第六十二話 エリオットの寄り道 3

「ギャ!」

 とニコライは叫んでジャンの陰に隠れようとするが、ジャンも矢を受けて平気なはずがない。嫌だ嫌だと身体を躱し、逃れようとする。

 矢は次々と二人を狙って飛んで来て、合間に怒号や二人を侮蔑する汚い言葉も投げかけられる。それに対して二人は腰の剣を手にする事も出来なかった。

 学生の身であり模擬戦くらいしか参加した事の無い二人にはあまりにも残酷な攻撃だった。自身の身がオークに変わっているというだけでも気が狂うほどの嫌悪感と絶望、その上に助けてくれるはずの学院の先生や同じ剣士を志す仲間が、いかにも醜い獣を見るような目で二人を見る。

 その視線は恐ろしかった。

 ニコライはジャンの身体を突き飛ばし、矢面に立たせようとした。

「ジャン! 俺を守れ! それがお前の任務だろうが!」

「ニ、ニコライ様! そんな!」

「俺は名誉あるアーンシェ家の男だぞ! お前みたいな下働きとは違うんだ! お前の任務は俺を守る事だ! 死んでも俺を守れ! ほら! 俺を逃がす為に時間を稼げ! なるべく長く生きて時間を稼ぐんだぞ! お前みたいな役立たずの最後の奉公だ!」

 どんっと、ジャンの身体は迫ってくる学院の人間達の方へ突き飛ばされて倒れた。

 そこへ走り込んできた剣王学院の剣士が飛びかかってジャンの身体に切り込んた。

「ギャ!」

 とジャンは悲鳴を上げた。

 身体が真っ二つになれば即死だったが、体の真ん中で剣が止まった。

 大量の血が流れ出てジャンの身体はよろめいたが視線はその先にあった。

 身体は強烈な痛みを感じ血反吐を吐きながら、ジャンはニコライの逃げて行く背中を見据えていた。

 ニコライがすぐに捕まって残酷な死を迎えますように、とジャンは願った。

 意識が途切れるその瞬間までジャンは呟き続けた。

「……殺……されろ……」


 ニコライはジャンの方を振り向きもせずに、森の中へと走り込んだ。

 矢は届かず、届いても木々に邪魔されて落ちていく。

 ニコライは木の根っこに足を取られながらも夢中で走った。

 そして心臓が破れるかと思うほどの疲労と足がもつれその場に倒れ込んだ。

 人間の怒号はもう届かなかった。

「助かった……」

 と思った瞬間、同時に恐怖が襲いかかる。

「どうして……」

 太い木の根に座り込み頭を抱えようとして、はっと自分の手を見る。

 薄緑色の手の平に太い指、爪も尖り、いつか見たオークそのものだ。

「何でだよ! 俺はアーンシェ家の次男だぞ! なんでオークみたいな醜い姿に……そうか……あの魔法学院の奴らが、俺に魔法をかけたんだ……俺がオークに見えるような? なんでそんな事を、あいつらとは初対面だぞ? そんな奴らのせいで、ジャンは死んだんだぞ! 魔法学院を訴えてやる!」 

 そう叫んで指で頭をわしゃわしゃと掻きむしるが、長く尖った爪が頭皮をひっかいて、

「痛っ」と自分の手指に視線を落とす。

 皮膚がむけて爪先に血がついているし、髪の毛も抜けて引っかかっている。

「クッソ!」

 ズンッと音がして、ニコライははっと顔を上げた。

 目の前の巨木の陰からこちらを見ている大きな身体。 

 深緑色の皮膚に筋肉隆々の身体、目はニコライを憎しみを含んだ目で睨んでいた。

「オ、オーク!」

 ニコライはガクガクと震えた。

 震えることぐらいしかニコライには出来ず、逃げる事も戦う事も頭に浮かばない。

 こちらが生物と認識せずに行き過ぎて欲しい、ただそれを願うだけで呼吸も止めてじっとしているしかなかった。

「愚かな」

 とオークが言った。

「戦う姿勢を見せるかと思えば、震えているだけか」

 ニコライの方がオークキングの言葉を理解出来ず、ただ震えているだけだった。

「剣を取れ、人間よ。我は復讐に来たのだ! お前に殺された我が子と番いの復讐だ! 剣を取って我と戦え!」

 グアングアンとオークキングの声が森に鳴り響いた。

 ニコライは「ヒイイッ」と言って身を縮めた。


「オークの王よ」

 と別の方向から声がして、エリオットが闇から姿を現した。

「右足様、まさかこの場を咎めやしまい? 我の復讐を?」

「もちろんだ。オークの王、お前がこの人間を血祭りにあげて終わりさ。人間はお前の好む、正々堂々とした殴り合いなど出来るはずもないよ。殴り、骨を砕き、肉を柔らかくしてから喰らうがいい」

 闇の中でエリオットの金髪は素晴らしく輝き、光を嫌う習性の闇の者すら魅了する。

 彼は八歳の少年の姿だが魔族が在るならば天の使いも存在し、それはエリオットのような美しい少年だろうとニコライはそんなことをぼんやり考えた。

「戦わないのか! 卑怯な人間め! 罠にかけ子を嬲り殺しにし、駆けつけた番いまで殺した! 暇つぶしの為にな!」

 とオークキングが激昂し、ニコライに向かって太い腕を振り上げた。

 ニコライはひいっと自分の腕で頭を守った。

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