サングラス

@inumani

第1話

サングラスみたいな。私にはそんな言葉が良く似合う。

 

 私は裕福な家庭に生まれた。一戸建ての白い大きな家、美味しいご飯に定期的な海外旅行。私の家族には笑顔が絶えない、絵に書いた様な幸せな家庭だった。

 小さい頃からたれ目の泣きぼくろが愛らしい母から

 「貧しい人は見過ごさないで、救いなさい。これは貴方がしなければならないことなのよ」

 と呪文のように言われてきた。

 そんな私が初めてサングラスを掛けたのは小学二年生の頃だっただろうか。図画工作の時間に赤のクレヨンを使いすぎて親が買ってくれなくなった子がいた。その子を見て私は「可哀想」だと思った。だから私は可哀想だから、自分の赤のクレヨンを貸してあげた。その子は喜んでクレヨンを使っていた。

 そこから中学になるまで可哀想だ、不公平だといい相手を助けてあげた。ところがそのとき担任だった宇佐美先生はそれを良しとしなかった。可哀想だと思うことが悪いのじゃない。可哀想だと無意識に思って施してあげていると感じているのが悪いのだ。

 背の低かった私のために少し屈んでそう言ってくれた。今としてはもっともな言葉だと思うが、幼少の私は物心ついた頃から呪文のように唱えられた言葉を信じて、宇佐美先生に反抗をして母にその事を伝えると、中学校に意見してきた。所謂モンスターペアレンツ。そこでも母は可哀想な人を救う事を言っていた。宇佐美先生は困った様な笑顔で聞いていた。今では申し訳ない事をしたと思っている。

 そんな私はそこそこの私立高校に進学した。中学の時よりは可哀想な人はいなかったが、いた時は私は手を差し伸べてあげた。

 今思えば母も良い所の生まれだったのだろう。小さい頃からなんの不自由なく暮らし、それが当たり前だと思いまるで女神かのように可哀想な人を助ける。優しいといえばそうだったが、その優しさ故の傲慢だった様にも最近は思える。

 

 

 さて話を戻しましょうか。高校、大学の私は海外セレブのような大きくて焦げ茶のようなサングラスを掛けていたのでしょう。世界は暗く、私の周りのほとんどの人が可哀想な人に見えました。

 そんな時、母が死にました。

 前々から患っていた心臓病が悪化して、遺言は「貧しい人を助けなさい」でした。なんとも母らしい遺言です。その頃の私は就活の時期でしたが父の会社にコネで入りました。しかし四年生の終わりの方になっても就活が上手くいかない人は、私から父に口添えをして父の会社に入れてもらいました。

 最初の方は可もなく不可もなく仕事をしていました。分からないところがある人には率先して助けてあげたり、どうしてもお金に余裕が無い人には貸してあげたりもしました。サングラスを掛けた私は結構周りの人から好かれていたと思います。

 その時、隣の部署の三十路すぎの男性に声をかけられました。当たり障りのない会話をして、ふと彼の纏う雰囲気が変わりました。その人は透明の四角ぶち眼鏡をかけていました。

「君はなんで人を助けるんだい?」唐突にそんな質問が飛んできました。私は母が言っていたように「可哀想な人を救ってあげるためです」と言いました。

「それは本当に可哀想な人なのかい?」

 言葉に詰まる。

 幼少の頃から言われ続けてきた言葉を真っ向から否定された。知らない、分からない、ただ自分より恵まれていなかったから可哀想な人だから。

 眉間に皺を寄せむっつり押し黙る私を横に彼は続ける。

「僕の友達がアフリカに青年海外協力隊として行ってきたんだ。彼の行った村は年収が五万円にも満たない人ばかりで、雨水を貯めて破れた服を着て暮らしていたそうだ。」

「可哀想」

 私は無意識に口に出していた。

 私に構わず彼は話を続けた。

「そう、僕の友達も可哀想だと思ったんだ。

 でもその村の人たちの笑顔がとても綺麗で、綺麗な服もおいしい水もある日本の人の方がずっと暗い顔をしていたんだ。」

「だから、お金やものがあるだけがいいわけじゃないし貧乏な人が可哀想じゃないんだよ。」

 途中から赤子を諭すような口ぶりになりながら彼は話し終えた。

 私は無意識に自分より貧乏な人を可哀想な人だと決めつけて自分が偉いと言わんばかりに施してあげていた。

 そうじゃなくて、貧乏でも、幸せな人はいるし裕福でも不幸だと思う人もいる。

 結局はその人次第なのだ。可哀想な人は私が決めることじゃなくて自分がそう思うかどうかだと思う。ぐるぐると思考を巡らせていると私の思考を遮るように彼はもうそろそろお昼休憩が終わるねと言い私の前から立ち去ろうとする。私は動揺してお礼をろくに言えなかった。しかし、ワイシャツの左の胸ポケットから落ちた名前カードからちらりと見えた名前に猛烈な懐かしさを感じた。

 宇佐美。

 困った様に笑うかつての担任の顔が脳裏に浮かび上がる。確かに口元が似ていたような気がする。

 とりあえず自分のデスクに帰ろう。黒くて前が見えているのかすら危ういサングラスを外して。代わりに薄紅の色硝子の入った色眼鏡を掛けた。

 

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