第六十三話 アーンシェ伯爵

 アーンシェ領内を統括する伯爵家の執事は早朝の門番が慌てふためいて屋敷内に駆け込んできたのを咎めた。

 領主である伯爵夫妻はまだ就寝中で、屋敷に仕える者だけが起き出して、まずは暖かい紅茶を飲もうという時間帯だ。

 まだ空も暗く、日も昇っていない。

 夜番の門番は決して任務をおろそかにしていたわけではないし、知らぬ間に、と何度も大声でがなり立てた。

 門番を落ち着かせるために執事長は辛抱強くかなりな時間を費やしたが、

「ニコライ坊ちゃまの首が……門柱の上に……」

 と門番が言った瞬間に伯爵邸の一番外門まで走った。

 すでに門柱には知らせを受けた伯爵家抱えの兵士達が集まり、門柱に刺さったニコライの頭部を下ろしていた所だった。

「ニ、ニコライ様……」

 毛布で包まれたニコライの頭部は、首のところで切断されすでに腐臭を放っていた。

 顔の表情は酷く苦痛を訴え、血の気を失った顔は真っ白で硬くこわばっている。

 眼球はくり抜かれ、まぶたの部分はぺしゃっと凹んでいる。

 美しかったアイスブルーの髪の毛は無残にも毟られ、後頭部は強い衝撃を受けたのか頭蓋骨が陥没していた。

「何故、こんな事に……学院のキャンプへ行かれていただけで、安全だったはず。それにぼっちゃまは剣の腕も確かだ……」

 そう嘆いてみても、執事長はその首を抱えて伯爵夫妻の所に行き、事実を告げなければならなかった。



 アーンシェ家の当主は大男で豪傑な人物だが、ニコライを失った悲しみと憎しみを隠しきれず顔色は悪く悲壮な面持ちだった。

 代々有能な騎士を輩出している家系の中でも特に当主は強く剣聖と称されるほどの腕前だった。息子達に厳しく教えそれぞれに優秀な騎士に育ったが、一番出来が悪いにも関わらずニコライを溺愛していた。

 三男のニコライの無残な姿に夫人は倒れ、当主のベルンハルトは息子を殺されその首を晒された屈辱を許すまじと怒りに燃え、長兄ルイスは父の前では同じように悲しみと憎しみを表現したが腹の中では脆弱な弟を馬鹿にしていた。ルイスは父親に似て剣豪だが見た目が悪かった。母親と同じアイスブルーの髪と瞳を持つ美しいニコライを嫌っていた。それを僻んで弟を虐めると母親に叱られる。嫡男である自分は何事にも厳しく育てられたが、美しい弟には皆が甘かったのを彼は知っていたし、ニコライがそれを利用して被害者ぶるのも癪に障った。剣の腕で言えば兄のルイスの方が上だったし、実直で素直、剣の修行も家督を継ぐ仕事も真面目に学んでいた。だがルイスの目に見えない努力はニコライの笑顔に負け、騎士団の仲間ですら実直武骨なルイスよりも高飛車だが美しいニコライを愛していた。


「ルイス!」

「は、何でしょう、父上」

「お前はニコライをこんな目に遭わせた奴を探して生け捕りにしてこい」

 とベルンハルトが命じた。

「は?」

 ニコライの首だけを埋葬し厳かな葬儀の後にベルンハルトが言った。

「それは……」

「嫌だと申すか?」

「い、いえ、しかし……調べた所、キャンプ地で魔族との戦い破れたそうではありませんか。今からその魔族を特定するのは」

「では誰が! ニコライの首を門柱に晒した?! 魔族にそんな知恵が? あるならそれでいい、それを生け捕ってくるのじゃ! ニコライを危険な目に遭わせて救えなかった剣王学院と魔法学院を訴える件に関してはマイゼンガード公爵様に相談し、必ず何らかの処罰を与えてもらう。だが、ニコライをあんな目に遭わせた者も同じ目に遭わせてやるぞ!」

「父上……」

「貴様は弟をあんな目に遭わされて悔しくないのか! それでも騎士か! ニコライの仇を討つのが今からお前の使命だ! ニコライの仇を討たずに、お前に家督を継がすわけにはいかん! ハーミアもそれを望んでおるぞ!」

 母親の名前を出されてはルイスもうなずくしかなかった。

 ニコライの死後、母親のハーミアは倒れて寝込んだままだった。

 毎日泣き暮らし、熱が出て衰弱していくばかりだ。

「母上が……」

「そうだ」

 ベルンハルトがうなずき、ルイスはしばらく顔を見ていない母を思い浮かべた。

 ニコライそっくりの美しいアイスブルーの瞳、そして流れる髪。

 母親のハーミアは美しいが病弱で、ベルンハルトはその身体をいつも案じていた。

 ニコライは甘えるのが上手で伏せっているハーミアに手紙や花を贈ってはハーミアの笑顔を手に入れていた。逆にルイスは朴訥で、思いはあってもうまく表現出来ない質だった。

「ルイス! ニコライをあんな目に遭わせた奴を生け捕るまで屋敷に戻る事を禁ずるぞ! お前が騎士団でやらねばならない任務はシドーに任せる!」

 ベルンハルトはそう言ってから、ルイスに背中を向けた。

 ルイスは是とも否とも言えず、驚愕の顔でベルンハルトの部屋を出た。


「たかが学院のキャンプで魔物にやられるってザコすぎんだろ」

 と言ったのは同時に部屋を退出してきた次男のシドーだった。

 ルイスはシドーを見た。

「ま、適当な魔物を捕まえてきてこいつだっつったらいけんだろ。早く戻ってこないと僕が騎士団の地位も家督も貰っちゃうよ~~」

 とシドーが言って笑った。

「……剣王学院とは葬儀の時に話をしたけど、魔法学院へも出向いた方がいいな」

 ルイスははあっと深いため息をついた。 

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