自殺思考と競争社会

刻堂元記

第1話

 日本では、多くの人が死にたいと潜在的に考えているような気がする。これは、日本人の幸福度が低いからという理由だけが原因ではなく、もっと本質的なことが、この問題を深刻化且つ複雑化させているように思う。


 もちろん、自殺の理由は、多種多様である。しかしながら、今回は、暴力や、借金を理由としたものではなく、「人生なんて楽しくない」という気持ちから発生する憂鬱さと、そこから湧き上がる自殺思考について考えていきたい。


 とはいっても、これから何を話すのか説明しなければ、読者はついてこられない。そこで、ここでは、はじめに、自殺思考がある人が自殺を選ばない理由を説明した後、なぜ、自殺思考に至ってしまうのか、その原因となる社会環境について考察していくことを、事前に伝えておく。


 では、まず、どうして、自殺思考のある人が自殺しないのかということについて。その理由は、大きく分けて3つある。1つ目は、自分で自分を殺すのが怖いからだ。自殺は、他殺や病死などとは違い、自分で自分に危害を加えなければならない。そこに、人は大きなためらいが生じると思われる。


 そして、2つ目。それが、周りに迷惑がかかることを考えてしまうからだ。自分が死ぬことで、稼ぎの大黒柱を失った家族の生活にどんな影響があるのか、あるいは、どのくらいの慰謝料や賠償金が発生してしまうのか。そんなことを考えてしまうため、自殺を思いとどまることが多い。


 3つ目は、安楽死できる環境が日本にないこと。そのため、どんなに苦しい状況に置かれていたとしても、自らは、生きることを選択し続けなければならない。したがって、生きることの強制こそが、自殺思考がある人の幸福度を下げる要因となっていると言えるのではないかと私は、少なからず確信している。


 さて、ここまで、自殺思考がある人が自殺を選ばない3つの理由を紹介した。しかし、そこに至る本質的な要因、つまりは社会環境について知らなければ、この問題の全体像を捉え切ることはできない。それなら、何が理由で、人は自殺することを考えてしまうのか。答えは1つである。過剰なまでに競争を促す、この社会だ。いやいや、そんなわけはないだろう。しかし、世の中は、どんなものであれ、競争で溢れかえっている。ビジネス、学力テスト、ミスコン、就活、スポーツ……。他にも色々ある。


 だが、競争である以上、必ず、勝者と敗者が存在する。そして、どんな分野であろうと、勝者となるためには、そこに膨大なまでの時間と労力を注がなければならない。そうして、勝った人間は、勝ち続けるため、さらに努力をする。一方で、負けた人間は、劣等感やコンプレックスを抱えたまま、生きることになってしまう。そうして、競争が繰り返される社会において、競争に負けたと感じた人間、あるいは競争に疲れたと感じる人間が、自殺思考のある人へと変化していく。それが私の考える、自殺思考に至ってしまう社会環境的な要因及び、その理由である。


 そのため、過度な競争をやめれば、人はみんな幸せになれるし、自殺思考のある人はだいぶ減るのではないかと、私自身は思っている。だが、そのためには、過度な競争を避ける仕組みの整備が必要で、それを実現するための深い議論も不可欠だ。考えられる仕組みの候補は幾つかあるが、どうすれば社会的なハードルを乗り越え、導入できるのか。未来の自分あたりに期待を託して、この話を終わりにしたい。

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