第七十七話 芋虫

「お、親をこんな目に遭わせて……ただですむと」

 伯爵は床に跪いたままで呟いた。

 身体の傷は治ったが、焼け焦げた衣服はボロボロだった。

 飽食の限りを尽くした裸体はぶよぶよと太り、さらに老いが醜悪を演出していた。

「まあ、まるで正義の味方がお父様を助けに来るような言いぐさですわね」

 とソフィアが言った。

「わしのすぐ下の弟は公爵家へ婿に入り、今では公爵閣下と呼ばれる人物なのだぞ! 国王陛下にも引き立てられているのだ! お前が私をこんな目に遭わせて、伯爵家を乗っ取るなどと弟のフェルナンデスが許さんぞ!」

「こんなチンケな家、乗っ取るつもりはありませんわ。デブ兄様がいらしゃるのに、それに」

 とソフィアはふふふと笑った。

「ジジイ、お前、もう一度その自慢の弟に会える暇があるとでも思ってんのか?」

「わしをどうしようが、フェルナンデスは必ず助けに来る! あれはそういう男だ! わしをこんな目に遭わせたお前を決して許さないぞ!」

「へえ、それは楽しみだ」

 ソフィアは本当に嬉しそうににっこりと笑った。

「それなら公爵閣下が助けにくるまで、イカレタ夫人と馬小屋で仲良く暮らすんだな。あのババアもお前のせいで苦労しただろうしな。大事にしてやんなよ。剣召喚!」

 ソフィアがそう叫ぶと、その手には長い銀色に光る剣が現れた。

 剣を手にソフィアは伯爵の方へつかつかと歩みより、剣を振り上げた。

 魔法で召喚した剣だがそれでも八歳のソフィアには大きく、振り上げるだけで身体がふらついた。背後からソフィアを支えたのはローガンで、

「お手伝いしましょう」と言った。

「大きなお世話よ」

 ソフィアはそう言って振り上げた剣を伯爵の右肩にたたき込んだ。

「ぎゃああ!」と言って伯爵はのけぞった。

 剣豪ならば一刀両断して腕を飛ばすだろうが、小さなソフィアの力では伯爵の肩の骨は切断しきれなかった。

「け、嫌になるわ。この非力!」

 とソフィアが言い、

「魔法でなさればいいのに。火でも氷でも、人間なんぞ一瞬で粉々ですよ」

 とローガンが笑いを噛みしめながら助言した。

「あたしは自分の力で壊すのが好きなのよ!」

 ソフィアは一歩踏み出して、また剣を振りかざした。

「本当は伯爵も夫人も殺してやろうと思ってたけど、こいつらに死なんて安らぎを与えるなんて褒美もいいとこだよな? 生きて生きて、虫を食ってもクソを食っても生きろ。死ぬなんて許さないからな。お前らがソフィアに言った「虫けら」だの、「ゴミ」だの。お前らがそれになるんだよ!」

 ソフィアはそう言いながら剣を打ち下ろしたが、どれも伯爵の腕や足に傷をつけただけで終わった。

 伯爵の四肢は中途半端にくっついたままその傷から血を流し、伯爵から嗚咽が漏れた。

「あー、疲れた」

 ソフィアはぽいっと剣を床に捨てた。

「世の中敵ばっかりだよな。本当のソフィアもミランダもこんな復讐は望んでないのかもしれないけど、あたしはそんなお人好しじゃないんでね。ジジイを殺そうが、兄姉を殺そうがこれっぽっちも何とも思わないからね」

  伯爵は大きく目を見開いてソフィアを見上げた。

 ぶるぶると震えながらその瞳にはうっすらと涙が浮かんでいたが、

「悪魔め……」

 とだけ呟いた。

「マルク兄様、ケイト姉様」

 ソフィアがぐるんと自分達の方を見たので、二人はびくっと身体を震わせた。

「両親がこんな目に遭っても悲鳴もあげなくて、二人とも気丈ね」

 ケイトは自らも一度、恐ろしい目に遭わされているので、その時の事を思い出せばどんな惨劇だろうが見ているだけなら平気だった。

 あまりにも恐ろしい事が続き過ぎて麻痺しているのかも知れないが、大人しくソフィアという嵐が過ぎるのを待つだけだった。

 自分にはオルボン侯爵家夫人になる未来がある、それを思い出すとたいていの事は我慢出来た。自身の親がどんな目に遭わされようが、自分の未来の方が大事だった。

 マルクも自分が伯爵家を継げるならば、ソフィアに付いていた方が得だと考えていたので、彼女を止めて怒りを買うわけにはいかなかった。

「つまんないの」

 ソフィアは手をかざした。小さな手の平には氷の粒が集まり、それが集まって薄い氷の層を形成した。それはゆっくりとソフィアの手を離れて伯爵の方へ向かった。

 ギュイーンと小さく細い音がして、それは回転を始めた。

 伯爵の千切れかけた腕に向かい、そっとそっとその残った神経を切断していく。

 伯爵は怒号のような悲鳴を上げたが、どうにもならなかった。

 かろうじてつながっていた右腕は切断され、それから次に左腕に取りかかった。

 両腕は肩の部分で切断され、両足は膝の部分で切断された。

 伯爵はのたうちまわり、悲鳴を上げ、許しを乞うたが、それはもうソフィアの耳には入らなかった。

 ただ退屈そうに伯爵の四肢が本体から離されるのを眺めていた。


「フラン!」

 フランはテーブルの横に蹲って、この惨劇が終わるのを待っていた。

「は、はい」

「お前、今日でデブのメイドはクビな。馬小屋でこの芋虫とばばあの世話してやれよ」

 とソフィアが言った。

「返事は?」

「は、はい、かしこまりましてございます」

「いいお返事。褒美に1つなんか願いを聞いてやるよ。無傷でこの屋敷を出るか、給金アップのどっちがいい?」

「え!」

 この恐ろしい屋敷を出られる?!

 しかしこの年で今からどこかへ奉公する当てもない。

 フランはメイド長だけあって、他のメイドよりも給金が高い。

 フランはオロオロとしながら考えている。

「五つ数える間に答えろ」

「え、え……」

「五、四、三、二、いー」

「きゅ、給金でお願い致します!」

「ハハハハハハ! いーね! じゃあ芋虫の世話してやれ。死なせんなよ」

 とソフィアが笑った。


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