第3話  幸 福


 中高年や高齢者の方々の中から時折聞く言葉がある。


「人生って何なんだろう? 何の意味があって生まれてきて、生きているんだろう?」 ・・と。

また、死期が近づいた人たちからも・・・。



 そんなことを聞くと私はいつもこう思う。


「今更何言ってるんだバカ、遅過ぎだろ!」



 自分が生まれたくもないのに、何故生まれてこなくてはならなかったのか?、なぜ生きて行かなければならないのか?。 どうして生まれて来ることを「回避」出来なかったのか?


 そんなことを考えたのは小学生の頃だ。それから中学生くらいまで自分の人生の思索を重ね、自分の人生の目的・役割・使命と言ったら大げさだが、答えを出したのが中学3年生になるくらいの頃だった。



 それ以来、私は一心不乱に「目的の完遂、達成」の為のみに生きてきた。 両親や周りからは妨害され、邪魔され、学校や社会からは騙され、どんなにひどい目に遭っても一度たりとも曲げることなく「目的達成」のために推し進めてきた人生だった。 一個人で出来る努力は全てやり切った。 なので、悔いも未練も心残りも一切無い。 達成できず結果が出ないのは(商品が店頭に並ばないのは)私の責任ではないと、キッパリ言い切れる。


※) カクヨムの規約でURL等が貼れないので、私の目的についてはFBのプロフやXの固定ツイート欄のiichiやCreemaのプロフィールをご覧ください。




 私は生来、裕福になったり起業して成功したり、世間から注目されたりetc・・・。 そういったくだらない事には全く興味がない。

 私は贅沢な人間なので本物の「幸せ」以外は何も望まない。


 人間にとって本当の幸せとは「生まれてこなくて済むことである。」


 自己や自我、意識等々が完全に存在しない「無」こそが真の幸せであると考えている。 何らかの不可抗力が発生し、目的が生じたために自分が生まれざるを得なかったと考えてきた。この世に生まれることは不幸の極みであり、この世に生きて幸せになりたいと考えたことは一度もなかった。したがって、自身の目的を果たせば元通りの幸せに「戻れる!」と言う考えが私の理論である。



 私が、一心不乱に自身の「目的の完遂、達成」の為のみに生きてきたのはこうした考えに基づいているからである。

 

 


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