キンセンカの唄‐2


「……風寒い」

「仕方ないだろ、俺だって習得したてなんだから。どのみち俺たちはそれが致命的にはならないんだから我慢しとけ」

「そうだけどさぁ……」


 菊花の仮住まい――――と言うも、それは通常言われる『家』とは異なるものだった。


 それは、椅子代わりの石と砂の地平の中にぽつんと燃え続ける炭火。

 雪の降りしきる野山の中、とある境界線を踏み越えた瞬間にそこは市の大地へと変貌していた。


「仮想空間……だったか。要は自分専用のチャットルームみたいなもんだ」

「デジタルの概念を現実に持ってこられても……」

「練習すればお前もできるようになるさ。……まあ、まだ精度が甘いせいで外の環境が入ってくるんだけど」

「それでさっきから風だけ寒いんだ……」

「その分炭火は温かいだろ」

「うん、なんかほっとする」


 木枠に囲まれた囲炉裏のような場所には今も炭火の炎が煌々と揺らめいており、苦痛を感じる冷えをほぐしていく。凍えるような寒さの風が吹き抜けてこそいるが、それすらも熱量が中和して心地よいものに変えていた。


「改めてだけどさ、私たちって低体温こういうのとか気にしなくていい身体じゃなかったっけ?」

「生前……つってもいいのかはまあ微妙だが、生身の頃の五感はそのまんま引き継がれてる。暑さも寒さも感じるし、腹だって減る。生きるのに必要かどうかは置いといてな」

「本能とかそういうやつ?」

「そんなとこだ」


 菊花やカレンの体は低温で凍死することも高熱で焼死することも有り得ないが、それとは別に感覚として暑さ・寒さなどを感じ取る。暑すぎれば苛々するし、寒すぎれば思考も鈍っていく――――と、肉体があったころの感覚に強く引きずられるのだ。

 故に、それが必須かは別として、人間的な快適さというものは菊花たちにも効果を確かに与えていた。


「食わなくても生きてけるが、実際に飯抜くとしんどいだろ」

「あー確かに。この体になりたての頃そんな感じだった」

「俺たちは生身の体ガワがない分メンタルの不調はもろに響く。訓練積めば話は別だが、まあ人間的な生活するに越したことはねぇよ」

「物知りさんだ」

「お前が知らなすぎるだけ……つってもまあ仕方ないけどな。さっきも言ったが、居るとこには居るし居ないとこはとことん居ないのが俺らだ。実際俺も『この世に俺一人だけ』くらいのテンションだった時期あるし」

「……うん、私もさっきまでそんな感じだった」


 沈黙。

 仲良く話をする間柄でもない男女が二人、共通の話題もないままに火に当たる。


 ふと、菊花が思い出したように口を開いた。


「お前さ、彼氏いんの?」

「え?」

「なんかそんな気がした。俺の友達の雰囲気に何となく似てた」

「ああ、そう……って友達いたんだ」

「死んだけどな」


 さらりと口に出される情報。どれほど壮絶な人生を送ってきたのかと戦慄する一方、図らずも彼が徹底して孤独であるという事実に思い至ってしまう。


「残ってる友達……とか、家族とか、いるの?」

「まあ居るには居る。けど……会ってない。多分、顔も見たくないくらい恨まれてる」

「何で?」

「親戚の息子……要は従弟が同級生でさ。俺が殺した」

「――――」

「友達の友達も殺した。5人、殺したよ。あとは――――」

「もういい」


 殺した、という言葉が出てきた時点で絶句していたカレンだが、菊花の異常に気付くと同時に続きを遮る。

 それまで擦れていながらも生気を宿していた菊花の目は、今や何も映していないガラス玉のような虚無感を放っていた。


「……悪い。お前に伝えていいことじゃなかった」

「そうじゃない。そうじゃなくて……辛そうだから、もういい」

「辛そう? 誰が?」

「貴方が」


 ぽかん、と。

 意表を突かれた顔で、菊花はカレンを見る。一方のカレンは『気付いていなかったのか』と言いたげな半眼で菊花を睨みつける。


「ほんのさっき会ったばっかりだけど、それでも貴方が一人ぼっちで苦しんでることくらいは分かるわよ、私」

「いや、苦しくなんか……」

「嘘つき。そうやって全部自分のせいだーって言ってて、辛くないわけないでしょ」


 真剣に、そして誠実に。ほんの十数分前に会ったとは思えない熱量で、カレンは菊花を説き伏せる。

 誰かのせいだと思うことは決して間違いではない。そればかりで自省しないことは問題だが、物事を正しく理解できるかどうかという点においては絶対に必要になってくる思考だ。

 原因が自分にあるのか、それとも他人にあるのか。境界線を引き、分別を付ける理性を失えば、人はたやすく崩れ落ちる。


「自分が苦しんでいないと納得できない?」

「……そう、かもな」


 じっと見据える

視線に耐え切れなくなり俯く菊花。一方のカレンはといえば、電気ポットのように一瞬で沸騰してしまった己の言動を少しだけ悔やんでいた。


「えっと、その、ごめん、いきなり」

「……いや、大丈夫」

「気分悪かったよね、私昔っからこんな感じでさ」

「大丈夫だって。それに、ちょっとだけ感心した」

「何で?」

「見ず知らずだった相手にそんだけぶつかれるってのは、それだけ優しいってことだ。アンタの彼氏、いい女捕まえたな」

「――――ッ」


 鎮火したかと思えば今度は別ベクトルで噴火して真っ赤になるカレン。ころころと表情を変えるその様にけらけらと笑う菊花。

 それを皮切りに、二人は様々なことを話していく。

 好きなもの、嫌いなもの。


「昔は肉全般嫌いだったんだよ、俺」

「えっ何それ、どういう舌してるの」

「うっせ……つってもまあ、昔の事だからな……何となく食感が嫌いだったのは覚えてる。今は別に平気だけど」

「へぇー……私コーラ苦手だったな。口の中がなんか滑り止め掛かったみたいにギリギリしちゃって」

「どういう状況だそれ……?」

「えぇ? そんな感じしない? なんか歯と舌がやけに引っかかるっていうか」


 知人のこと、友人のこと。


「『彼女が欲しい』って喚く二人組がいるんだけどな、そいつら顔はいいんだが性格がな……」

「ナンパとかしちゃって引かれるやつだ。がっつきすぎて嫌がられるやつ」

「大当たり。勘鋭いな」

「私の彼氏もさ、出会ったときはホンットに軽薄そうな奴でね? 会った瞬間『うわなんだコイツ』って言っちゃって」

「っはは、膝から崩れ落ちたりしたんじゃねぇの?」

「当ったり。後から聞いたら女の子に話しかけるってどうしたらいいか分かんなかったらしいんだけどさ。だからって『そこのキミ、ちょっとお茶しない?』は無いって」

「古いなオイ……日本こっちですらテンプレ過ぎて一瞬で距離置かれるぞ」


家族のこと、そして自分の事。


「こんな体になってからさ、パパとママにはもう会えないのかなーって思って、一か八かで置手紙したの。そしたらすぐに何処にいるか気づいてくれて……」

「感情的になって実体化できるようになったんだろ、多分」

「うん。それからは練習して好きなように姿見せれるようになったんだけどさ、それがトム……ああ、私のボーイフレンドね、カレに会った後で……」

「親より先に娘の姿見ちまったわけだ、そいつ。ラッキーじゃん」

「笑い事じゃないって、どこの馬の骨だーってもう家じゅう大騒ぎ。私は対外的には死んだことになってるから外から見たらほんとにシャレになってなかったんだよ?」

「死んだ娘の彼氏を名乗る男が、娘の名前出して近づいてきた……あー、確かにこりゃ一大事だわ」


 菊花の話はその大半が故人か因縁の出来てしまった相手の事になってしまうために基本的に聞き手に回っていたが、ぽつりぽつりと零れるそれを、今度はカレンも遮ることなく聞き届ける。


「……俺たちが拉致されたところってのはとにかくクソで……クラスメイトの半分くらいは運よく逃げれたんだけど、もう半分は毎日毎日狂った人間のクソさ加減ってヤツを見せつけられてた」

「……うん」

「結構メンタルがギリギリになるまでやられたからさ、『もうここで全員死ねば楽になれるし、後腐れもない』って思っちまって」

「……そっか、その時に」

「ああ。お前みたいに肉体が消し飛ぶくらいの爆発事故を起こした。そしたら、あのクソ野郎どもは全員死んだのに俺だけ生き残っちまって……それから……」

「それから?」

「…………俺だけ楽になれなかったから、何もかも嫌になってさ、全部殺しちまえばいいやって自棄になったんだ。何もかも無くなっちまえば楽になれる、俺以外全部死ね、って」

「自分勝手だね、最低」

「そうだな……その通りだ。そんで、それを友達にぶっ飛ばされて止められた」

「いい人じゃん、君の友達。大事にしないと」

「本当にな。その通りだよ」


 菊花の語り口は、どこか遠いものを見ているような、あるいは何もかもを諦めたようなもの。少なくとも10代の少年が至っていいものとは言い難かった。

 

 どんよりと暗くなった空気を吹き飛ばそうとしたのか、あるいは単純に気になってか。菊花はカレンの身の上について切り込む。


「なあ、恋人がいるってどんな感じなんだ」

「うぇ、急に……というかそれ聞くの」

「嫌なら別にいい」

「嫌……では……ない、けど。恥ずかしいじゃん」


 半眼で口を尖らせるカレンへそういうものなのか、と気の抜けた返事を返す菊花。今は亡き菊花の友人も恋人同士だったが、結局のところ菊花自身「恋をする」という感覚はよく分からないままだった。


「じゃあ聞き方を変えるか。どういう所が好きなんだ?」

「んー……普通の人なところ?」

「何だそれ」

「だってそうとしか言いようが無いんだもん」


 両手指を合わせて気を紛らわせ、泳いだ視線のままに、迷ったようにそう言う。それは菊花には「今が幸せで仕方がない」と全身で表現しているかのように見えた。

 亡き友人達の燃え上がるようなそれとは違う、冬の風に揺らぐストーブのような、静かで暖かな熱。カレンはそれを頬と瞳に纏いながら、一拍おいて口を開く。


「何処にでも居る人で、きっと代わりなんて幾らでも居て、それでも真っ先に私を見つけてくれた人。だから好きなんだと思う」

「……曖昧なんだな」

「恋ってそういうものじゃない?」

「俺にはよく分からん。多分、これからも分からんと思う」

「そう? 意外と簡単に分かっちゃうかもよ」


 呆れたような口調で返す菊花。あっけらかんとそれへ返すカレン。

 カレンの熱は、菊花には無いものだった。


「俺はもう期待してない」

「何を?」

「お前風に言うなら、俺を見つけてくれる人か」

「なんで?」

「……疲れた。『誰かが何かをしてくれる』って思って暮らすのが、もう嫌だ」


 淀んだ瞳に映るのは、亡き友人とクラスメイト。

 地球ほど倫理が育ち切っていない世界で、無能の勇者が辿った地獄の日々。

 自分ではどうにもできないからと『誰か』を待ち続けて、その末に味わったの醜さ。


「惚れた腫れたのダルさは、父さんと母さんで嫌になるほど知ってるからな。あんな風になるくらいなら、ハナから隣に誰もいない方がいいさ。自分一人で、誰にも寄りかからずに全部できる方がいい――――」

「寂しくないの」


 本心6割、言い訳4割の一言へ返される、突き刺さるようなカレンの言葉。

 ずぐりと、傷跡を殴られたような痛みが菊花の胸に走った。


 菊花が炭火へ向けていた顔を上げれば、「それはダメだ」と顔に描かれたかのような表情が彼を見据えている。悲しさと苦しさがない交ぜになったような、そんな言い表しようのない悲憤の視線が掴んで離さない。

 嘘は吐けないな、と菊花の裡から湧き立つ感情。それに流されるままに、菊花は言葉を紡ぐ。


「寂しいよ。誰か一緒にいて欲しい。分かってくれる人が欲しい……けどさ、じゃあその途中でどれだけ苦しむ? どれだけ人間のクソさ加減を見続けないといけないんだ? 俺自身のバカさ加減にすらうんざりしてるのに、他人のそれまで見ろって? …………俺には無理だ」

「────」

「もう嫌なんだよ。沢山だ。そんなもの耐えられない…………笑えよ。俺はみっともないんだ。傷つけられたくない意気地なしなんだよ。どうしようもないんだ」


 再び俯いた顔から零れ落ちた言葉は、紛れもない本心。

 もっと知らなければ。彼はきっと一人にしてはいけない。そう思いこそすれど、隣に立つ人も繋ぐべき手も決めているから、カレンは踏み込むことを躊躇してしまう。

 それを知ってか知らずか、苦笑しながら菊花は振り向く。


「……悪い。二度目だけど、お前に言うべきことじゃなかった」

「ううん、いいの。話してくれてありがと」

「感謝でいいのか、それ? 聞いてて気持ちのいいもんでもなかったろ」

「いーの。ほんとは全部話してほしいけど、それこそキッカは嫌なんでしょ? 昔の話するときすごく暗い顔するし。だからさ――――」


 両親の愛から生まれ、様々な人から愛され育ったカレンデュラキンセンカ

 両親の愛から生まれながら、愛なき世界を見て育った菊の花キンセンカ


「────いつかさ、勇気が出た時。私達に聞かせてよ。貴方の醜さを」

「聞いてどうするんだよ。面白くなんてないぞ」

「面白いかどうかも、貴方が本当にみっともないだけなのかも、聞いてから決めるから。私のダーリンと一緒にね!」

「……なんだそれ」

「判決下すんだから別の視点から見れる人もいた方がいいでしょ?」

「そういう問題か?」

「そういう問題ってことにしといて」

「…………分かった」


菊花は苦笑する。

カレンは大輪の花みたいに笑う。

まだ会って間もなく、お互いに知らないことだらけな中で、一つだけ。


「色々話したし、そろそろ知り合いから友達になってもいいと思わない?」

「わざわざ区切るほどのもんでもないだろ、細けぇな」

「じゃあ友達は嫌?」

「……嫌じゃないよ。こう言うと何だけど、カップルと付き合っていくのは慣れてる」

「へへ、じゃあ友達だ」


────仲良くは出来そうだ。

それだけは、お互いに一致していた。





「なあ聞いたか吉田」

「おう、転校生だろ」


 とある高校、その一室。

 不自然に他の学年やクラスから隔離された旧校舎の教室。

 そこで駄弁る男子生徒二人、吉田恭介よしだきょうすけ金井正道かねいまさみち


 時刻は朝早く、まだほかのクラスメイトが登校してこない時間帯。

 この瞬間だけは、教室は彼らの秘密基地だった。


「どこだっつったっけ、ヨーロッパの」

「フランスだかイタリアだか……まあそこはいいだろ。肝心なのは――――」


「「女子なのかということ!」」

「なーに馬鹿な話してんだぁ男子ども」

「お、斎藤」


 いつの間に入ってきていたのか、白い髪が特徴的な女子生徒――――斎藤美弥さいとうみやが半眼で吉田と金井を睨む。


「まーったく、出会いがないからって色気づきおって」

「じゃあ転校生が男子だったらどーすんだよ」

「全力で狙いに行くけど」

「よう同族」

「去ね蛮族」

「ひどくね!?」


 打てば響くとばかりに繰り広げられる軽口の応酬は、彼ら自身2には想像もつかなかった光景だった。


 ――――から帰還して、はや1か月。いろいろとあったものの、牡丹菊花のクラスメイト達は学生として社会に復帰している。

 17歳の高校1年生。2年遅れの高校生活は、本校舎と隔離されることによってとりあえずの平穏を得ていた。


 雑談で消費される時間の中、次々に教室へやってくるクラスメイト達。

 かつて30人いたはずの彼らは、今や24人。そこに暗い影を落としながらも、彼らは今日という一日を精いっぱい楽しんでいる。


「よーしお前ら席に着けー。ホームルームの時間だぞぉ」

「おはようございますゴリ先!」

「おう確かに俺は五里だが間違いなくゴリラの意味だったなコラ」

「シノ先生もおはよー!」

「先生にあだ名はやめてって……はぁ、もう」

「先生! 転校生は男女どっちですか!!」

「安心しろ、カップルだ。お前らにチャンスはない」

「「クソがぁぁぁぁぁ!!!!!!!」」

「やかましい」


 人体から鳴ってはいけない衝突音と共に机へめり込む吉田と金井バカどもの脳天。それによりヒビの入った頭蓋骨を指振り一つで難なく直す斎藤。


 異世界で「英雄」と呼ばれ、地球の常識を逸脱した彼らだからこそ許される非現実な日常がそこにあった。


 そして、そんな日常に、今日二人が追加される。


「カレン・リエーナです、幽霊です! よろしくお願いします!!」

「トム・ビショップ、魔法使いです。よろしくお願いします」

「え」

「は?」


――――はぁぁぁぁぁ!?!?!?


 地球産の超常と、異世界からの超常。

 一輪の牡丹を起点に、二つはここに交わった。


 日常と超常の同居した、存外チープな現実はまだまだ続いていく。

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