第七十六話 似て非なる者
ソフィアはマルクとケイトの方へ振り返った。
「マルク兄様もケイト姉様も、お母様を助けてって懇願もしないんだ。あんたらには普通の母親だったんじゃないの? 見殺しとか。さすがだね」
ソフィアがそう言っても、二人は俯いたままで目の前で怒った惨劇にカタカタと震えるだけだった。
「それにお父様も? 奥様がこんなにされても震えてるだけ?」
とソフィアは伯爵を見た。
伯爵は目を大きく見開いて、ワルドが呼んだ使用人達に運び出される夫人を見送った。
庇おうとか助けようなどの気持ちは一切なく、自分がここから逃げ出す算段しか頭になかった。
「ソフィア……お前、聖魔法が使えたのか」
と伯爵が言った。
ソフィアは返事をせずにふんっと横を向いた。
「そうなんですよ。聖魔法だけじゃない、火、水、地、風、雷、闇まで、全属性の使い手ですから」
と言ったのはローガンだった。
「え……素晴らしいじゃないか! 聖女……いや、大聖女の称号すら頂けるぞ!」
と伯爵は言った。
「過去の魔王戦争で亡くなられた大聖女……それ以来、光の魔法のみの聖女は出てきたが、大聖女に相応しい魔術師は出ておらん……それが我が伯爵家から! この私の娘だとは!」
「えーびっくり、娘って認識あったんだ。飯も食わせねえ、風呂も入れねえ、屋敷でも学院でも散々虐められてかばいもしねえ、それでよく娘だって言えるね。夫人だってあんなになっちゃってんのにかばいもしないって」
とソフィアが冷めた口調で言った。
「……」
妻のマーガレットは精神に支障をきたした。
もう伯爵夫人として振る舞えず、ましてや人前にも出せない。
あんな奇怪な姿にされた女はいっそ追い出して、新たに妻を迎えればいい。
ケイトも侯爵家へ嫁ぐし、自分は大聖女様の父親である。
もしかしたらもっと上位の爵位を賜るかもしれない、伯爵はそんな事を考えた。
「何か見当違いな事を考えてるみたいだけど、お前の娘とか呼ばれるの虫酸が走るわ。お前も夫人と一緒に馬小屋行きだから」
とソフィアが言った。
「わしは当主だぞ!」
「は? 何の為に引きこもりのデブを生かしてると思ってんだ? お前は引退してデブが伯爵を継ぐんだよ。なあ! マルク兄様!」
ソフィアが話題を振るとマルクは目をきょろっとさせて狼狽えた。
「兄様も言ってやんなよ! ジジイみたいな家族を不幸にする当主にはならないってよ! メイドにたくさんガキ産ませて、正妻の子も愛人の子も可愛がるってな!」
「いや、あの……まあ、いずれはそうですが……やはりあの……」
「遠慮すんなって。ケイト姉様が侯爵夫人になるんだぞ? ナイト・デ・オルボンががっぽがっぽ援助してくれるからさ。ガキ、何十人作っても食いっぱぐれやしねえゾ! 伯爵家は安泰だ。だからジジイ、お前はもういらないんだ!」
「私はお前達の父親だぞ!」
「お前が父親だった事なんて一回もねえよ。クソ野郎」
ソフィアはそう言うと、手の平に貯めた電撃をテーブルに放った。
バリバリ!と音がして、大理石の素晴らしいテーブルは黒焦げになって二つに割れた。
そこからソフィアは電撃を伯爵の肩、腕、胸、腹、太もも、足と立て続けに喰らわせた。伯爵は身体で電撃を受け、泡を吹きながら床の上をビクンビクンと跳ねた。
「助け……」
着衣は焼けてボロボロになり、ブーツも脱げて飛んでしまった。
醜い裸体を晒した伯爵が許しを乞おうとした瞬間、ふわっと緑色の空気に身体が覆われた。
みるみるうちに火傷の傷も、衝撃で出来た切り傷もが治癒した。
傷は治癒しても失われた体力、気力は回復しない。
伯爵は息も絶え絶えだったが、嬉しそうな顔でソフィアの方へ手を伸ばした。
伸ばし返したソフィアの手に平に浮かぶ小さい炎の弾。
「殺すなんてもったいない、何回でも回復してやるよ。どれだけ魔力つうのがあるのかは知らないけど、これで二度と魔法が使えなくなっても構わないからさ!」
とソフィアがヒステリックに笑った。
伯爵は床を這うようにしてソフィアに背を向けた。
「ヒイイイイ」
と叫びながら逃げるが、怪我は治っても失った体力は戻らない。
ソフィアは赤ん坊のはいはいよりも進まないスピードで進む伯爵の背中に大きな火の弾を落とし、伯爵はギェエエ!と悲鳴を上げた。
真っ赤な背中は皮膚が破れ表面の肉がじくじくと焼けていた。
「冷やしてやんよ」
次にソフィアの手に現れたのは小さな氷の粒で、彼女はそれを爛れた伯爵の背中へどさっとかけてやった。
「ひいいい」
四つん這いの伯爵はその場にどさっと俯してしまった。
「痛い……助けてくれ…」
「ミランダが孕んだ時、なんで始末しなかったんだ?」
「そ、それは……ミランダがどうしても嫌だと……せっかく授かった命だから……それに」
と伯爵が言った。
「それに?」
「ミランダは美しかった……その子ならきっと」
と伯爵はソフィアを見上げた。
プラチナブロンドに白い肌、アイスグレーの瞳、美しい人形のように整った顔立ち。
令嬢が着用するレースがいっぱいの白いドレスも彼女に似合っていた。
さらに全属性の魔術師であるソフィがこのまま成長すればどんな高位の貴族から、否、皇太子妃にへと望まれるかもしれない、伯爵ぼんやりとそんなことを考えた。
「こんなに美しいとは……ミランダに生き写しだ……」
「ケッ」
とソフィアは言った。
「お前、生まれて初めてソフィアを見たのか? 違うだろうが! その濁った目ん玉にソフィアなんぞ写ってなかっただろ? 散々無視しといて、何がこんなに美しい~だ。頭、沸いてんのか、ジジイ」
「ち、違う……違うんだ。ソフィアは……これほど美しくなかった」
と伯爵はソフィアを見上げながら言った。
「は?」
「分かる」
と言ったのはエリオットだった。
ソフィアはエリオットを振り返った。
「前のソフィアと今のソフィア様は似て非なる者だからね。陰気で気弱で虐めたくなるような雰囲気だったソフィアは自分で仕返しなんか出来ない善良な人間だったけど、今のソフィア様は魔王も吃驚の悪の塊。同じ顔でも違うように見えるさ。もちろん、今のソフィア様は美しい。衣食住に吊られて寄って来た魔族達さえ魅了してしまうほどさ」
とエリオットが言ってクスクスと笑った。
「うるせえ、エリオット、お前も殺すぞ」
ソフィアはエリオットを睨みつけて、
「生まれた時から大事に育ててやれば、ソフィアだってもう少し陽気になれただろうよ」
と言った。
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