第11話 王都
二時半まで自由時間と言われたが、初めての街で行きたい場所があるはずもない。
私もミンもリュートに着いていくことにした。
『たっ…隊長。こっ…これからはコッパさんって、よっ…呼んで良いだか?』
『そうだな。まだ違和感はあるが、早く慣れるためにもコッパと呼んでくれて良いぞ』
前を歩いていたリュートは、一軒のパン屋の前で立ち止まると、中に入って行った。
私とミンもそれに続く。
カランカランッ
軽い鈴の音が鳴り、客の来店を伝える。
焼きたての小麦の匂いに包まれたパン屋だった。
『いらっしゃ~い』
パン屋の奥から明るい声が聞こえてくる。
パタパタと店の奥から店員が出てきた。
セミロングの茶色の髪をスカーフで覆い、オレンジ色のエプロンを着た女性だった。
オーブンの作業をしていたのか、手にはまったミトンを外しながらやって来た。
『おっ、リュートだったか。そろそろ来る頃だと思ってたよ~』
店員は良からぬことでも企んでいそうな笑みを浮かべた。
リュートはミルク缶を店員に手渡す。
『来週の感謝祭、絶対に参加しろよ。逃げるなよパニィ』
『逃げるわけないだろう、こんなに美味しい思いをさせてもらえるんだからさ』
敵意剥き出しでパニィを睨むリュートと、それを挑発的な笑顔で受け流すパニィ。
仲が悪いのだろうか。
『それはそうと、後ろの二人はお前のお連れさんかい?』
『ああ、まあそうだな』
先程の険悪な雰囲気は消え去り、友と会話するような口調で話し始めた。
一体どういう関係性なのだろうか。
『旅人さん、大丈夫かい?コイツに尻とか胸とか触られたりしてないかい?』
冗談っぽい感じでケラケラ笑いながらパニィが私に聞いてくる。
瞬間リュートの顔が血の気を失う。
『…もう二回も触られました』
ゴスッ
電光石火とでも言うのだろうか、パニィの拳がリュートの横顔を弾き飛ばした。
『リュートォォォォッ…お前、旅人にだけは手を出すなって言っておいたよな!』
鬼の形相とは、このような顔のことを言うのだろうか。
『待てパニィ!まずは話し合うことから始めねえか!』
『黙れ!関所を守るお前が旅人に不快な思いをさせるんじゃない!』
ゴスッ
『お前のせいでこの国の人間全員が悪く見られることになるんだぞ!』
ゴスッ
パニィはリュートの胸ぐらを掴んだまま、連続して鉄拳制裁を続ける。
軍隊の懲罰でも、これほど凄惨な罰を与えられているのは見た記憶がない。
『お前いい加減にしないと自警団から追放して牢屋に入れるぞ!』
ドゴスッ
トドメとばかりに、全体重を乗せた鉄拳を撃ち下ろした。
私は緊張のあまり背筋を伸ばして直立不動になり、ミンはあまりの凄惨さに気絶していた。
『すまなかったね旅人さん。怖かったよね』
パニィはリュートの代わりに謝っているようだが、尻を触られたことよりも目の前で繰り広げられた光景の方がよっぽど恐ろしかった。
『コイツには後でしっかりお灸を据えておくからね』
『いや、もう十分です…』
むしろ殴られたのが私であれば、一撃目の拳で気絶させられていて、最後の一撃で死んでいてもおかしくないと思えるほどであった。
これ以上やったら、いかにリュートと言えども死にかねない。
パニィが怒っているのは『旅人に不快な思いをさせた』ことに対してだから、私が旅人ではないと言えば怒りはおさまるかもしれない。
(でも、私がパイスの騎士だと分かれば、今度は私が制裁を受けることになるのでは…)
床で気絶しているリュートを見ると、怖くてとても言い出す勇気が持てない。
(ダメだ…自分の弱さに負ける道を選ぶのだけはダメだ!)
『パニィさん!』
意を決した勢いで、叫ぶような声が出てしまった。
『…どうしたんだい?』
パニィは一瞬驚いたように固まったが、笑顔で私話しかけた。
『私は…旅人ではなくて、本当は…パイスから来た、騎士…なんです』
パニィの反応が怖くて、言葉が途切れ途切れになってしまう。
『リュートには世話になっていて…恩もあります。だから、もうこれ以上は…』
『そうか。でも、コイツに触られたのは同意の上ってわけではないんだろう?』
パニィは床で気絶しているリュートを睨んだ。
『同意はしていません。だけど、二回目の時は私を元気にしようとしてのことだったのかもしれません』
『じゃあ、嫌ってわけじゃないってことかい?』
『う~ん…何とも言えないけれども、そんなに嫌ではない…かもしれません』
じっと私の目を見ていたパニィが笑顔になった。
『そうかそうか。そういうことならアタシがこれ以上どうこう言う話じゃなさそうだね』
パニィはチラッとリュートを見る。
『でも大変だぞ~。こいつ女好きでスケベだから苦労するぞ。でも、頑張れよ』
パニィは私の肩を叩いた。
『頑張れって…そういうことじゃないですから!』
私はムキになって否定した。
『そういうことって、どういうことだよ?私は特に何とは言ってないぞ~?』
『うぅぅぅ…』
言葉に詰まった私を、パニィはニヤニヤと楽しそうに見ていた。
『まあ、困ったことがあれば言ってきな。特にリュートのことならガツンと説教してやるからさ』
パニィは腕まくりをして力こぶを見せながらニカッと笑った。
水をかけてリュートとミンの目を覚ました。
『これから謁見があるのに、酷い顔になってねえか?』
リュートは痛そうに頬をさする。
『いや、幾つもの戦場を駆け抜けてきた歴戦の強者って感じで格好良いぞ』
パニィはわざとらしくリュートにウィンクしてみせた。
『しかし、これから謁見ってことは帰ってから晩飯作る時間はないだろ?特別に食パンを半額で売ってやるから買っていかないか』
『理不尽に殴った御詫びにタダにしろよ』
『アタシは理不尽なことをしたつもりはないし、なんなら今から第二ラウンドを始めても良いんだぞ?』
カウンターにいるパニィはニコニコと笑っていたが、先程の凄惨な光景を目の当たりにしているせいか、強者独特の余裕の表情に思えて仕方なかった。
『あっ…あの、オラずっと美味そうなパンだなって、おっ…思ってたんだど。いっ…一個売って欲しいんだど!』
『ありがとうございま~す。半額になるので、2バッツになります』
『にっ…2バッツ!やっ…安すぎるんだど。しっ…しかも二斤の食パンだど!』
ミンは驚きを隠さずに興奮していた。
しかし半額であっても驚くほど安い。
パイスで食パンを買えば、最低でも一斤6バッツが相場だと聞いたことがある。
リュートが先程くれた5バッツは、案外この国では安い金額ではないのかもしれない。
『そういえば、あんたたちの名前は?良かったら教えておくれよ。あっ、アタシはパニィって言うんだ』
『おっ…オラはミンって言うだよ』
ミンは食パンを受け取ると、嬉しそうに答えた。
『私は、コッパって呼んで下さい』
『コッパだって!良い名前じゃないか!』
パニィは興奮して目をキラキラさせていた。
ひめっちが言っていたように、この国ではコッパという名前は非常にウケが良いみたいである。
『あの…パニィさん。コッパってこの国では有名な人の名前だったりするんですか?』
『いや、有名な人の名前じゃないよ。何の名前か知りたいかい?』
パニィはニヤニヤと笑っている
短い付き合いだが分かる。この笑い方をしている時は要注意だ。
でも、気になっているので聞いてみることにした。
『コッパってのは、コッペパンの略称だよ!私の店でも売れ筋商品さ!みんな大好きコッペパンってね』
パニィは私にウィンクしてきた。
有名って、そういうことだったのか。
『それじゃあ、謁見の時間になっちまうからそろそろ行くぞ。じゃあなパニィ!』
『お~。次は何か買っていけよ』
悪態のようでいて、笑顔で手を振りながら見送ってくれる。
『そうそう、嫌がられない程度なら許すけど、コッパが嫌がることしたら説教だからなー!』
『説教って言うなら、まずは殴らねえで会話が出来るようになりやがれ!』
遠く離れた場所から、お互いに大声で声を掛け合う。
多分、この二人は凄く仲が良いのだろう。
ハチャメチャだけれども、少し羨ましいと思ってしまうことが不思議だった。
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