士ができたことが嬉しかったのだ。
「──いくわよ」
「はい」
私と私の騎士の訓練が始まった。
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