第1話 おじさん、悪女と間違われる
(これは、どういう状況なんだ……?)
男は状況を整理しようと懸命に頭を動かした。
私の名前はダン。52歳。しがない清掃員だ。
特に印象に残るような外見でもないが、優しそうなマスコット的存在というのが周囲からの総評だ。
最近の悩みは腹が出てきたことと加齢臭、そして頭頂部が寂しげになってきたこと。
一言で言えばごく普通のおじさんだ。
そして私の職場はここ、王立べラース魔法学園。
この国一番の名門校であり、この国の未来を担う若者たちの青春の舞台だ。
……そして、そんな華々しい日常の隅っこで清掃をしているのがこの私だ。
生徒達にとっては背景みたいなものだ。当然、ここの生徒と面識などあるはずがない。
そんなことを考えながら向かいの青年に視線を戻す。眩い美貌を眺めるうちに、男はあることに気付いた。
(……いや、待て。この顔には見覚えがあるような……)
生徒達と接する機会はないとはいえ、学園内にいれば噂は耳に入ってくる。目立つ子のことは自然と覚えてしまうものだ。
(この人は『アンセル様』って子じゃないか?)
……アンセル・べラース。それが彼の名前だ。
ここ、べラース王国の第一王子であるアンセルは学年一の秀才である。魔法の能力が突出しているだけでなく、剣術にも秀で、社交的で面倒見もいい。絵に書いたような王子様だと女子生徒が噂していた。
(この青年が誰かはわかった。だけど、なぜ私が婚約破棄を言い渡されているんだ……?)
ひとり考え込んでいると、青年――アンセルの冷たい声が落ちた。
「驚いてものも言えないか」
「いえ、その」
「自分では隠し通せたつもりかもしれないが、お前の悪事は全てお見通しだ!」
「ですから……」
「マドカにしたお前の悪行、今ここで全て語り聞かせてやろう。入学から順を追って話そう。まずは……」
困惑を隠しきれぬダンを置き去りにして、アンセルはその『悪行』とやらを懇切丁寧に教えてくれた。
大切な集会の日程をわざと教えなかった。夜会の衣装をズタズタに切り裂いた。倉庫に閉じ込めた。などなど。
アンセルはそれがいかに卑劣な行為か感情を乗せて説いてくるが、当然ながらどれも身に覚えがない。
だんだん話が右から左に流れていき、ダンは(いい声だなぁ……)ということしか考えられなくなっていった。
そして全て話し終わる頃には数十分が経過していた。アンセルは肩で息をしながら、キッとこちらを睨め付けた。
「……これがお前が犯した罪だ。身に覚えがないとは言わせないぞ!」
「身に覚えがありません……」
「しらばっくれるなこの悪女め!」
「悪女じゃないですぅ……」
「悪」でも「女」でもない。360度どこから見ても人畜無害なおじさんだ。
「この期に及んで言い逃れか? 見苦しいぞロビネッタ!」
「ロビネッタ?」
「ああ。人違いとでも言う気か? その黒髪、どう見てもロビネッタだろう!」
ダンは寂しげな頭頂部に触れた。
(この王子様、まさか他人のことを髪色で判断しているのか……!?)
目が悪いとかいうレベルではない。
何かの病気なのではないか。早く医者に見せてもらった方がいい。そう喉まで出かかったが、不敬罪で殺されそうなので一旦言葉を飲み込んだ。
「あのぉ……本当の本当に人違いです……」
「ふざけたことを……!」
アンセルがそう叫ぶと、手のひらの上で炎が激しく燃え上がる。
(魔法!?)
「己の罪を認め改心するのなら穏便に済ませるつもりだったのに、その態度はなんだ! やはりお前は変わってしまったんだな」
炎の勢いはさらに激しくなり、室内の温度が急上昇していく。ダンはこのとき初めて生命の危機を感じた。
(こ、殺される……!!)
そのとき、ガラリと扉が開いた。
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