第三十三話 思惑

「ローガン様、ただいま戻りました」

 深夜、ローガンの部屋の床に黒い影が浮かび上がり、ローガンに挨拶をした。

「マイアか、ご苦労、どうだった?」

 ローガンは机に向かって本を読んでいたがそれをパタンと閉じた。

 影は人間の姿にはならず、ゆわゆらと揺れるだけだったが、

「光の娘はまた学院へ戻るでしょう。ソフィア様が憂いを取り除いてさしあげましたから」

 と言った。

「憂い?」

「ええ」

 マイアとメアリは口々にことの顛末をローガンに報告した。

「そういう事か、ご苦労だったな、お前達。明日からはマルクについてくれ。ケイトが何か仕掛けてくる可能性もある。ソフィア様はケイトもマルクも殺るつもりだと思うが、俺としては伯爵家一家皆殺しは避けたい。せっかく手に入った人間の世界なんだからな。せめてマルクを傀儡として置いておくほうがいいと思う。ソフィア様にはそう進言する。お前達はマルクを守れ」

「ローガン様が継げばいいのでは? ソフィア様だって伯爵令嬢だし、マルクとケイトは殺して、お二人で伯爵家を継げばいいではありませんか」

 とマイアが言ったが、ローガンは笑って、

「そんな退屈な事はしたくないな」

 と言った。

「退屈?」

「ソフィア様の快進撃がこの家だけで終わると思うか? すでに学院にも手を出してるんだぞ? そのうちもっと敵が増える。面白そうだろ?」


「私達がマルクにつけばソフィア様のメイドがいなくなりますが?」

 メアリの言葉にローガンがふっと笑った。

「リリイという前からついてたメイドがいるだろう? それを戻す。リリイは珍しくこの腐った人間どものなかでソフィア様に優しいメイドだったらしい。だからリリイだけは殺さないそうだ」

「ふーん」

 とメイアがつまらなそうな顔をした。





「ソフィア様、本日からまたソフィア様のメイドをさせていただくようになりました」

 リリイが朝の挨拶と共にソフィアの部屋へやってきてそう言った。

「そうなの? マイアとメアリは?」

「マイアさんとメアリさんはマルク様付きで、メルルさんとミルルさんはケイト様付きのメイドになりました」

「あ、そうだっけ」

 ソフィアはふわ~と大きく伸びをしながらベッドから降りた。

 レイラの村から戻ったのは深夜で疲れ切ってすぐに眠ったが、それでも疲れはとれていなかった。

「今日から学院に行くわ。制服を用意してくれる? ナタリー姉様の事件からずっと休んでしまったわ」

「はい」

 ちょこまかと動きソフィアに朝の支度をさせるリリイは小動物のようで、ソフィアは微笑んだ。

「りりイ、貴方、出身はどこだっけ?」

「私はブロード村という遠い山奥の村です。何もない北の貧しい村です」

「いくつでここに来たの?」

「十三でお世話になってから五年ほどです。私のような学のない田舎者を雇っていただいて伯爵様には感謝しております」

「そうなの」

「はい、私ような村娘がこのような大きなお屋敷で働けるなんて夢のようなんです。頂くお給金で村に仕送りも出来ますし、本当にありがたいです」

「この屋敷の住人は残酷で腹黒くていけすかないやつばかり、それに仕えてるメイドも嫌なやつばかりなのに、どうしてあんたみたいな子がいるのかしら……不思議ね」

 とソフィアが言った。



「おはようございます」

 リリイを伴ったソフィアが食堂へやってくるとローガンが笑顔で、

「おはよう、ソフィア、疲れは取れた?」

 と優しく聞いた。

 その隣でエリオットも微笑んでいる。

 我が儘で癇癪持ちだったエリオットは礼儀正しく、笑顔を絶やさない少年になっている。

 エリオットの中身を喰って成りすましているのは魔王の右足だが、変化してから執事やメイドの間では人が変わってようだと皆が首を傾げ、メイド達も優しく接する。

 人間でなくなった方が好感度爆上がりとは皮肉なものだ。

「ええ、ローガンお兄様」 

 とソフィアが微笑んでから、

「エリオット様も、お怪我が治ったようで良かったですわね」

 とエリオットへ言った。

 金髪碧眼のエリオットは天使のような笑顔をソフィアに向けて、

「おかげ様でね。全く僥倖だ。何て幸せなんだ」

 と言った。

 ソフィアとエリオットがふふふと笑い、それを見ていたローガンも笑った。

 そこへばんっと扉が開いてフランとシリルを従えたケイトだった。


「おはよう、ケイトお姉様」

 とローガンが言うのに次いで、ソフィアとエリオットも朝の挨拶を口にした。

 ケイトは食卓を見渡してふんっと鼻を鳴らし、

「ソフィア、誰が朝食に参加してもいいと言ったの。メイドの子は部屋で引きこもっておいで! シリル! この身の程知らずを連れて行きなさい!」

 と言った。

「はぁい」

 とシリルが言った。

 シリルはまだ若い娘で元は子爵家の出だが、貴族といえど貧乏で社交界や嫁入りも親がどうにかしてくれる事もなかった。働くのは嫌いで家を抜け出しては怪しげな連中とつきあっていた節操もない娘だったが、立ち振る舞いなどは最低限出来ていたので伯爵家のメイドに潜り込めた。性悪なところが合うのかケイトやフランに気に入られ、メイドの中では上位の位置にいた。


「姉様、今日からまた学院に行くんだから。朝食くらいはしっかりと食べないと」

 とローガンが言ったが、それがケイトの気に障った。

「何ですって? ではローガン、こんな薄汚いメイドの娘と食事を一緒にしろと? この私に言ってるの?」

「そうだよ。ナタリーがいなくなって家族が減ったんだ。残った者で力を合わせてって姉様が言ってたんじゃないか」

「ふざけないで! 私の家族の中にメイドの娘なんか入っていないわ! この娘を産んだ女の為に私のお母様がどんなに辛い目にあったか、ローガン、あなたも知ってるでしょう! 可哀想なお母様、薄汚い家畜のようなメイドが……お父様に近づいて……子を成すなんて! 気高く美しいお母様がどれだけ傷ついたか! 女が死んだのは自業自得だけれど、女の子供を伯爵家に受け入れるなんて正気の沙汰じゃないわ。あまりにも酷い仕打ち……」

 ケイトは怒りのあまり顔が赤黒く上気して、その手や身体もブルブルと震えている。


「さあさあ、ケイト様、お食事にいたしましょう」

 とケイトを椅子へすわるように促したのはフランで、続けて、

「シリル、さっさとそれを部屋に閉じ込めて来なさい!」

 と言ってソフィアを睨んだ。 

 ソフィアは素直に立ち上がり、ケイトに背を向けてドアの方に身体を向けた。

 その背中にどかっと衝撃が来て、ソフィアは前のめりになった。

「ケイトお嬢様に挨拶なしかよ! これだから家畜の娘は!」

 ソフィアの背中を蹴ったのはシリルで、それが視線に入った瞬間、エリオットが動こうとしたが、ローガンの目線でかろうじてそれを堪えた。


 ソフィアは体勢を立て直すと、ケイトの方へ振り返り丁寧にお辞儀をして見せた。

 そして静かに食堂から立ち去った。

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