第七十二話 伯爵夫妻の帰還

 翌朝、まだ暗いうちに伯爵夫妻が屋敷に帰り着いた。

 何名かの心優しく正直な使用人は慌てふためいた。

 夫妻を怒らせれば酷い罰を与えられるのを知っているので、眠い目をこすりながら必死で着衣を整え、門へ向かった。

 しかし伯爵家に残った使用人の人間は少数で、あとは寝床と食料につられて来た魔族ばかり、それを率いている執事長のワルドからして魔王の左足という魔族の中でも超大物。

 主と仰いだソフィアを虐めていた伯爵夫妻など、ソフィアの一言で食い荒らされるのは明白で皆がその合図を待っていた。


「さっさと出迎えんか! 馬鹿者!」

 と早速怒鳴られたのはワルドだった。

 その場に駆けつけてきた中身が魔族の使用人達は殺意を放ったが、ワルドはそれを一目で押さえつけ、

「お帰りなさいませ、旦那様」

 と言って頭を下げた。

 馬車から降りるなり、「腹が減ったぞ」と言い、夫人は「疲れたわ。お湯は用意出来てるでしょうね」と言った。

 少しでも顔に出せば鞭が飛び、給金は払われず、下手をしたらクビになるこの伯爵家での奉公は辛い物だが、上手くやれば他所よりも高い賃金が貰える。

 その為に同胞をイジメて主人に擦り寄りおべっかを使う者が大多数で、正直者が馬鹿を見て損をする体制だったが、今はローガン率いる魔族によって主に忠誠を誓いその為に働く素晴らしい体勢に変わっていた。

 人間の皮を被った魔族達はローガンやエリオット、ワルド、さらにその主であるソフィアに褒められようと躍起になっている。


 ワルドの合図ですぐにメイドが屋敷に駆け込み、伯爵夫妻の為に食事と湯の用意、着替えなどを伝え、活気づく伯爵邸。


「ソフィア様、伯爵が戻って来ましたよ」

とマイアがベッド側に立ち、ソフィアに声をかけた。

 ソフィアは片目を開けてマイアを見たが、

「まだ暗いじゃない」

「ケイトがセブンス、いえ、ナイト・デ・オルボン様を夕食に招いたってのが耳に入って慌てて戻ったんじゃないすか。ケイト自ら、オルボン様との婚約を受け入れたと伯爵に手紙をしたためてましたから」

「ふーん」

「セブンス・ドラクール様が憑依する前のナイト・デ・オルボン様はねえ、もう化けもんより化けもん、洞窟の中で腐った獣の肉を喰らうゴブリンより不潔でしたからね」

「でも、今は綺麗な男に化けてるから、気に入るんじゃないの?」

「そうですね。ケイトもたちまち擦り寄ってましたからねぇ」

「ケイト姉様、自分の魔法でナイト・デ・オルボンを殺したの覚えてないんだ」

「ですねぇ、しかしあの時の魔法はお見事でしたね」

 とマイアが笑った。

 ドアがノックされて、入ってきたのはフランだった。

 夜中にもメイド服、ブルーのふりふり提灯袖、ミニスカートを着用している。

「旦那様がお戻りになり、皆様をお呼びで……」

「あたしも?」

「いえ、あの……ソフィア様、どうか奥様にお目通りの前にこの制服を着替える事をお許し下さい……」

 フランは床に頭を擦りつけてソフィアに願い出た。

「奥様はきっとお許しくださいません……私は解雇されてしまいます……お願いいたします」

 ソフィアはベッドから身体を起こした。

 側にいるマイアは冷たい、ぞっとするような目でフランを見下ろしている。

「いいよ」

 とソフィアが言った。

 フランがはっと顔を上げて、

「本当でございますか! ありが……」

「あんたはあのばーさんに付く、それがあんたの意思表明なんだな?」

「え……」

「この先、その制服を来てデブの世話さえしてれば、給金も貰えて一生安泰だったんだけどね? あんたはマーガレット・ヘンデル伯爵夫人に付く方がこのあたしよりも安全だと思ったって事だな?」

 震えながらソフィアの顔を見上げたフランはその目を見た途端に泣き崩れてまた床にうつぶした。

「お許し……ください……」

「あんたがミランダを馬小屋に押し込めて死なせたって事を忘れたなんて思うなよ? ひと思いに殺ってしまわないのは、お前に死なんて安らぎを与えるつもりがないからだよ。まあ、いいよ。着替えて奥様の機嫌を取りにいけよ? あたしもすぐに行くからさ」

 とソフィアは言った。

 泣き叫び、身体中の水分を放出しながらフランはマイアに放り出され、よろよろと階下へ降りて行った。


 ダイニングでは湯浴みをしてさっぱりした伯爵夫妻が席につき、メイドや執事らが酒を運んだり出来た先から料理の皿をテーブルに出すのを待っていた。

 日はまだ明けておらず、窓の外は薄暗い。

 就寝中だったはずの使用人達が眠そうな顔もせずてきぱき動くのを夫人は満足そうに見渡した。それも全て自分の采配が上手くいっているからだと信じてやまなかった。

 しかし使用人のほぼ大多数が魔族で乗っ取った人間の脳の記憶を頼りに動いていて、さらに夜の闇の方が身体が軽い。

 主人がしばらく留守にしていたにも関わらず、うやうやしく動く使用人達にすこぶる満足な伯爵夫妻だったが、マルクがミニスカートのフランを共に現れたのを見て、夫人が目をつり上げた。

「フラン! お前は何という……その格好は何!」

 貴族の淑女は何があっても声を荒げないのものと教育されているが、さすがにフランの格好に、伯爵はワインを吹き出し、夫人は思わず立ち上がった。

「旦那様、奥様……お帰りなさいませ」

 とだけフランは言って俯いたが、すぐに椅子に座ったマルクの世話を始めた。

 フランの服がマルク専用メイドのミルルとメルルの制服である事は伯爵夫妻も知っていた。

「マルク、あなたのメイドは? 若いのが二人いたでしょう?」

 と夫人が言った。

「ああ、ミルルとメルルは今、ケイト付きになってるよ」

 就寝前に食事はしたが出された物を食べない選択はないマルクはパンを取り、スープを口にした。

「何故?」

「さあ。ソフィアがそうしろって言うし」

「ソフィア? あのメイドの子が何故? そしてあんな平民の子の言うことをあなたは受入れてるの?!」

 夫人は金切り声を上げた。

 伯爵は側へ控えていたワルドへ、

「執事長、説明しろ。私の留守にあれを自由に屋敷内を歩かせたのか?」

 と言って睨んだ。

 ワルドはうやうやしく頭を下げ、

「さようでございます。私ども使用人の前ではあの方は伯爵令嬢でございますから」

 と言い、それを聞いた、メイドや若い執事達がニヤッと笑った。

 その雰囲気を察した伯爵は一同を見渡し、

「ソフィアを呼んで来なさい」

 と命じた。

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