一ノ瀬――4

 笹本との約束の日。めかしこむのも何か違う気がして、いつも通りアロハシャツとジーパンで出かける。待ち合わせの駅には、予定よりもだいぶ早くついてしまった。というのも、二宮が「一緒に行こうか」としつこすぎて、逃げるように家を出てきたからだ。遅れるよりはましだが、退屈だ。手持ち無沙汰で空を眺めていたら、「一ノ瀬さん」と甘ったるい声が俺を呼んだ。

 まっすぐに下りた黒髪と、少女趣味の入った白いワンピース、赤いカーディガン。その中でやはり、大きな頭とその顔立ちだけが異質に見える。こうして並んで立ってみると、彼女の背丈は俺の胸元までしかない。

 笹本は薄く微笑み、「待たせましたか?」と俺を見上げた。

「ああ、いや。俺が早く来すぎたっつーか……」

 彼女はきょとんとした顔で俺を見つめる。真っ黒な目の中に俺が映る。

「そうだ、ちょうど良さそうな茶店見つけたんだわ、そこ行こうぜ」

 彼女の強い眼力に思わず目を逸らし、俺は歩き出した。後ろから笹本のついてくる気配がした。

 店につき、店員に席に通される。てっきり向かいに座るのかと思っていた笹本は、不気味なほどにっこりと笑うと、俺の隣に腰掛けた。そればかりでなく、肩をぴったりとつけてきた。

 思わず鳥肌が立った。

 さすがに距離感が近すぎないか? まるでガールズバーやキャバクラだ。しばらく露骨に固まってしまい、声も出せなかったが、しかしファンはそういうものなのかもしれない、と思い直す。

「……アンタは何食うんだ?」

「私は……あまり食べれなくて……デザートでもいいですか?」

「まあ、構わねぇけど……」

「じゃあ、チョコレートパフェを」

 そう言って、彼女は嬉しそうに微笑んだ。その笑みすらどこか不気味に思えた。彼女の一挙手一投足が背筋を粟立たせるのはなぜなのだろう。……失礼だとは思うが、早く帰りたかった。どうして彼女を飯になんか誘ったのだろうと後悔しはじめてもいた。

 鬱々としつつ、俺は店員を呼び止め、チョコレートパフェを一つと、コーヒーを一杯頼んだ。それからどんな話をしたのかは記憶にない。小一時間他愛のない会話で時間をつぶし、できるだけ早く解散の流れを作ろうとしたことだけは確かだ。

 店の前で解散し、ほっと息をついていると、「一ノ瀬?」と背後から声がした。

「おわっ! ……なんだ、二宮かよ」

「なんだとはご挨拶やな。……何してはったん? 笹本さんと食事やていうてへんかった?」

「その話はやめてくれ……結局ちゃんと食わなかったから飯作ってくれるか」

「ああ、ええよ。どうせ今から買い物行くところやから、荷物持ちしてや」

 おう、と頷く。身体の中にあった緊張は、二宮と話しているうちに少しずつ消えていた。こいつにはどこかそういうところがある。芸能界で荒んでから人とは距離を取って生きてきたが、コイツとならまるで普通の青春みたいに生きれるのかもしれない。奇妙なファンのことを頭から消すように努めながら、そんなことを思った。



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