第5話 おじさん、過去を打ち明ける
「私はダンと名乗っていますが、本名を武蔵団三郎と言うんです」
「ムサシダンザブロウ……? 聞きなれない名だな。田舎から来たのか?」
「いえ。私は別の世界から来たのです」
さらりと語られた言葉に、アンセルの目が見開かれる。
「『異邦人』か? マドカと同じ……」
ダンは頷く。
「私は17歳の頃、突然この世界に飛ばされたのです。しかし、マドカさんのように魔法が使えるわけでもなく……生きていくだけで精一杯でした」
ダンは瞑目し、かつての自分の姿を思い浮かべた。無力で哀れで惨めな己の姿を。
特別な力もない。頼れる人もいない。
この世界にたった一人きり。
あのときほど孤独を恐れたときはなかった。
「……しばらくして、運良く私は国に保護されることになりました。とはいえ、『異邦人』のくせに何の力もない私を国は持て余していたようで、結局、国の運営するこの学校に置かれることになったのです。そこで清掃員として働き続け――あっという間に35年が経ちました」
アンセルは驚いて声も出せずにいた。
ダンは「これでお話はおしまいです」とわざと明るい調子で言う。しかし、アンセルは神妙な顔のままだった。
「マドカも一人でこの世界にやってきた。だが、彼女には魔法の才があったため国に手厚く保護されている。しかしお前はそれよりも辛い環境で、もっと長い時を……。……お前もずっと一人だったんだな……」
「殿下が思うほど大層なものではありません。耐えられぬほどの孤独も、時間が経てば案外慣れるものですよ」
アンセルはその言葉を心の中で幾度も反芻した。
やがて、己を恥じるように顔を赤らめた。
「私の苦しみなど、お前の味わった孤独に比べれば取るに足らないものだ。私には家族も友人も住む場所も、何もかも持っているというのに。一つ手に入らないくらいで何て大袈裟だったのだろう」
「苦しみは人と比べるものではありませんよ」
「いいや。お前の味わった孤独を思えば、本当に悲しくて……苦しくて……」
そこまで言ったところで声をつまらせ、アンセルはまた涙を流した。
完璧であるために自分を抑えてきたようだが、本来は感情豊かな人なのかもしれない。
ダンは優しく微笑みかけた。
「殿下は優しい方ですね」
「感情を隠すこともできないなんて、情けない……」
「泣いてもいいじゃないですか。そうやって人の痛みを真摯に受け止めてくれる方が王様だったら、私のような一市民も安心して国を任せることができます」
その言葉に、アンセルは涙を拭って顔を上げる。その瞳は戸惑いに揺れていた。
「本当にそうだろうか……」
「確かにお仕事となれば感情を隠すべき場面もあるでしょう。ですが、悲しみや不安、妬み、怒り……そういった負の感情の存在を否定しなくてもいいんです。それは誰しもが持つ、自然な感情です」
「自然な感情……」
「殿下はきっと、不安だから努力を重ねてきたのでしょう。できたことよりできないことに目を向けてきた。裏返せばそれは、現状では満足しない志の高さの現れです。誇りに思ってもいいんじゃないでしょうか」
アンセルはぱちり、と瞬き、考え込むような素振りをみせた。
「不安が、誇り……? お前は変わったことを言うな。年の功か、それとも『異邦人』だからなのか……」
「……差し出がましいことを申しました」
「いや、構わない。学友にはこんな話はできないから。その……楽しい時間だった」
「それはよかったです」
アンセルは憑き物が落ちたような顔をしていた。
柔らかで優しい表情だ。きっとこれが『完璧』の皮を剥いだ彼の素顔なのだろう。
(いくらしっかりして見えても17歳だもんな。日本で言うと高校生だ。自分なんて友達としょーもない話をしてゲラゲラ笑ってた頃だぞ……)
「ダンザブロウはどうやってこの世界を生きてきたんだ? 心細くはなかったのか?」
「ここに来たばかりの頃は毎日泣いてましたよ。死んだら帰れるかもしれないと、本気で考えたこともあります。……ですが、何だかんだこうしてのうのうと生きてるんです。もっと気楽でいいんですよ、きっと」
「ダンザブロウは強いな」
ダンはゆるゆると首を振った。
「いえ。弱い自分を受け入れただけです。諦めとも言うんでしょうか」
「……いいや、それもきっと強さだ」
アンセルの言葉は力強く、向けられた笑顔は太陽のように眩しい。
ダンは目を細め、優しく微笑み返したのだった。
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