第4話 おじさん、王子殿下の悩みを聞く

(な、泣いてる……?)


目の縁から澄んだ涙が零れ落ちる。顔が綺麗だと泣き顔すらも美しいものなのか。

見てはいけない物を見てしまったような気分になって、ダンは罪悪感を覚えた。

そのとき、それまで黙っていたアンセルが口を開く。


「ロビネッ……」

「違います」

「いいや、ロビネッタだろう?」

「違います。おじさんです」


どうやら王子様はまたとんでもない勘違いをしているらしい。

先程のように殺されそうになったら困る。素早く靴を脱いで匂いを嗅がせると、一瞬でアンセルの美しい顔が歪んだ。


「クッッッサ! ……うわ、本当だ。よく見たら全然ロビネッタじゃないな」

「そうです。おじさんです」


臭気で正気に戻ったらしい。ダンはすぐに靴を履き直した。

アンセルはしばらく呆然としていたが、また沈んだ顔になった。


「……すまない。私はまた酷い間違いをしてしまった。人の顔すらろくに見分けられない愚か者だと思っただろう」

「いえ、そんなことは……」

「いいんだ。事実なのだから」


アンセルは手の甲で涙を拭った。そして自嘲気味に笑う。


「泣いているところを人に見られるなんて、王家の人間として恥だ。子供の頃から人前で泣いたことなどなかったのにな……」


そのときにぐぅ、と腹の虫が鳴る。

ダンは自分の音かと思って焦ったが、アンセルが顔を赤くしている事に気付く。

ダンの視線を感じ、アンセルは恥ずかしそうに俯いた。


(なんか、案外可愛らしい子だなぁ……)


話を聞く限り恐ろしくよくできた青年だと思ったが、年相応な一面もあるようだ。


何も見なかったふりをしてその場を離れてもよかったのだろう。しかし先程の涙が気になって、つい、いらぬお節介を焼きたくなった。


「……よかったら、これを」


ダンはポケットから包みを取り出す。アンセルは怪訝な顔をした。


「これは?」

「おにぎりです」

「オニギリ?」

「……あ、こんな粗末なもの食べませんよね。すみません。やっぱり忘れてください」

「……」


慌てて引っ込めようとした手をアンセルが掴む。そして、包みを受け取った。


「いや。せっかくの厚意だ。いただこう」


そう言って包みを開くと、一口齧る。

はじめは静かに咀嚼していたが、アンセルは次第に明るい顔になっていった。


「……素朴な味だが、うまいな」

「それはよかったです」

「神官に祝福の白魔法を授けてもらったときのようだ。不思議と心が落ち着く気がする。一体何が入っているんだ?」

「材料でしたら、白米と塩だけです」

「不思議だな……」


アンセルは珍しいものを見るようにおにぎりを観察している。

そのとき、アンセルの周囲を漂う黒いものがすっと薄れていった。


(おや? 黒い塵が減った気がする……)


何はともあれ、アンセルは幾分か気持ちが落ち着いたようだ。

おにぎりを食べ終える頃、ダンは思い切ってアンセルに問いかけた。


「あの。何か悩みがあるのなら、思い切って話してみませんか?」

「……だが……」

「私はしがない清掃員。この学園ではいないのと同じです。壁に話すようなものだと思ってください」

「壁、か……」


アンセルはダンの穏やかな微笑みに目を留めた。そうしてしばらく思案顔でいたが、決心が付いたのか、やがて静かに話し始めた。


「私は常に完璧であるよう求められ続けた。だから勉強も、剣術も、魔法も、全て心血を注いで取り組んできたんだ。完璧な王になるため、ただそのためだけに。……だが、本当はいつも不安なんだ。何かのはずみに失敗して周囲の期待を裏切ってしまうのではないかと」


アンセルはそっと長い睫毛を伏せた。


「婚約者のロビネッタは賢く才能に溢れた女性だ。彼女のような人間こそ『完璧』と呼ぶのだろう。彼女といると苦しいんだ。必死に完璧のふりをしている自分がいつか暴かれてしまいそうで。……そして何より、こんなにも弱い自分が嫌になる……!」

「殿下……」

「今日だって、周りの人を失望させた。最近はずっとこんなことばかりだ。完璧な『フリ』すら全うできない私にはもう、価値なんてない」


そこで言葉を区切るとアンセルはぐっと唇を引き結ぶ。そして消え入りそうな声で本心を吐露した。


「学園に友人はいても本当の意味で対等な人間などいない。私は一生、この世界にひとりきりなんだ……」


(……!)


また瞳に涙が滲んでいく。アンセルは両手で顔を覆って嗚咽を押し殺した。


そのとき、アンセルの頭上に先程の黒い塵が見えた。


(ん? まだ塵が残ってる……)


塵を払おうと、ダンは思わずその頭に触れる。すると顔を上げたアンセルと目が合い、慌てて手を離した。


塵は消えたが、傍からみたら頭を撫でようとしたように見えたことだろう。

気持ち悪がられるどころか、今度こそ不敬罪で殺されるかもしれない。ダンは冷や汗を浮かべた。


「あっ、その、すみません……」

「いや……構わない」


幸いアンセルはさほど気にしていないようだ。寛容な人で命拾いした。


……そんなことよりも。


(この世界にひとりきり、か……)


ダンはふっと物憂げな顔になった。

その感情なら自分にもわかる。それはもう、痛いほどに。

彼が本心を打ち明けてくれたからだろうか。

ふと、誰にも話したことのない話をしたくなった。


「一つ、私の話も聞いていただけますか?」


その言葉にアンセルは黙って視線を返す。

それを肯定と捉え、ダンは話し始めた。

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