第6話 おじさん、修羅場に遭遇する

「ここにもいない……」


茶色の髪を揺らし、少女は忙しく駆け回る。


「もう! アンセルったらどこ行ったのよ! 授業に出ないなんておかしいわ。しっかり慰めて好感度も上げたはずなのに、それでも足りなかったのかしら」


少女は苛立ちを顕にしながら廊下を進む。

やがて、庭園に面した渡り廊下に差し掛かった所で足を止めた。


「それに、時間が経ったら洗脳が薄まっちゃうからそろそろ魔法をかけ直さないといけないのに……」


マドカはガリガリと爪を噛む。その顔には焦燥が滲み、普段の愛らしさは微塵も感じられない。


「でも、ハッピーエンドまであと一歩よ。今度こそ私の魔法で……」


マドカの足元で黒いものが蠢く。黒い塵の塊が、意志を持つ生き物のように不気味に揺れている。

そのとき角から誰かが飛び出し、マドカにぶつかった。


「キャッ!」


マドカは思わずよろめく。それと同時に足元の黒いものも引っ込んでいく。

腰に手を回されて身体を支えられ、マドカはびっくりして顔を上げる。すると真っ赤な瞳と至近距離で目が合った。


(ロビネッタ……!?)


すぐに我に返り、マドカはその手を振り払う。距離を取って警戒心を露わにするマドカをロビネッタはいつものように無言で見ていた。


息を呑むほどの美人だ。一瞬でもその美貌に見惚れたことを認めたくなくて、マドカは思わず悪態をついた。


「人にぶつかっておいてだんまりですか。私とは口もききたくないってことですか?」


ロビネッタは相変わらず何も答えない。人を見下すようなその態度に苛立ちがいや増す。

しかしマドカは何かを思い出すと、すぐに勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「アナタも知ってるでしょ? アンセル様が生まれたときに神殿から下った予言を。異世界から来た『異邦人』と結ばれることでこの国は平和になる、って話。……公爵令嬢だか何だか知らないけど、アナタの負けは初めから決まってるの。さっさと身を引きなさいよ」


嘲るように笑うが、ロビネッタは顔色ひとつ変えない。マドカに注がれる視線もそのままだ。

あまりにも変わらぬ態度に不気味さを感じ取り、マドカは少したじろいだ。


「……人のことジロジロ見て何なのよ。言いたいことがあるならハッキリ言えば?」


一度離れた距離を詰め、マドカはロビネッタの顔を強く見つめ返した。


「本当はアンセル様を取られそうで焦ってるんでしょ。それでおかしくなって口もきけなくなったのかしら? うふふ、可哀想な人」

「……」


これほど挑発してもロビネッタは一切の反応を示さない。そのすました態度が鼻につく。

苛立ちが頂点に達して、マドカは思わず叫んだ。


「何か言ったらどうなのよ!」


そのとき、近くで誰かの話し声が聞こえてマドカは我に返った。

その声はこちらへと近付いてきている。振り返ると、庭園を抜けてくるアンセルと中年の男の姿が見えた。


「!」


マドカはすぐにその場に倒れるふりをして、甲高い悲鳴を上げた。


「キャーーーッ!」

「……マドカ!?」


声に気付いたアンセルが慌てて駆け寄ってくる。それを確認し、マドカはにやりと笑った。


「マドカ、何があったんだ!?」

「アンセル様! 助けてください。ロビネッタ様が私のことを突き飛ばして……!」


マドカはうるうると瞳を潤ませる。

アンセルはマドカを助け起こすと、ロビネッタに視線を向けた。


「そうなのか、ロビネッタ」

「……」

「答えるんだ」

「アンセル様。ロビネッタ様を責めないであげてください! きっと何か勘違いさせてしまっただけなんです。私がいけないんです……」


アンセルは困ったようにマドカとロビネッタを見比べた。


「私は状況を見ていないから決めつけるわけにはいかない。だからロビネッタも自分の口から説明を……」

「……あら、魔法が切れちゃったかしら」


マドカがそう呟くと、足元から黒い塵が生じ、地を這ってアンセルの足元へと移動していく。

それと同時にアンセルの目が濁っていく。

やがてアンセルは別人のように冷たい表情になり、ロビネッタに鋭い目を向けた。


「ロビネッタ。マドカに対するお前の態度は看過できない。お前との婚約は破棄させてもらう!」

「……」

「……私の言葉を無視するつもりか? お前は貴族の誇りを持った人間だと思っていた。そんなお前が苦手だったが、尊敬もしていたんだ。それなのに、何だその態度は……!」


(わぁ、修羅場だ……)


一部始終を見ていたダンは完全に背景と同化していた。蚊帳の外とはまさにこの事。


(ポーレンさんが見たら大喜びしそうな光景だな。こういうのも後々青春の一ページに刻まれるものだろうか……)


そんなことを考えていると火の粉が飛んできて、ダンの残り少ない髪の毛の一本がチリチリと焦げた。


「あっっつ!!」


振り返ると、アンセルの周囲を炎が取り囲み、激しく揺らめいている。すごい熱気だ。


「くらえ!」


アンセルが手のひらを突き出すと、周囲を漂う炎は一斉にロビネッタに襲い掛かっていく。


「!」


ロビネッタは素早く反応し、手のひらを天に掲げる。次の瞬間ロビネッタの周囲を水の膜が覆い、炎を完全に打ち消した。

両者の実力は拮抗しているようだ。


(水蒸気で湿気がすごい! 汗臭くなったら嫌だなぁ……)


ダンは慌ててハンカチで額の汗を拭った。

そして、二人のバトルを横目に掃除を再開した。

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