第七十八話 葛藤

「マルク様ぁ」

「ミルル、淋しかったですぅ」

 メルルとミルルが駆け寄って来てマルクの足下にすがりついた。

「メルル、ミルル、ご免よ。淋しい思いをさせたね」

 とマルクが言った。

 フランが伯爵夫妻のメイドに変わったので、ソフィアによってこの二人が戻された。

「マルク様ぁ、マルク様が伯爵家をお継ぎになるのでしょう? 約束通りに私達を伯爵夫人にして下さいますよねぇ」

 とメルルが言った。

 その時マルクは食堂で昼食を取っていた。

 世話係のフランがいなくなり、不便を強いられていた。

 朝の洗顔も着替えも用意をする人間がいないからだ。

 ベルを慣らしても誰もこないし、そもそも着る物や靴がどこにあるのかも自分では把握してなかった。


 ケイトの意見を聞こうと部屋まで行くと、彼女にはリーファとパウラの二人のメイドが側にいた。

 雰囲気からして、マイアやメアリと同類である事をマルクは理解した。

 自分付きのメイドをどうにかならないかとケイトに相談したが、ケイトは恐ろしそうな顔で、

「知らないわよ! そんなこと! ソフィアにお願いすればいいじゃないの!」

 と怒鳴った。

「兄様! 私に面倒を持ってこないで頂戴! 恐ろしい……」

 そう叫びながらもケイトの身体は震え、目には涙が滲んできている。

「そうだよなぁ……恐ろしいよな、なんでこんな事になっちまったんだろうな」

「お父様お母様も……あんな姿になってしまって……」

「だよなぁ……馬小屋で生活なんて……あんまり気の毒だからさぁ、世話役のフランに肉とか果物を持たせるように言ってあるんだ」

 ケイトはきっとマルクを睨んだ。

「そんな事をしてソフィアの怒りに触れたらどうするのよ!」

「だって両親だぞ? いくらなんでも……」

「兄様はたいした目に遭ってないのね?」

「え?」

「私は酷い目に遭ったわ。死んだほうがましだと思うほどの目に遭いましたのよ?! もう一度あんな目に遭ったら、きっとおかしくなってしまう……ソフィアは人間じゃない。化け物よ!」 

 そう言ってから自分の側にいるリーファとパウラの視線を感じて口をつぐんだ。

「とにかく、私はもう……彼女には逆らわないし、怒らせるような事はしない……だからメイドが欲しければソフィアに相談してちょうだい。望めば兄様専属だったメルルとミルルを戻してもらえるのでは?」

「そうか、そうだね。ありがとう、ケイト」

「兄様……もう私達は二人っきりですわ。ナタリーだって死んだ、きっとソフィアの手にかかったのよ。あの恐ろしい遺体を見たでしょう? 最後には……魔物のように消えてなくなった! ローガンもエリオットも何か別の生き物のようだし……」

「そうだね、僕たちは……恐ろしい子を目覚めさせてしまったんだ」

「私はオルボン家へ嫁ぐ……ナイト・デ・オルボン様も人間ではないかもしれないけど、私が生き残る術はそれしかないわ。お兄様も」

「ああ、ソフィアを怒らせないように大人しくするよ。けどなぁ、父様が最後に言っただろう? フェルナンデス叔父様の事さ、四大公爵家へ婿入りし、その手腕を発揮して、今は大公閣下だぞ? 父上があんな姿にされたなんて耳に入ったら……元々軍人で、素晴らしい剣豪だ。その腕で出世し、爵位なんか関係なく国軍の最高騎士団長になった人だ。死神将軍とも恐れられていた人だぞ?」

「やめて! 私は知らないわ! 困るのはソフィアよ! 私はオルボン侯爵夫人だもの。オルボン家は夫人である私を守るはず。ソフィアとフェルナンデス伯父様の諍いには関係ない。お兄様こそ、立場を明確にしておかないと、困りますわよ? ソフィアに付くのか、フェルナンデス伯父様につくのか」

「ああ……それな」

 それからソフィアにおずおずと願い出たところ、メルルとミルルがメイドとして戻って来たので、やはりソフィアの方に付くべきかと悩んでいた。


「マルク様ぁ……ミルルは恐ろしゅうございました」

「メルルもです……」

 久しぶりに二人の可愛いメイド傅かれ、マルクはほっとした。

 この生活だけは守りたかった。

 しかし誰について誰と敵対すればいいのか、長い間、ぼーっと生きてきたマルクには決断が難しかった。

 さらに、伯爵が引退し家を継ぐ以上、責務が課されてくる。

 ワルドが抱えて来るこの屋敷の帳簿ですらよく分からないのに、ヘンデル伯爵の領地の経営もある。

「どうすればいいんだ……」

 マルクは頭を抱えこんでしまった。

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