08 これから、探すことになる
オルエンの望みはどうあれ――たとえ本当に、これが何らかの形でエイルのためになると思っているのだとしても――クラーナがいれば喜んだだろうにな、というのがエイルの思うことだった。
砂漠の魔物が歌を歌う。
実際に声を出して歌うのではなさそうだが、魔物が首飾りを身につけ、その首飾りが美しい音色を奏でる、というのも物語めいている。
クラーナとは〈変異〉の年以来会っていない。思い返してみれば顔を合わせたのは数えるほどだったが、エイルはかの詩人に好感を抱いていた。
個人的な話をする時間は全くなく、彼が砂漠の民と親しいというのは伝聞であったが――。
と考えて、エイルは、この件に向きそうなもうひとりの人間を思い出した。
どこにいるのかも判らない吟遊詩人と違って、居場所ははっきりとしている。
だが、幸か不幸か東国の友人に声をかける訳にはいかない。あとで話をすれば、何故自分を誘わなかったと文句を言われることは目に見えているが、一応仮にも王子様である。いくら当人に城を抜け出す悪癖があったところで、その片棒を担いで彼の侍従に目をつけられるのは楽しくない。
「本当にまたきたのだな、〈塔〉の主」
エイルはナルタに迎えられてにやりとした。
先日の訪問で、彼は砂漠の民たちの間でも伝説に近い〈魔術師の塔〉の話をし、そこに住んでいるという話をした。
彼らがそれを信じたか、よくできた物語だと思ったかは判らないが、そう呼びかけるナルタの声に「西」の人間ならばやりそうな揶揄の響きはない。真実であっても騙りであっても、彼らはエイルの話を面白いと思って受け入れた、という辺りであろう。
「サラニタについてもっと知りたい、というのが例の魔術師のご要望でね。まあ、俺も興味深いと思うし」
「歌は近頃、あまり聞こえない。聞こえるときも、弱い。もしかしたらサラニタは死ぬところなのではないか、というのがこのところの意見だ」
ナルタの言葉にエイルは片眉を上げた。
「死ぬ?」
「もしかしたら、だ。初めは遠ざかっているのではないかと言われたが、耳のよい者が聞くと距離はそう変わっていないと言う。死ぬのではないにしても、歌と一緒に身体も弱っているというのが、巡回する者たちの考えだ」
歌うのはサラニタではなく首飾り〈風謡い〉だという話だったが、彼らはそれをまとめて考えているようだった。
「そうなのか」
オルエンが知ったらがっかりするだろうか、とエイルは思った。それがルファードとかいう種族であるならば、生態を知る前に死んでしまっては残念だろう。
「死ぬ前に正体を突き止めよう、という話もあるが、やはり危険だという声もある。長の判断が下るのを待っているところだ」
「エイル、きたのか、〈塔〉の主」
ほかからもエイルをそう呼ぶ声がした。エイルは苦笑して振り返る。
「その呼び方も悪かないけど、あんまりそう連呼されるのは、ちょっと」
「待っていた。きてくれ、長が呼んでいる」
意外な言葉にエイルが急いで長の天幕に入ると、ラスルの長は安心したように笑んだ。
「――きてくださったか、エイル。砂漠の友よ」
「光栄です」
エイルが答えたのは「砂漠の友」と言われたことに対してだった。彼は通りすがりの「客人」ではなく、それ以上に迎え入れられたということだからだ。
「俺……私にお話というのは」
何となく口調を改める。
下町の少年であった彼が礼儀作法を叩き込まれたのは、王女殿下との会見のためだった。
初めの内は教わった敬語を使ってみてもぎこちなく、まして「王女と言ってもわがまま娘にすぎない」と思っていたシュアラに丁寧な口を利かなければならないことに憤りを覚えたものだ。
いまやよくも悪くもお互いにすっかりと慣れてしまい、普段通りの口利きをしても王女はそれを咎めなかったが、エイルの方でも最低限の礼儀は忘れなかった。
最初は無駄なものだと思っていたこの「礼儀作法」というやつは、しかし考えていた以上にどこへ行っても役立つものであった。思いがけず身につけたそれは、たいていにおいて好感を得られる要因となる。
いまや彼は、下町出身とは思えぬほど「礼儀正しく」することができるようになっていた。
判断をして「この場では行儀よくした方がよさそうだ」と思うこともあれば、自然と尊敬が口に出ることもある。長に対しては後者だ。
「あなたは不思議なお人だ、エイル」
長はそう言った。
「砂漠の民には想像もつかぬ西の地で生まれ、砂漠の民にも想像のつかぬ東の地で暮らす。数奇な定めを持っている」
「選べたなら、もう少し平穏なのにしたかったんですが」
控えめにエイルが意見を述べると、長は微かに笑んだ。
「あなたに魔物を見つけてもらいたい」
長は、それ以上の前置きをせず、さっと本題に入った。そのことは理解できたが、突然の言葉にエイルは目をぱちくりとさせる。
「その……ラスルの許しさえいただければともに探したいと思ってはおりますが」
「そうではない、あなたに」
意味するところに気づいたエイルはぎょっとなった。
「それはつまり、ひとりでですか?」
長はうなずいた。エイルはぽかんとする。
「いったいまた、どうして」
これが「西」での話ならば判る。
たとえば、自身の兵隊を正体不明の危険にさらしたくない軟弱な領主が、たまたま訪れた余所者にこれ幸いと依頼をする。
失敗しても余所者のせいにできるし、その過程で命を落としたとしても、余所者であれば泣きながら恨み言をいう家族もいない。加えて魔術師であれば成功の可能性は高く、やはり失敗して死んだところで、厄介払いができたとでも思う辺り。
しかし砂漠の民にそのような小狡い気質はないから――もしかしたらそんな性悪もいるかもしれないが、少なくともエイルは知らない――長の言葉をそういう方向に疑いはしない。
だが、では何故なのか。
「サラニタとあなたには関わりがあるからだ、友よ」
それが長の返答だった。
オルエンがこのようなことを言えばエイルは怒鳴る。訳の判らんことを言うな、とか、勝手に人の運命を決めるんじゃない、ふざけるな、てめえでやれ、というあたりだ。
だが長に言われれば重大に受けとめる。
生きている年数で言えば、若く見えたところでオルエンの方が断然長いから、これは年長者に対する敬意というより――エイルに言わせれば――人徳だ。
「関わりと言われるのは、どのような……」
よって、エイルは突っかかるよりも、問うた。長はすっと目を閉じ、瞼の裏に何かを見るかのようにそのまま話す。
「サラニタは、あなたが探すものに通じる。これはラスルのためだけではない。あなたのためになることなのだ」
「俺は別に、何も探してないんですが」
断ったり異を唱えたりするためではなく、青年は単純に事実を告げた。いま彼は、どんな宝玉も――鍵も――探してはいない。幸いなことに。
「これから、探すことになる」
長はゆっくりと目を開けた。
「……判りました」
エイルは言った。
正直に言えば、もちろん判らなかった。長も、エイルが得心していないことは承知だろう。エイルが無条件に長を信じる義務はなく、拒絶したところで一度作られた砂漠の民の友情が微塵に砕かれることもないから、好意を失いたくないというような理由で無理に引き受ける必要もない。
だが、エイルは了承した。
これが彼の定めであると、オルエンに言われればもちろん腹立たしいのに、砂漠の民の長に言われると不思議な説得力がある。
受け入れるのに抵抗がない。
厳しい環境を選んで生きる人々の穏やかさと暖かさは、砂ばかりが広がる大地を豊潤で生命力溢れるものに見せる。塔の見晴台から嫌になるほど砂地を見慣れたエイルの目にも、だ。
心を広くさせる。どんなことでも、受け入れさせる。
これが砂漠の神秘性で、魅力なのだろうか。
「私がサラニタの正体を見てまいります」
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