第14話 友人
武術道場での特訓が終わったのは二時間後であった。
構えと踏み込みを注意され、ひたすら打ち込みと体捌きの反復練習をさせられた。
あの男…言葉遣いも物腰も表情も柔らかいが、指導に関しては全く妥協がない。
(軽い気持ちで行く場所ではなかった…)
疲れのためにフラフラ街を歩いていると、パニィのパン屋が目に入った。
この国での数少ない知り合いだった。
私はパニィの店へと足を運んだ。
カランカランッ
『いらっしゃ~い』
店に入るなり、明るいパニィの声が聞こえてきた。
今日はお店のカウンターで客とお喋りしているところだった。
長い巻き毛の上品な感じがする女性だった。
『ごめんなさい、長く話し込んでしまったわね。また来るわねパニィさん』
『いつでもお待ちしてますよ、ルートさん』
ルートと呼ばれた客はパニィに手を振り、私の方を見て会釈をして店を出ていった。
パニィはカウンターの中から手を振り見送った。
カランカランッ
客を見送ると、パニィは改めて私を見る。
『いらっしゃいコッパ。今日は一人かい?』
『こんにちはパニィさん。今日の午後は自由時間だったんだ。王都で気になる場所があって行ってみたんだ』
『へえ、どこに行って来たんだい?』
パニィはカウンターに両肘を付いて、前のめりな格好で話を聞いてくる。
私は武術道場に行ったことと、今さっきまでそこで稽古を付けて貰っていたことを話した。
『たまの自由時間に、あの道場へ行ったのかい?物好きだねえ。良かったらそこに座りな』
パニィはお店の奥にある食事用のテーブル席を指差した。
私は感謝して腰を下ろす。
クタクタで立っているのもしんどかったのだ。
パニィはコップに入れた水を持ってきてくれた。
『ありがとうございます。喉がカラカラだったんです』
『あの道場の師範は厳しいから大変だったろ?』
『本当ですよ。私も騎士としてそれなりに腕に覚えがあったのに、この国へ来てからは自信を失ってばかりです』
私は水を一気に飲み干した。
『疲れてるなら特製揚げパンなんかどうだい?今なら揚げたてサクサクを半額の1バッツにサービスしておくよ』
そう言ってパニィはニッコリ笑った。
『パニィさんって商売上手ですよね』
『それくらいお金を稼ぐってことは大変なんだよ。まあ、押し売りや無理強いはしないようにしてるつもりだけどね』
パニィは笑いながら話すと、ウィンクしてみせた。
『それじゃあ、揚げパンを一つ下さい』
『ありがとう。ここで食べて行くかい?』
『そうします』
『はい。お待ち下さい』
パニィは店に戻ると、砂糖をまぶした揚げパンと水を持って戻ってきた。
テーブルにそれらを置くと、パニィはテーブル席の向かいに腰を下ろした。
揚げパンは紙で包まれており、手を汚すことなく食べられるようになっていた。
一口かぶりつくと、サクッとした食感と甘味が口に広がった。
『美味しい…』
『そうかいそうかい』
パニィはパンを食べる私を、嬉しそうに見ていた。
(屋敷にいた頃は料理人が手の込んだ料理を作ってくれていたが、揚げパンみたいな料理で十分に美味いのだな…)
『そういえば、さっきこの国に来てから自信を失ってばかりとか言ってたけど、何かあったのかい?リュートに何かされたとか?』
私は首を横に振る。
『リュートは関係ないんです。私は祖国では優秀な騎士だと思っていました。剣術にも自信がありました。でもこの国では私の剣術は全く通用しません。それに今日はリュートの家の仕事を手伝おうとしたけど、逆に迷惑をかけてしまって…』
『迷惑って、どんな?』
パニィは背筋を伸ばして私の話を聞いてくれた。
『私も恩返しをしたいと思っているんです。でも私は料理も洗濯もしたことがないし、農作業も手伝えない。今日もりんごの枝を折ってしまって…』
話しながら、悔しさで涙が出てきてしまう。
『グスッ…私は、雇われた小間使いのミンよりも…何も出来なくて…グスッ…ミンは何でも出来るし、リュートとも仲が良いし…』
『ふ~ん』
パニィは気のない返事をした。
『グスッ…私は、どうしたら良いと思いますか?』
『…アタシに助言を求めてるのかい?』
『…はい』
『そうだねえ…』
パニィは腕を組んで、椅子の背もたれに体を預けて、天井を見上げて考え込んだ。
しばらく考えると腕を組んだまま私に向き直った。
『先ずは不要な自尊心を捨てろ』
『不要な自尊心?』
思いもよらない言葉に、私は呆気に取られた。
『そうだね。初めてやることが上手く出来ないことなんて当たり前のことだろう。アタシだってお客さんに売れるようなパンを焼けるようになるまで何回も失敗したさ。アタシに言わせれば出来なくて当たり前のことで失敗して泣くなんてのは、自分は失敗をしないと思い込んでいる自尊心のせいだよ』
パニィの言葉に怒りのような感情はなかった。
子供に言い聞かせるような声色で、淡々と話してくれていた。
『それにコッパはミンのことを下に見てはいないかい?雇われた小間使いだとかそんなことは関係ないだろう。ミンはミンだし、コッパはコッパだ。比べる必要もないし上下があるとはアタシは思わないけどね』
そういえばバジ将軍もそのようなことを言っていた。
理由もなく自分は他人よりも優れていると思ってしまうことが誰にでもある…と。
『コッパは落ち込んでるみたいだけど、リュートは失敗したことで怒ったりはしてないだろ?それともアイツに何か言われたりしたのかい?』
言われて思い出してみるが、リュートは失敗を責めることはしていなかった。
私は首を横に振る。
もしもここで冗談でも首を縦に振ろうものなら、いつぞやの時のようにパニィはリュートを殴り飛ばすような気がした。
『今出来ないことは、これから出来るようになれば良い。誰かと比べる必要もない。自分のペースで頑張ることを続けることが大切なんじゃないかな。続けるっていうことは凄いことなんだぞ』
パニィは私にウィンクをした。
私の涙は止まっていた。
『パニィさん、ありがとう』
私は手の甲でゴシゴシと涙を拭うと礼を言った。
『ん~。いや、説教したみたいで嫌だね。早く揚げパン食べちゃいな。夕飯食べられなくなるぞ』
パニィは目を逸らして照れ臭そうにそう言った。
『ところでアンタ、リュートのどこが好きなんだい?』
『えっ!?』
唐突な質問に体が跳ねた気がした。
『私がリュートを好きって、何でそんな話しになるんですか!』
『あれれ~、違ってたのかい?』
私はテーブルをバンッと叩いて立ち上がるが、パニィは面白いものを見るように笑っていた。
『私にはそう見えたし、なんなら今日来たのも半分はその悩みなのかなって思ってたよ。恋の悩みならお姉さんに お・ま・か・せ♡』
パニィは両腕で胸を挟み、体をクネクネとさせる。
こうなると真面目な話は出来そうにない。
私は残った揚げパンを手早く食べると席を立った。
『ごちそうさま。もう帰ります』
『はいよ~、ありがとうね』
パニィは普段通りの笑顔に戻り、パタパタと手を振っていた。
『また何か話したくなったらここに来な。一人で抱え込んじゃダメだぞ』
それは図星であった。
パニィと話したことで、気持ちが凄く楽になっている。
『ありがとうパニィさん』
『またな~』
こうして私はパン屋を後にした。
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