第三十一話 老獪婆

「何なの? あなたたち」

 とケイトがミルルとメルルを見た。

 ケイトの私室で、彼女はデスクに向かって書き物をしていたが、突然の訪問者に眉をひそめた。その目は冷たく、彼女らを蔑んでいる。

「あのぉ、私達はぁ」

 と言いかけたミルルの頬にぴしっとケイトの鞭が飛んだ。

「ひいぃっ!」

 ミルルは頬を押さえた。

 白い頬に傷が出来て赤い血の筋が浮かび上がる。

 ケイトは椅子から立ち上がり、手にした鞭を撓らせながら二人を見下ろした。

「ろくに働きもしないマルク兄様のメイドが私に何の用なの? お前達はマルク兄様の愛玩人形でしょう。だまって兄様の部屋に座ってればいいんじゃないかしら。人形の分際で私の前にその汚らわしい姿を見せないでちょうだい! 時が来たら、私がきちんと捨てて処分してやるから大人しく待ってなさい!」

 ケイトの二人を見る目は殺気を帯びるほど冷酷だった。

 ミルルとメルルは一瞬怯んだが、ソフィアの言葉を思い出した。

 このままでは奴隷に落とされるのは間違いなさそうだ。

「あ、あの、ケイト様、私達、心を入れ替えて真面目にお屋敷で働きとうございます。どうかこれまでの怠惰をお許しください」

 とメルルがおずおずとケイトを見上げてそう言った。

「へえ、心を入れ替えたの? どうしてかしら? 誰かが何か余計な事をお前達に吹き込んだの?」

「い、いいえ、そんな事は!」

「沈みかけた船から慌てて下りるくらいの知能はあるようね。マルク兄様に見切りをつけたってわけ?」

「いいえ、ケイト様!」

 またぴしっと鞭がなった。

 差し出したミルルの手とメルルの額にしなった鞭が当たり、二人はひいっと身を引いた。

「言いなさい、誰の差し金なの!」

 上手く取り入る事に失敗したのは明らかだった。

 このままでは鞭打たれ奴隷に落とされるくらいなら、ケイトに付いたほうがましでは、と二人は考えた。

 またケイトの腕が上がり、鞭をふるいかけた時、

「ソ、ソフィア様ですぅ」

 とミルルが泣きながら言った。

「ソフィアァ? どうしてあのメイドの娘が? ソフィアがお前達に何を言ったと言うの?」

 ケイトは鞭でぴしっと床を叩いた。

 ミルルとメルルはひいっと言い、身体を寄せ合ってから、

「ケ、ケイト様が……いなくなれば、マルク様を当主にして、その、私達をマルク様の妻にしていただけると……」

「何ですって!」

 ケイトの鞭を持つ手に力が入った。

「生意気な……」

 父伯爵がメイドの美貌に惚れて手を出し、生まれたのがソフィアだ。

 ソフィアの母親は死んだが、残されたソフィアは母親に似てとても美しかった為、ケイトの母親は苦しんだ。

 その母親の為にソフィアを虐めて虐めぬいたが、それでもまだケイトの気は治まっていない。その上、ソフィアが何かを企んでいる。

 マルクを当主にする為にケイトを排除しようと動いているのか? 

「面白いじゃない。あの気弱な娘に何が出来るか見せて貰おうじゃない?」

 ケイトはメルルとミルルに微笑みかけた。

「ケイト様……」

 ほっとしたような顔でミルルとメルルが薄ら笑いをした。

 だがケイトに必要なのは情報だけで、この色物メイド達を許すつもりもなかった。

 太ももを露わにしたスカートと丈の短いエプロン、膝上までのソックス、ボインを強調するブラウスはやけに透けているし、ホワイトブリムもただのレースで髪の毛を押さえる本来の任務を果たしていない。そして何より、どれもこれもがマルクが伯爵家の金で特別に誂えさせた物で、マルクの好みのメイド服だった。

 この二人のメイドを見るだけでケイトに怒りが沸いてきて、頭が破裂しそうなほどに痛くなる。

「お前達、ついておいで、私付きのメイドになるならば大事な仕事があるわ」

 ケイトはそう言って立ち上がり、部屋を出た。

 ミルルとメルルは慌てて後を追う。


 伯爵家の屋敷はそれほど広大でもないが、趣味趣向を凝らした屋敷だ。

 ナタリーの死よりヘンデル伯爵夫妻は領地へ戻っていて、子供達は誰に遠慮無く好き勝手が出来る毎日だった。

 マルクは部屋へ篭もっているし、ローガン、エリオット、ソフィアは実質、伯爵家に発言権はない。ナタリーを失ったのは痛手だが、今現在、ケイトはまさしくこの屋敷の主人だった。そして伯爵夫妻の留守を良い事に、ケイトはワインセラーなどの設備がある地下の部屋に手をいれた。対外的にはワインセラーの増築として部屋を広げ、その奥を自分の為の秘密の部屋を作った。

 それはケイトと彼女付きのメイド、そして執事長の下で働く男が数名。

 そしてヘンデル伯爵家の使用人の中でケイトの目に止まったものは、欲と快楽に塗れた者達ばかりだった。

 ケイトの言いつけならばソフィアを虐め殺す事も可能で、ナタリーやローガン達でさえも殺める事に何の躊躇もないような者ばかりだった。さらに金で寝返る可能性もある。   


「お前達、新入りよ」

とケイトがミルルとメルルを地下へ連れて行くと、ケイト付きのメイド、シリルとフランが振り返った。シリルはまだ若い女でフランは年配の女だ。シリルはその新鮮な肉体を惜しげも無く晒し、執事見習いの若い男の膝の上で太ももを露わにしていた。そのスカートの中に男の手が入りもぞもぞと動いている。

「あらぁ、どこかで見た顔、マルク様のメイドじゃないですか、ケイトお嬢様、彼女らがお嬢様のメイドに? 私らがおりますのに、ねえメイド長のフラン様?」

 シリルはそう言ったが、男に膝の上からは動こうとはしなかった。

「全くですわ、ケイト様。しかもその二人はメイドの格好をしているだけ。言うなればマルク様専用の娼婦、そんな者達にケイト様のメイドが務まるはずもございませんでしょう」

 と言ったのはメイド長のフランだった。

 伯爵家へ仕えて三十年というベテランで、元は伯爵夫人付き。伯爵夫婦をこよなく愛し、尊敬し敬い、夫人を貴族の奥様として育て上げたのはこのフランだった。

 その為、伯爵のお手つきになりメイドから格上げされてソフィアの母親を憎んでいた。

 メイド分際で立場をわきまえず、と、夫人の側でソフィアの母親を酷く虐めたのはフランだった。

「ソフィアが何か企んでいるようよ。マルクお兄さまからこの子らを引き離して、私のメイドになるように唆したらしいわ」

「ケイト様、メイドから生まれた娘の分際でケイト様に反旗を翻すなんてとても許しておけませんわ! 私にご用命ください!」

「メイド長のお前が出て行くほどの事でもないと思うけど?」

 とケイトが言ったが、フランは唇をギリギリと噛みしめ、

「いいえ、ケイト様、とてもとても許してはおけませんわ……このフランめにお任せ下さい」

 パンッと床が鳴った。

 フランがいつも愛用している躾け用の鞭だ。

 幼いケイトやナタリーに手ほどきをしたのもフランで、仕事中はもちろん寝る時も食事中も片時も離さない鞭だった。

「私が必ずあの娘をケイト様の前にひれ伏させてみせますわ」

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