07 神様の不興を買わないために

「彼らとは、お前のもとに行ったために一度すれ違った、それだけで充分だ。多少は彼らの運命に波紋を投げたが、大して影響は発生するまい」

「助けになってやる気はない、と」

「若者ふたりだろう。自分たちでどうにかする。美女ででもあれば、助けるにやぶさかではないが」

「好色爺」

「何と、失敬な」

 エイルがぼそりというと、オルエンは大いに顔をしかめた。

「私がどれだけ禁欲的か知らぬのだな? よいか、私はお前がレイジュ嬢といちゃついている間も」

「だあっ、それを言うのはよせっ」

「失恋の痛手に触れられたくなければ、言うべきことがあるな?」

「……悪かった。すみませんでした。ごめんなさい」

「よかろう」

 オルエンが顎をそらして言うと、堪えきれなくなったように笑う声がした。

「お前まで笑うなっ、このクソ塔め」

「酷いことを言う」

 〈塔〉は悲しそうに言った。

「これまで黙ってお前たちの話を聞いていたのに、わずかに笑い声を洩らしただけでそのように罵倒するのか」

「あー、悪かったよ」

 オルエンに謝るだけでも気に入らないのに、どうして建物にまで謝らなければならないのか、と思いながらエイルは言った。

 だが、〈塔〉が機嫌を損ねると長いのだ。聞こえているくせに話しかけても無視をする。そうされると、エイルは誰もいないところでひとりで声を出している気がするのだった。

 確かに「誰もいない」のだが、彼は〈塔〉が話すことを知っている訳で、だと言うのに呼んでも叫んでも返事のないしんとした塔のなかにいると、何だか自分がずいぶん馬鹿になったような気がするのだ。あれは嫌なものである。

「気にするな、〈塔〉。エイルはちょっとばかり気が立っているのだ。恋に破れた可哀相な若者だと思って、優しく見守ってやれ」

「判った、前の主よ。そうしよう」

「……くそう」

 エイルはこっそりと罵りの言葉を吐いた。もちろん、少しばかり声を小さくしてみたところで、どちらにも聞こえているだろうが。

「まあよい、魔除けであったな。あの赤い翡翠をお前が持っておらんのは惜しいことだが、持っていないから退いた、その判断は正しいと褒めてやろう。サラニーではないと踏んでいるが、そうでないにしても、魔物たちのなかにはわれわれの魔力に近いものを操る存在がある。お前がうっかりサラニタに食われでもしたら、私はシュアラ王女に申し訳が立たんしな」

 言われたエイルは片眉を上げた。

「人を食うようなやばい魔物なのかよ。そんなことも報せずに俺に調べさせてたのか?」

「もののたとえだ。ラスルに被害が出ていないのなら、人間を補食するような生き物ではあるまい。それくらい、気づけ」

 またも叱責するように言われてエイルは唸った。今日はどうにも、分が悪い。もっとも、彼がオルエンを言い負かせたことなど滅多にないのだが。

「だが自身の能力を過信しないことは賢い。卑下しすぎるのも問題だが、お前は適切に判断しておる。褒美にこれをやろう」

 オルエンはひらりと片手を上に向けた。すると、そこにはなかったはずのものが現れる。それはまるで腕のいい手品師トラントのようであって、エイルは思わず拍手したくなった。

「何だ、それ」

「お望みの魔除けだ、もちろん」

 オルエンはそう言いながら手を差し出した。エイルはそれをつまみ上げるようにして受け取る。

「これも、翡翠かよ」

「いくら嫌がっても、お前はその石と相性がいいのだ」

「そいつは嬉しい知らせだ。有難くて涙が出るね」

「本当は〈動玉〉でも持っとるのがいちばんいいのだが」

「やめてくれ」

 エイルは顔をしかめた。

「あれが大した魔除けなのは認めるけど、俺はあんなもん、持ってたくない」

「お前はあれも誰かにやったのだったな。気前のいいことだ」

「別に俺のもんじゃないぜ、あの石は」

「お前のものにもできたのに、と言っておるのだ」

「だから嫌だって言ってんだろ」

「いつまでも」

 オルエンはにやりとした。

「そうして逃げていられると思ったら、大間違いだぞ」

「……待て」

 エイルは血の気が引くのを覚えた。

「だって、もう、あの件は終わったろ」

「そうだな、終わった」

「どっちなんだよっ」

「〈変異〉が終わっても、お前の人生は続く。あと五十八年、生きてみろ。次の〈変異〉の年に、お前に何が起こるかな」

「おいっ」

「言っておくが、私は知らんぞ。何か起こるかもしれん、と言うだけだ」

「その前に死にたいね」

「何と。情けないことを言う。私の弟子なら私の半分も生きてみんか」

「冗談よせっ」

 オルエンがどれだけ生きているのか知らなかったが、そんなことまで師匠を見習えと言われても困る。

「まあ、あと五十八年は何も起きないってんなら、いいけどさ」

「さて、どうかな」

 エイルが呟くように言うと、オルエンは肩をすくめた。

「お前が本当に、魔力を持つだけのただ人たるかどうか、生きながら確かめてみるといい」

「やめろ」

 エイルは知識にある限りの、ありとあらゆる魔除けと厄除けの仕草を続けて盛大にやったあとで、念のために呪い返しの印も切った。私は何もしておらん、とオルエンは不満そうに言う。

「これは有難く受け取る。気に入らないけど、魔除けと相性がいいってのは悪いことじゃない。それも認める。だけどそれ以上はお断りだからな」

 エイルは薄い緑と白の混ざった直径十ファイン弱の円盤のようなものを握りしめて言った。

「断るんなら、〈宮殿エクス〉に行って〈女王陛下〉にやってこい」

「できるもんならそうしたい。誠心誠意、お願いしたいところだよ」

 エイルは祈りの仕草をしてみせてから、嘆息した。オルエンは笑う。

「まあ、あれは頼まれたくらいで心を翻す女神様ではないがな。それどころか、もしそんな気が彼女になければ、却って興味を引く結果になるかもしれん。賭けてみるか?」

「〈神様の不興を買わないためには興味を引くことを避けろ〉。余計なことはしないよ。第一、俺はもうあの宮殿には行けない」

「判っとるなら、いい」

 オルエンの台詞が、エイルの言葉の前半に対してか後半に対してか、はたまた両方かは判別がつけづらかった。

「それじゃこいつを持ってラスルの巡回につき合わせてもらうとするか」

「前向きでけっこうだ」

「あんたは何を知りたいんだよ」

 エイルが問うと、オルエンは首を傾げた。

「何を……とな?」

「恍けんな。俺の修行だとか言って、サラニタについて何か知りたいんだろ。言っといてもらわなきゃ、見逃す。それで見逃したって文句たれられるのはご免だからな」

「恍けてなどおらんよ。サラニタがルファードならば生態を知りたいとは思うが、それは何も切羽詰まった希求でもない。お前によかれと思ってやらせているのだ、とは信じないのか?」

「信じられるもんか」

 エイルは即答したが、オルエンは笑うだけだった。

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