キンセンカの唄-3

「……で、どうだよ、馴染めそうか?」

『うん、思ったより』

「そいつは重畳、紹介した甲斐があった」


 電話――――ではなく、菊花とカレンの眼前に浮かぶホログラムの画面からお互いの声が響く。これもまた菊花が幽霊のような体となったことで得たものの一つ。本来人間が電子機器を用いなければ行えない動作を、虚空にプログラムを走らせて実現できるというもの。

 作動に使われているエネルギーや構造の関係上電池切れや電波圏外といった現象とも基本的に無縁のため、菊花もカレンも連絡を取ろうと思えば時も場所も選ばず取ることができる。


 ただ、一時期のカレンは無自覚のストレスを貯めたことによる衝動的な逃避行から、菊花に関しては『自分は恨まれている』という思い込みから一切の連絡をブロック。

 それはブロックされた側からすれば「幽霊になってしまった恋人/友人が消えてしまった」ともとれる現象であったため、改めて連絡を取った際には大いに心配される結果を生んだ。


『やあ、久しぶり……ってほどでもないか。キッカ』

「おう、お久。面白おかしくやれてるようで安心したよ、トム」


 そして、新たに紡がれた縁。カレンの彼氏であるトム・ビショップ。茶色がかった金髪と鳶色の瞳の精悍な顔つきが、彼の意志の強さと善性を強く滲ませる。


 カレンが菊花との会話を通して落ち着き、家族と自身の伴侶(予定)に再び連絡を取った際、彼女は菊花を紹介している。当初こそ疑われていたものの、カレンの話を聞くうちに態度は軟化。そう時間もかからないうちに友人として認定されていた。


――――初めまして、カレンのボーイフレンド。

――――初めまして、カレンの友達。

 

 特に彼氏トムに関しては、「自分では相談に乗ってあげられないことも多かったから、カレンに同じ境遇の友達ができて自分も嬉しい」といっそ清々しいほどの善性を披露。菊花はその光すら伴う根明っぷりに晒された結果萎れた。彼はもともと根暗、陰キャと呼ばれる側だった。


 閑話休題。

 その後、紆余曲折あってカレンの肉体を疑似的にでも用意できないかという話になり、菊花は旧友へと改めてコンタクトを取った。

 その答えは『可能』。異世界の技術――――魔法を利用すれば十二分に実現できるという結論になり、しかし定期的なメンテナンスのためにも近くにいる方が望ましい。


 結果として、カレンとトムは菊花のクラスメイト達の下へと留学する運びとなった。

 このことはカレンだけでなくトムにとっても僥倖であり、使という希少種ゆえに孤独を抱えていた彼からしても仲間に出会えたような心地ですぐに馴染めたと喜びを露わにしていた。


『幽霊ですー、なんて言った時には驚かれたけどさ。色々話してるうちに事情分かってくれたんだ。すごい飲み込み早いよね、菊花の友達たち』

「まあ異世界転移なんて経験したらな……ともかく、問題ないようなら良かった。俺も仲介した甲斐があったってもんだ」


――――あー! 牡丹と通話してる!

――――マ!? っちゃんとか超レアじゃん声聞かせろー!?

――――菊花、お前今どこにいる。飯は食っているのか、家はどうして……

――――心配しすぎだっつの

――――オイ菊花ぁ! 転校生送るなら俺らにも言えよ!? そうしなければ今度こそなんて淡い幻想を抱くこともなぁ…………!

――――最初から不可能なことをいちいち告げる理由もないですよね

――――辛辣すぎないか!?


 そうして通話している最中も聞こえてくるクラスメイトの乱痴気騒ぎ。異世界の2年を超えて精神的にもタフになった24人はたかが音信不通程度ではめげず、謀略に巻き込まれて一人ぼっちにされた少年を今度こそ手放すものかと通話画面へ殺到する。


「悪かったって、こっちだってそういうつもりじゃ……いや、俺はもどらないよ、もう退学だってしたし……は? 休学扱い? 何で……ああ、ゴリ先かぁ…………そうそう、あー、でもソレ考えるとあの人ならやるかぁ……」


 対する菊花は気後れこそしながらも、そうして心配されていることを悪く思っていなかった。ブロックを解除した瞬間に見計らったかのように届いた着信が、菊花にもう一度縁を繋ぎ直す勇気を与えていた。


「――――まあ、近いうちにそっちには寄るよ」

『マ!? んじゃパーティしよーぜパーティ! 菊っちゃんそういうのキライじゃないっしょ!?』

「確かに嫌いじゃないけどさ、そりゃちょっと時間的に無理だ」

『時間って、どっか行くのか?』

「ああ」



「――――もう一度、異世界に行ってくる」


 その一言を聞いた瞬間に静まり返るクラスメイト。

 彼らにとっては思い出の沢山残る地であり、ある意味で第二の故郷ともいえる場所。地球との自由な行き来の方法を望む声も多く、そして不安定ながらも確立されている。

 だが、問題はそこではない。クラスメイト達にとっては望郷の地であっても、菊花からすれば未だ血の滲む傷口と同じ。自ら向かうことは無いだろうと、誰しもが思っていた。


『どうしても、行かなければならないのですか』

「ああ」


 黒髪の少女、五月原さつきはら ゆうが問う。

 彼女は異世界において最も菊花の安否や状態を気にしていた一人だった。最も、であった彼の情報を得る手段など無いに等しかったということもあり、実情を菊花自身から聞かされていた際には滅多に見せない激情を露わにしたほど。


『まさかだけど、また恨み返しに行く気じゃないよね』

「んな訳あるか。……まあ恨みがないっつったら嘘だけどさ」


 白髪の少女、斎藤美弥が問う。

 致し方ない状況であったとはいえ菊花に友人を殺され、憎悪すら抱いていた彼女だが、菊花の身に起きた事を知ってからは「嫌いではないし恨みももう無いが、仕出かしたことを許すことはできない」というスタンスを張り続けた一人。


『……じゃ、じゃあさ、俺らも……』

「お前ら学校あるだろうが。そこまで心配しなくてもいいって」

『どのくらい向こうにいるつもりなんだよ』

「正直分からない。すぐ帰るかもしれないし、長いこと掛かるかも」

『えー、じゃあまた菊っちゃんに会うのお預けなん?』

「悪いな」


 口々に身を案ずる、あるいは何をするのかと疑うクラスメイト達。

 だが、菊花としてはようやく決心がついた事であった。これ以上咎められるわけにはいかない。


「……やり残したことがあるんだ」

『『……』』

「『気が向いたら頼む』って言われて、それっきりな用事があってさ。自分のことばっかで余裕もなかったままこっちに帰っちゃったんだよ」

『今は大丈夫なのか』

「もう平気だ。心の整理も付いた……まあ、向こうの人らに迷惑かけるわけにはいかないから、そっちの再会はお前ら次第になるけど」

『そっかー、伝言頼もうと思ったんだけど』

「すまんな、自分で伝えてくれ」


 仕方がないな、とばかりに安堵とも溜め息とも判別しがたい吐息を口々に漏らす彼等。

 そこに違和感なく馴染んでいたカレンとトムの姿に苦笑しながら、菊花は通信を切断しようとする。


 指がホログラムのボタンに触れるまであと数センチというところで、カレンが菊花の名を呼んだ。


『ちゃんと帰ってきなよ』

「分かってる」

『みんな心配してたよ』

「……そっか」

『誰も見てないからって不摂生しないでよ?』

「お前は俺の姉か何かかっての。そういうのはトムにやれ」

『えっ?』

「もう沢山やってるけど」

『カレン!?』

「……っはは、楽しそうで何よりだ」


 不安はあった。恐怖もあった。

 だが、それは菊花の中から吹き飛んでしまった。


『菊花さん』

「なんだよ、五月原のご令嬢」

『帰ったらお話があります』

「……おう」

『逃げたら〆ます』

「………………おう」

『なので、ちゃんと帰ってきてください。みな、貴方をちゃんと待っているんです』

「――――そ、っか」


 もうどこにも帰る場所など無いと思っていた菊花に、帰る場所はここにあるとはっきり告げた、よく通るソプラノの声。その一言が、いまだ立ち止まっていた心に染み入って、背中を押した。


「――――行ってくる。そんでちゃんと帰る」

『五月原さんが言った通り俺ら待ってんだからな』

「分かったっての」

『帰ったらタコパすんぞ菊っちゃん!!』

「どんだけパーティーしたいんだよ」

『写真よろ~』

「旅行かっつの」

『変なことしてたら袋叩きにすっからね』

「しねぇよ、何だと思ってんだ」


 恨んだこともある。嫌ったこともある。一方的に詰ったことも、八つ当たり同然に殺そうとしたことすらある。

 それでも、25人と2人は互いを切り捨てることはできなかった。


 これまでは駄目だった。だけど、。そんな根拠のない確信を胸に、彼らは友人を送り出す。


「……ま、どうやったって行くときにもう一度お前らと顔合わせるんだけどな」

『それを言うなって』

『雰囲気台無しにすんなよ!』

『空気読めねー』

「うっせぇ、そっちが勝手にしんみりしてたんだろうが!」


 冬の淡い青空に笑い声が響く。

 彼らは、ここで生きている。 

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