第10話 前夜

 親友メリアはどこまでも無垢でどこまでも純白、美しい布に良く似た人間だ。だから塗料きっかけさえあればどこまでもどす黒く染まれる。


 「塗料は、私だ」


 そう悟った翌日、ヨルム孤児院からホロアの姿が消えた。





 第十区外れ、食堂サン・フラワー。


 ホロアはいつも通り上機嫌で扉を蹴り開けて帰宅した。

 尾行していた三人組は先回りして、何も無かったかのように振る舞った。


 エイトはメリアの暴行にショックを隠せない様子だが、カコとツバキはこの上なく落ち着いている。第十区ではあの程度は日常茶飯事らしい。


「フレデリカ〜 一番高い定食作ってくれよ! ボディーガードの仕事さぁ、明日でラストだから良いもん食べとかないと」


「ホロア!」


「ん? エイトくん、急に大声出してどした?」


 ムーンゴースツにとってメリアの行為は慣れてるのかもしれない、だがそこで居候してる少年は違う。

 彼は下層区で生きたことのないごく一般の少年。だから知り合いが危険な目に遭う可能性があることを知ったら黙ってられない、その小さな正義感が見過ごすことを許さない。


「明日の仕事、行かない方がいい……です」


「は? なんで?」


「メリアさんはマトモじゃありません、彼女の部下は襲われてなんかいません! あれはメリアさんにやられたんです!」


「……あっそう。てかコソコソ見てたんかよ……どうせツバキが尾行しようとか言い出したんだろ?」


「ピンポーン、正解」


 だからどうした? という風にホロアは出された料理を口に運んでいく。

 言い当てられたツバキはホロアの背後に立ち、彼女の凝り固まった肩をほぐしながら様子を窺う。


「相変わらずすっごい凝り。やっぱ胸部がデカイせい?」


「うっせ! なんだその絶妙にキモイ言い方」


 ホロアの言い方はキツイが別に抵抗しようとはしない。こうしてマッサージを受けているホロアは最初の散歩で見せた暴力的な一面と違って、中層区で普通に生きる一般的な女の子に見える。


「ふふ。私はエイトくんの意見に賛成だよ、明日は行かない方がいいかな。メリアさん、キミに何か仕掛けるつもりみたい」


「ツバキまでそんなこと言うのかよ……アイツは私の親友だぜ、私が一番よく知ってるつーの! 最後まで付き合うって約束したんだから、私は明日何があっても絶対行く」


 リーダーのツバキの言葉も聞かないホロアの頑固さ、さすがのカコも黙ってられない。


「ホロアはワタシよりもザコだから、やめたほうがいい。どうせすぐやられちゃう」


「あちゃ〜 考え得る中で一番最悪な言葉を全部選んだね」

「カコさんは黙ってください……」


 カコには仲間を思いやる気持ちが確かに存在するが、問題はその絶望的な語彙力と率直さだ。

 心配を挑発として受け取ったホロアは当然のごとく激怒した。


「おい! カコてめぇ調子乗ってんじゃねぇぞ!! あぁいいよ、今すぐここで決着つけてやんよ! 本当のザコはテメーだ」


「ホロアじゃムリだよ……あ、あおっちゃダメだった……ホロアがしんぱい〜」


「……──……もういい、テメーとやり合ったら明日の仕事に行けなくなっちまう。今日は外でテキトーに寝るから付いてくんなよ」


 ボディーガードの仕事のおかげでホロアはいつもと違って怒りを抑えた。いざという時は優先すべきものをしっかり把握している、熱くなっても冷静さを忘れない。

 ホロアが食堂から出ていくとエイトたちは互いに視線を交わした。


「う〜〜ん、カコは罰として一週間トイレ掃除ね」


「マジか」


「マジか、じゃないの。ホロアはほぼキミのせいで出て行ったからね」


「ど、どうしましょう? ツバキさん、カコさん……このままじゃホロアが危ないですよ! まさかこのまま放っておくつもりじゃありませんよね!?」


「エイトくんは優しいのね。安心して、ムーンゴー……ゴホン、食堂サン・フラワーは絶対にダチを見捨てない」


 ホロアが出て行ったので、ツバキは今度少年の肩をほぐしてあげることにした。



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