第4話 狂犬

『笑ってばかりはいられません。戦いは終わったのですね?』


私の後ろから声がした。

馬車を下りてきた外交官がそこに立っていた。


『ええ、残念ながら逃げられましたが、我々の勝利です。実戦形式の模擬戦のようなものだと考えて下さい』

『そのような話は後で聞く』


外交官は急いで術式を構築する。


〈フォッグ〉


外交官を中心に、濃い霧が辺りを包む。

広い範囲を包み込み、たちまち近くにいる者のシルエットが何とか見える程度の視界となってしまう。


霧を発生させ、視界を奪う。

主に逃走用や暗殺用の補助魔術とされてきたもので、外交官の習得する魔術としては適している。


(…だが、何故このタイミングで霧を?)


その考えを口にした者がいた。

声の主はバジ将軍であった。


『外交官殿、何故今この魔術を?』

『説明は後だ』


まだ術式を構築し続けているのだろうか。

濃霧は晴れることなくしばらく続いていた。



ニ十分ほど経ち、ようやく霧が晴れてくる。

視界が奪われていたためか、ほとんどの者はその場から動かずに座り込んでいた。

長い時間濃霧の中にいたため、衣服がじっとりと濡れていた。


『説明してもらえますかな?』


バジ将軍は外交官に詰め寄り問いかけた。


『分からないか?』

『分からないので説明を求めているのです』


外交官はため息を吐くと、蔑むような目でバジ将軍を見た。

そして不機嫌そうに話し始めた。


『関所が燃えることを防ぐためだ。むしろ何故木造の関所に炎を放ったのだ?燃えてしまうとは考えなかったのか』

『燃える可能性はありましたが、炎を放ったのは関所にではなく、通行を妨げていた相手に対してです』

『結果としては同じことであろう』


外交官はイライラした口調で話す。


『俺たちに守ってもらってるってのに、威張ってて嫌なヤツだな』


そんなやり取りを聞いた部下たちが外交官を指差してブツブツ文句を言っていた。

私から見ればお前たちも似たようなところはあるのだがな。


『バジ将軍は今回の任務の内容は理解しているのかね』

『勿論。使節団の護衛です』

『違う!』


卑下した目でバジ将軍を見る。


『将軍ともあろう者が目先の目的しか見れずに、本来の目的を理解していないとは嘆かわしい』


外交官は額に手を当て、落胆した素振りで大きくため息を吐いた。


『今回の任務の目的はロディアとの不戦交渉とその締結だ。その相手国の関所を燃やしてしまうなど、その後の交渉がどれほど難航するか考えたことはないのか』

『なるほど』

『そもそも騎士としての名誉など、私に言わせればどうでも良いのだ。外交ではどれだけ嫌な相手であっても平伏し、相手を立てねばならぬ時も往々にしてある。何も無くてもそうなのだ!それを思えば、こちらに落ち度のある上での交渉がどれ程大変であるか考えて欲しいものだ!』


最後は吐き捨てるように言うと、口元に手を当て思案し始めた。

今後の交渉について思案しているのだろ。


『言いたいことはそれだけか?』

『むっ?何と言った?』

『言いたいことはそれだけか…と言ったのだ』


バジ将軍の目に殺気が宿っていた。

それに気が付いた外交官はビクリと体を震わせる。


『もし相手が賊の一味であればどうだったか?武装解除をして襲われればどうしたのだ?外交の場に赴く前に屍を晒していることになる可能性は考えたのか?』

『そうならないための護衛であろう。そのためにそなた等がいるのであろう』

『その通り。そのために我々はいる。護衛は我々の仕事で我々の管轄。交渉は外交官殿の仕事。今回は目的が同じであるだけで共にいるが、交渉の場まで無事にたどり着きたいのであれば、お互いの仕事に口出しはせぬことが良いのでは無いか』


バジ将軍は外交官へ詰め寄る。


『それと先程、騎士の名誉はどうでも良い…そう言われたな。ならば我々は外交官殿を裏切りここで斬り伏せてる等ということが起こるかもしれませんな。何せ誇りは不要なのですから』

『そのようなこと…国への裏切り行為であるぞ!』


外交官の声は恐怖で震えていた。


『確かにそのようなことをすれば国への裏切りになりましょう。だがしかし…それを証言する者がいなければ真偽は不明』


いつの間にかバジ将軍直属の部隊が外交官を取り囲んでいた。


『何せ、屍は何も話すことが出来ませんからな』


外交官は唇を震わせるだけで、一言も発することができなかった。

身動きができない外交官の肩を叩いてバジ将軍は話しかける。


『失礼した。冗談です。考えが足りなかったため、外交官殿の苦労を増やしてしまい申し訳ありません』


バジ将軍は普段通りの目になると、頭を下げた。


『気を悪くしないでいただけますかな?武人というものは口下手でして』


そう言いながら剣を抜き放ち、外交官の目の前で袈裟斬りに振ってみせた。

その剣はかすることもなかったが、外交官は短い悲鳴を上げた。


『…剣の扱い方には自信があるのですがね』


バジ将軍は剣を仕舞うと兵士を見回した。

そして右手を突き出して号令した。


『堀に落ちた者と怪我をした者の救助をせよ!救助が終わったら出発する!』


私は軍で囁かれている噂話を思い出していた。

これまでの態度から、周囲から嫉妬されて悪い噂を流されているだけなのかと思っていたのだ。

だが今なら分かる。


気に入らない者は敵味方関係なく葬り去る、冷酷で狂気に満ちた男。


狂犬というバジ将軍に付けられた二つ名のことを。

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