第三十二話 長兄推し
メルルとミルルが側からいなくなったマルクはおどおどとしながら食卓へやってきた。
代わりのメイド、マイアとメアリも急用で出かけるからといなくなり、マルクは孤独だった。この屋敷でマルクを愛し、慰めてくれるのはメルルとミルルだけで、あとの使用人達、執事とその下で働く見習い達、大勢のメイドもマルクを嫌っていた。
それもマルクがメルルとミルルにだけ給与以外に賞与を与え、贔屓してきた為だがマルクにはその意識がなかった。メルルとミルルはマルクの世話しかせず、メイド間でも評判が悪かった。自分達は長兄に気に入られているという優越感からどこまでも高飛車だった。
マルクを屋敷の中で孤立させたのはメルルとミルルで間違いはなかった。マルクは屋敷の者が全て自分を馬鹿にして蔑んでいると知っており、自分が伯爵家を継いだ暁には全員の首を切ってやる、メルルとミルルだけ残して、妹達も従兄弟達もみな追い出してやるからな、とずっと考えていた。
その頼りになる二人はおらず、ソフィアの甘言に乗ってマルクは心細さを感じていた。
「兄様」
テーブルの席でぽつんと給仕を待っていたマルクに声をかけたのはローガンとエリオットだった。
「すみません、時間に遅れました」
とローガンが言い、エリオットも軽く会釈をした。
「い、いや、別にそんなに待ってないし」
「いいえ、マルク兄様を待たせたなんて、父様に知られたら叱られます。マルク兄様は嫡男なんだし、父様がいらしゃらない時は長兄のマルク兄様がここでは主なのだから」
とローガンが美しい笑顔で言った。
「そ、そんな事言って……ケイトの方が伯爵家を継ぐのに相応しいと思ってるんだろ? ケイトはローガン、お前と結婚して……ぼ、僕の事を廃嫡するつもりなんだろう?!」
マルクは手に持っていたナイフをローガンの方へ突き出した。
「まさか、そんな。ケイト姉様の思惑は知らないけれど、俺はそんな気はないですよ。父様と呼ばせていただいてますが、幼い頃に両親を失った俺達兄弟を弟の遺児だと引き取って下さったヘンデル伯爵様には感謝しております。血族ではあるけれど俺とエリオットは所詮、居候なんだし、マルク兄様に成り代わってなんて気はないですよ」
とすました顔でローガンは言った。
その横でエリオットがぱんぱんと手をたたいて、
「ほら! マルク兄様をいつまでもお待たせするんじゃないぞ。早く食事を運ばないか!」
と言った。
エリオットの合図にメイド達が急ぎ足で前菜やスープを運び込んでマルクの前に置いた。
マルクはフォークを持ったまま黙り込んだ。
ローガンの意図が分からないばかりか、うまい返しも出来ない。
こんな場面で気の利いたセリフが言えるくらなら、最初から引きこもってなどいない。
仕方なくマルクはフォークをスプーンに持ち替えてスープを飲んだ。
「マルク兄様、俺達、そう俺とエリオットはね、居候の立場ですからね、自分達を守ってくれる人を次代に推しますよ。代替わりしたから出て行け、なんて言われても俺達は行く場所がない。俺は最悪、この年なら自分で稼ぐのも可能。だがエリオットもソフィアもまだ八歳だ。ここを追い出されたら困るんですよ。けど、ケイト姉様はソフィアを追い出すか、メイド、最悪、奴隷に売るかもしれない。母様はかろうじてしなかったけど、ケイト姉様はソフィア憎さにするかもしれない。そんな外聞の悪い事、伯爵家としてはまずいんじゃないですか?」
ローガンの言葉にマルクはうなずいた。
「そうだな、ケイトならやるだろうな。女はヒステリーで後先を考えずに行動するからな。母様は父様に嫌われるのが怖くて、嫌々でもソフィアを認めたが、その分、父様に内緒でソフィアをずいぶん虐めた。ケイトはその母様を見て育ってるから、心底ソフィアを憎んでる。ケイトが家を継いだら、その日に奴隷買いを呼ぶだろうな。確かにそれは外聞が悪い。仮にも伯爵家の娘として認められているソフィアを奴隷に売るなんて。世間の口に蓋はできないって事をケイトは分かっていない。すぐに噂になる」
とマルクはため息をついた。
「俺とエリオットはヘンデル伯爵家が長く続く事を願います。俺と姉様が結婚しても、俺に伯爵家への口出しは出来ないし、姉様は許さないでしょう。俺もエリオットも良くて飼い殺し、最悪追放だ。だったら、俺達はマルク兄様を推しますよ。兄様が俺達をずっと家族としてこの屋敷に置いていただけるなら」
「ほ、本当か!? も、もちろん、俺はお前達の事は本当の弟だと思ってるから、追い出しなんてするわけがない!」
マルクが身を乗り出した。
「嬉しいお言葉です。なあ、エリオット」
ローガンが隣のエリオットを見た。
「ええ、兄様、僕も伯爵家を継ぐのはマルク兄様が相応しいと思います」
と天使のような笑顔で言った。
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