第六十四話 マルクへの手紙
「マルク坊ちゃま、お手紙です」
盆に乗った手紙をフランが差し出しマルクはそれを面倒くさそうに手にした。
「なんだ、アーンシェ家のルイスからじゃないか。久しぶりだな」
マルクは焼き菓子をもぐもぐと咀嚼しながら、ぐいっと片手で紅茶を飲んだ、
「珍しいな、彼が僕宛の手紙を書くなんて」
マルクは乱暴に封を切り、便箋を取りだし目を通す。
「フラン」
「はい」
「今日の午後、ここを訪ねてくるんだってさ」
「ルイス・アーンシェ様がですか?」
「そう」
「お会いになりますか?」
「ああ」
と言ったマルクにフランは驚いた。
魔法学院を何とか卒業したものの騎士にも魔道士にもならず、家督を継ぐ勉強もせず、引きこもってきたマルクには画期的な行動でフランは驚いた。
「彼は数少ない友人のうちの一人だからな」
とマルクは言ったが、それは正しくなかった。
ルイスは友人ですらなくただの顔見知りだとフランは知っていた。
家同士の付き合いで知り合い、やはり数年前の学院同士の合同キャンプで同じ班になったつながりがあった。ここ数年はマルクは引きこもり、ルイス騎士団で活躍するという差が出て交流がなかった。
以前のマルクなら絶対断った友の訪問だった。
「かしこまりました」
フランは頭を下げた。
相変わらずふりふりピンクで丈の短いスカート、厚底ブーツにニーソックス。
しなびた腕や足を露出した少ない生地のメイド服を着用している。マルクに頼んでも「ソフィアがそう言うからなぁ」と相手にならないので、フランは日に一度、制服を普通のメイド服にさせてくれとソフィアに願い出ていた。結婚や出産の早いこの時代、フランの年では孫がいてその孫すら婚約していてもおかしくない。こんな破廉恥なメイド服で勤務させられているのは屈辱だった。
屋敷内の他のメイドにさぞかし馬鹿にされているとフランは思っていたが、メイドや使用人の大半は魔族に取って代わっており人間の衣装にさほど興味はなかった。残った人間はリリイのような正直で真面目な者ばかりなので、フランを嘲笑する事もなかった。
フランはため息をつきつつマルクの前から下がった。
アーンシェの子息が到着するまでマルクは菓子を食べ続けるだろうし、マルク付きのフランはたいしてする事がなかった。
それならばハウスメイド長としてメイド達の監督をするほうが何倍もやりがいがある。
マルクの部屋を出てキッチンまで行くと、執事長のワルドがいて搬入された食材のチェックをしていた。
「執事長、ちょっとよろしいですか」
フランが声をかけるとワルドは書類から目を上げた。
「何だい? メイド長」
「本日の午後、マルク様のお客様がいらしゃいます」
「客?」
「はい、アーンシェ伯爵家のご子息のルイス様です」
「へえ」
と言ってワルドはにやっと笑った。
ワルドの耳には合同キャンプレッスンでの話は入って来ていた。
お供に付いていったメアリから一部始終が語られた。
その夜はメアリの話を聞く為に屋敷の魔族達が一室に集まり、伯爵の部屋からくすねてきた酒を酌み交わしながら、ゴブリンキングやオークキングの話に花が咲いた。
そして瘴気の森から魔王の右腕や右足を慕う者達がそのままずるずると付いてきて、屋敷の庭の片隅に陣取っている。
屋敷の人間は入れ替えたばかりで空きがない。
いつか人間の皮を貰い、暖かい寝床や食事付きの暮らしが出来るのを夢見て待っていた。
もちろんそれをよしとしない魔族もいるし、人間との戦闘を好んでいる者も大勢。
それはそれで好きにすればよい、とこの集まりを統括する魔王の右腕が言うので皆がそれに倣う。だが比較的知能の高い者は人間的暮らしを好む傾向にあった。
子供と番いを人間の暇つぶしで殺され、見事にその復讐を果たしたオークキングは(この恩は忘れまい……我らの力が必要な時はいつでも参る)と言い、仲間を従えて闇へ消えて行った。
「それはマルク様には楽しみな事でしょう。数年前のキャンプレッスンで同じパーティでご活躍されたお仲間ですからね」
とワルドが言って笑った。
「あの……執事長」
「なんです?」
「どうか……ソフィア様にお願いしていただけませんか」
「何をです」
「この衣装でございます。普通のメイド服に……どうかお願いします!」
「それは駄目ですね」
「そんな……」
と涙目になるフランに、ワルドの手が伸びてきてそのメイド服の胸ぐらをがっと掴んだ。
「お前がソフィア様にしてきた仕打ちに比べたら楽なもんだろう? お優しいソフィア様はお前の命だって見逃して下さってるんだぞ? 分かってんのか? そこんとこ」
と言った。
「し、執事長……」
「お前みたいな骨ばかりの年寄りでも食ってその皮を手に入れたい奴は大勢いるんだぞ? そこんとこ胆に命じとけ?」
どんっと突き飛ばされて、フランはよろめいた。
「いいな、胆、人間の胆」
という声がしてフランは辺りをきょろきょろと見た。
キッチンの中でコックやメイドがフランを見ていた。
その目は爬虫類のような冷たい無機質な目だった。
「ひぃいい」
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