第10話 私の名は
馬小屋に着くとリュートとミンが待っていてくれた。
『おっ…お疲れさまだど。そっ…それじゃあオラはスープ作ってくるだ』
ミンは私の帰りを確認すると、一足先に家に戻って行った。
私がプオンから降りて首を撫でてやると、プオンは嬉しそうに私の顔を舐めた。
『おっ、ずいぶんと仲良くなったみてえだな。良かったなプオン』
リュートは嬉しそうにプオンの首を撫でながら、馬小屋へ連れていった。
『このようなことで手伝ったことになるのか?』
馬小屋からの帰り道、私はリュートに問い掛けていた。
『アイツは良い馬だ。私でなくても誰が世話をしても同じように散歩させることが出来たんじゃないか。私は恩返しになることをしたいのだ』
『ふ~む…』
隣を歩いていたリュートは腕を組み、少し考えるように上を向いた。
そして腕を解くと…
モミモミ
『脈絡もなく尻に触るな!いや、揉むな!このバカ者ーー!!』
リュートの腕を払いのけ、顔面に拳を叩き込もうとした。
だが、やはり躱されてしまう。
『何をしんみりしているか分からねえけど、お前はそうやって元気にしてる方が可愛いと思うぞ』
リュートは全く反省していない笑顔で私を見ていた。
(かっ…『可愛い』って今言ったのか!?)
『それに、誰にも真似出来ねえことをすることばかりが偉いわけでもねえよ。誰でもできることだって、誰かがやらなくちゃ困るんだ。それに、自分が簡単に出来ることでも他人が同じように出来るわけじゃねえ。もっと自分に自信を持てよ』
(可愛いなんて男から言われたのは初めてかもしれない。何だろう…胸が高鳴るこの感じ…嬉しい!)
両手で真っ赤になった顔を隠して、私はブンブンと頭を振った。
『…折角良いことを言ったのに、コイツ全然聞いてねえな』
昼飯を作ったのはミンだった。
ミンは焼く前の無発酵パンに豆を混ぜて焼き上げた豆パンと、芋の野菜のスープを作り上げていた。
『こっ…これ、リュートさんがオラたちの分を、かっ…買ってくれたんだど』
『関所を直すまでは帰すわけにはいかねえからな。食器くらいは持ってた方が良いだろ』
『そうか、すまんな。感謝する』
私とミンは頭を下げた。
『それよりも温かいうちに食おうぜ。このパン美味そうだな!』
『待て、食事の前に感謝の祈りをさせろ』
『おっ…お祈りは大切だど』
『…手短にな』
三人で祈りを捧げ、食事を開始した。
素朴な味付けだが、スープの味は悪くない。
パンは豆の食感と風味が活かされており、これも悪くない味であった。
『おい、このスープ美味いぞ』
リュートは嬉しそうにミンの肩を叩く。
ミンも嬉しそうに笑っていた。
正直に言ってしまえば、パイスの屋敷で出される料理と比べれば大して美味くもない料理であったが、何故こんなに幸せな気持ちになるのだろう。
そして、何故私は自然に笑うことが出来ているのだろう。
『そういえば、お前の名前は何ていうんだ?』
リュートが私を見て問い掛けた。
ドクンッと心臓が高鳴った。
(忘れていたが、私は捕虜の立場。大将軍の娘が捕まっていると知られれば莫大な保釈金を要求されることになりかねない…ここは名前を隠すべきなのか)
実際にミンも私の名前をリュートに教えていないようだ。
しかし下手な偽名を使ってしまうと保釈手続き自体が出来なくなる可能性もある。
『ミンも、隊長の名前は知らないとか言うから困ってるんだよな』
(そうか。やはり私の名前を知られると不利になるという配慮だったんだな)
『すまないが、名前を名乗ることはできない』
アイコンタクトを取るように、私はミンを見つめた。
『なっ…何で名乗ることができないんだど?たっ…隊長って呼ぶのは、軍隊じゃないから、なっ…何か変な感じがするから教えて欲しいだよ』
(お前、本当に名前を知らなかったのか…)
『まあ、名乗りたくないなら仕方ねえな。あと、飯食ったら王都へ行くんだけど、二人はどうする?一緒に来るか?』
スープを飲み干すと、リュートが聞いてきた。
『おっ…王都って凄そうだど。おっ…オラは行ってみたいだよ』
『私も興味があるから、一緒について行くぞ』
『よし分かった。それじゃあ三人で王都へ行くか』
リュートは笑顔で立ち上がる。
『それじゃあ、俺は山羊を小屋に戻すから、ミンとお前はプオンに荷車を付けておいてくれ』
リュートは朝搾った山羊の乳が入ったミルク缶を荷車に積み込むと、プオンに跨がった。
私とミンは荷車の端に腰を下ろす。
プオンは、馬としては脚が早いわけではないが、荷物が増えても走り続けることが出来た。
荷物を運搬するには適した馬なのだなと感心した。
『先に広場に行くぞ!荷物を積むのを手伝ってくれ』
『何で広場に行くのだ?』
突然の寄り道の提案に、私は疑問を投げ掛けた。
『王都まで行くんだから、一仕事するんだよ。二人にも分け前やるから楽しみにしてな!』
広場に着くと、様々な物を持った村人が待っていた。
リュートは手慣れた様子で村人を誘導する。
『商人ギルドへ納品する人はこっち、買い出し希望用紙は俺に渡してくれよな』
私とミンは様々な物品を荷車に整理して積み込んでいく。
リュートは村人全員と挨拶を交わしている。
『それじゃあ、そろそろ出発するわ。頼まれた物の引渡しは、明日するから、また来てくれよ』
『よろしくな、リュート』
『りっ…リュートさん、この大量の荷物は、いっ…一体何なんだど?』
『運び屋の仕事だな。大きな荷物を運ぶ手段がない人や、急いで届けたいものがある人なんかは、王都へ行く人に荷物を持っていってもらうんだ。餌代も稼げるから、王都へ行ったらプオンの好きな物を食わせてやるからな』
リュートはプオンに跨がったまま首を撫でる。
プオンは嬉しそうな鳴き声を出した。
『パイスにも似た仕事はあったが、専門の仕事になっていたな』
『物を運ぶだけで生活ができるのか?そんなこと考えたこともないぜ』
改めて託された積み荷を見てみる。
野菜や瓶詰めの食べ物が多く、他は買ってきて欲しい物のリストや手紙が多かった。
一時間ほど移動すると、少し栄えた街に到着した。
パイスの地方都市より多少見劣りするが、様々な商店や露店商用の広場があり、村よりも活気が溢れていた。
『王都に着いたぞ!』
(地方都市かと思ったら、ここが王都だったのか…)
『それじゃあ、まずはギルドへ行って荷物を降ろすか』
荷車は王都の中心部へと進んでいく。
村と比べると、工芸品と食料品を扱う店が多い。
不思議なことに、魔術に関する店は全くなかった。
杖屋もポーション屋も瞬間移動屋もない。
(パイスは魔術に秀でた国だと聞いてはいたが、それにしてもロディアの魔術水準は低すぎないか?)
そんなことを考えていると気になる看板を見つけた。
『リュート!あの武術道場という場所は何だ?お前もあの場所で鍛えたのか?』
『あっ…あ~。まあな…』
リュートにしては恐ろしく歯切れの悪い返事だった。
何か嫌な思い出でもあるのだろうか?
しばらくするとギルドの集まる区画に到着した。
馬停め場にプオンを繋ぐ。
『お疲れさま。しばらく休んでてくれよ』
リュートはプオンの首を撫でると、馬停め場の近くで営業している餌屋に行き、プオンの好物だという野菜を買い始めた。
『こっ…こんなに重い荷物を運び続けるなんて、ぷっ…プオンは凄いだな~』
ミンがプオンの胴体を撫でていた。
『それじゃあ、まずはギルドに荷物を届けて、買い出しを頼まれた物の発注を済ませちまうぞ』
プオンに野菜を食べさせながらリュートが言う。
ギルドに納品しにきたことを伝えると、荷運びの役人が手押し車で運んでいってくれた。
日々荷物運びをしているせいか、みんなとてつもなく逞しい身体をしていた。
(魔術が発達していない分、みんな身体を鍛えているのかもしれないな)
関所での戦いの時のリュートが強かったのは、魔術がないからなのかもしれない。
(いや、でもリュートはとんでもない土魔術を使っていたな…)
『よし、それじゃあ手伝ってくれた謝礼だ!これで好きな物でも買いな』
リュートは私とミンにそれぞれ5バッツを渡した。
(少ない…たった5バッツで買える物なんてたかが知れているぞ…)
とはいえ、捕虜のような立場であることを考えれば、金を貰えて自由があるということは破格の待遇なのかもしれない。
『最後はミルク缶をパン屋に運ぶか…。二人とも二時半にここに集合。それまでは自由にしていていいぞ。道に迷ったら商人ギルドの場所を聞けば教えてくれるはずだ』
『あれ?リュートさんじゃないですか?来てたんですか?』
話の途中で可愛らしい声がリュートの名を呼んだ。
振り返ると、長い黒髪を腰まで伸ばした、褐色の肌の可愛らしい女が手を振っていた。
『おー!ひめっち!久しぶりだな!元気にしてたか?』
リュートが手を振り返すと、ひめっちと呼ばれた女は駆け寄ってきた。
直視できないほどに露出の多い服装。
ケープコートを羽織っているが、その下は胸元だけを隠した下着姿同然。
下半身も腰巻きを巻いただけで、太ももまで見えそうであった。
『今夜は久しぶりにステージで踊るんですよ。躍りの練習ってやっぱり楽しいです』
『今夜踊るのか、頑張れよひめっち。また後で行くからな』
二人は恋人同士が話をするような距離感で話していた。
私は胸が苦しくなって目を背けた。
ミンは顔を真っ赤にしてひめっちを見ていた。
『ところでリュートさん、こちらのお二人は旅人さんかしら?初めて見る気がしますけど』
『まあ、そんなところかな』
『そうだったんですね。いらっしゃいませ。名前をお聞きしても良いかしら?』
満面の笑顔でミンに近寄ると、膝に手を当ててミンの顔を覗き込んだ。
『あっ…あっ…あっ…、おっ…オラは、ミンって言うだよ』
『ミンさんですね。はじめまして。よろしくお願いいたします』
ミンは顔を真っ赤にしてフラフラとしている。
『あなたの名前も教えていただけますか?』
膝に手を置くのをやめて、ひめっちが私の方へ向き直った。
私は女としては背が高いため、ひめっちは上目遣いで私を見詰めてくる格好になる。
(何だ、可愛すぎる。目を背けたくなるくらいにまばゆい)
『すまないが、わけあって名乗ることは出来ない』
ひめっちを直視出来ないため、私は露骨過ぎるくらい顔を背けた。
『それじゃあ、愛称を付けてもよろしいかしら?』
『確かに、呼び方がないと不便だと思っていたんだ』
リュートもそれに同意する。
『確かに、名を明かすことは出来ないが、愛称であれば構わない』
私は目を背けたまま同意した。
『それでは、みんな大好きで覚えやすいコッパでどうでしょうか?』
『コッパか。確かに覚えやすいし誰でも知ってるから、親しみやすいかもしれないな』
(コッパ?ヘンテコで聞いたことがない名前だが、愛称なんて何でも良いか)
『コッパか。構わないから好きに呼んでくれ』
こうして私はコッパと呼ばれることになったのである。
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