キンセンカの唄-1

「断言しよう。君は最弱だ」


 聞きたくなかった言葉が鼓膜を震わせる。

 分かっていたけれど見ないふりをし続けていた言葉が心に猛毒のように染みていく。


「魔力の量はおろか瞬間出力も恒常出力も常人以下、異能も技能も無し、芽を出す可能性すらゼロ。身体強化が回復速度と再生能力に尖っているとはいえ、そもそもの強化度合いが脆弱なせいで他の『勇者』なら訓練さえ積めば同等の領域へ辿り着く」


 無能、無能、無能。何も出来ないただの木っ端。言外に含まれる存在理由の完全否定が最後の一片まで心を砕いていく。

 耳を塞ぎたいのに、耳は素直に音を拾ってしまう。今すぐ口を閉じろと言えば目の前の白髪の美丈夫は黙るだろう。けれど、その先を聞かなければいけないと、残された心ですらない何か、魂のようなものが叫んでいるせいで止められない。


「――――君には正真正銘何もない。君が居る意味はない。君の役割は誰にでも代替できる。君は、ただの普通の少年だ」


 突き付けられた真実に、激痛が走る。

 胸が痛い。涙が零れる。もう忘れてしまったはずの悲しみが溢れて止まらない。


 この世界には不要で、元の世界に帰っても待ってくれる人は誰も居ない。

 憎む気力も恨む気力も無くなって、ただ「嫌い」だけを貯め続けた。

 クラスメイトが嫌い。何も知らない一般人が嫌い。のうのうとふんぞり返る貴族どもが嫌い。

 嫌い、嫌い、嫌い……そうやって、何もかもを嫌う自分が一番嫌いだ。


「皮肉だな。だからこそ、君がふさわしいのは『魔王』だった」


――――幕の閉じる音がする。

気が付くとそこは晴天の草原で、眼前には白衣に無精髭の男が居た。


「確かに君は余りにも普通だが、同時にそれはこの場においては何よりも異常だ」


 普通であることを異常だと言われる。適応できないことこそが適応だと言われる。

 その矛盾に苦しみ続ける心こそが普通だと、淡々と男は語る。


「此処に来るのは『勇者』の誰かだと思い込んでいた。それ故に、君は絶対的なイレギュラーとして機能した。ゲームのシナリオとして組まれたプログラムを木端微塵に破壊する、小さな記号の打ち間違い。回り続ける歯車仕掛けの全てを破壊する、小さな小さな砂粒。それが君だった」


 意味が無いからこそ、全ての意味を破壊した。

 無能で無力だったからこそ、最後の最後にマスターピースとして機能した。


 ――――耐えられない。


「断言しよう。君はこれから孤独になる。どれだけの出会いを重ねても、本質的に同族に出会えないままだ」


 世界で唯一、に親身だった人は。


「君にだけ許された形。君だけが辿り着いた形は、どうしようもなく孤独だ」


 この世界の誰よりも、残酷な人だった。



――――左右を水田に挟まれた長い道路を、彼は歩いていた。雪の降りしきる中を黒い半袖のシャツにカーゴパンツという自殺まがいの服装で歩いていく。しかし体は震えの一つも起こしておらず、それどころか雪が触れることもなくすり抜けていく。

 道ゆく車も、パトカーで巡回する警官ですらも彼に気付かない、目もくれない。そもそもそこに少年がいるという事実を認識できない。


 少年の名は牡丹菊花。

 彼が姿を見せようとしない限り、およそ全ての生物は彼を認識できない。

 2年間の異世界での経験の果てに肉体を捨てた。それが彼だった。


 鉛色の重苦しい曇天の中、更にぐずついた顔を俯かせて、裸足の少年が延々と歩いていく。


 それを気にする者は、やはり誰も居なかった。


「……」


 大きな川に架かる橋を目掛けて菊花は歩いていく。景色が気に入ったことを理由に仮住まいを作って滞在すること一か月。仮住まいで炭火を眺めることに飽きると、菊花はいつもそこに居座って白んでいく空を眺めていた。


 徒歩30分間に寄り道はなし。

 いつもは無人の特等席。だが、その日だけは違った。


 明るい亜麻色の髪の少女が、そこにいた。

 顔つきや肌色はアジア系のそれではなく西洋系。服装はシンプルだが気品を感じさせるブラウスと膝上くらいのスカートに、防寒のための白いコート。そんな姿で頬杖を突き、川と月を眺めている。


 明らかに訳アリの身の上と言わんばかりだが、認識されないのなら何も問題はないと菊花は少女を無視。そのまま手すりに腰掛け、ほんの少し重心を傾けるだけで川へと真っ逆さまであろう状態で月見を始めた。


 少女はといえば、横に来て突然危険行為を始めた少年を凝視していた。目を見開き、左右を振り向き、ありえないものでも見たとばかりに。

 菊花も一拍遅れてそれに気付いたが、『見えているのか』などと態々口に出したりはしない。ただ「面倒くさい」とばかりの顔をするだけだ。

 微妙な空気が流れる中、先に口火を切ったのは少女だった。


「そこ、危ないよ」

「どうでもいいだろ」

「あなた幽霊なの?」

「だいたい当たり」

 

 淡々と答えながらも、視線を一切寄越さないことで菊花は少女を突っぱねる。一方の少女はその有様に若干の苛立ちを覚えるも、彼がことに気が付くと次第に興味が先走っていく。

 ――――この子は誰なのか、本当に幽霊なのか。何でこんな態度なのか。少女は生来好奇心旺盛なタチだった。

 

「私幽霊って初めて見た」

「そうか」

「ここに住んでるの?」

「んなワケあるか」

「じゃあ、じゃあ、えっと……」


 どうにか話題を絞り出そうと少女が唸っていると、今度は菊花が口を開く。


「綺麗だろ、ここの川」

「え?」

「最近ずっと此処にいる。落ち着くから」


 相手が歩み寄ってくれたと少女は思った。それが何だか嬉しくて、だから少しだけ踏み込んだ。そして、それが不味かった。


「嫌な事あったの?」

「ずーっと、何もかも」

「……そっか。夜中に家出とかパパやママに怒られるんじゃない? っていうか幽霊にパパとママって――――」

「いねぇ」

「だよね……お爺ちゃんとかお婆ちゃんは」

「ボケて交通事故。介護疲れて酒浸り。嫁いる癖に3股して刺された。タバコとヤクで頭ぶっ飛んだ。それぞれ消えた。だろうな?」


 少女はやってしまったと言わんばかりの強張った顔で縮めつつあった距離を開ける。実際その質問はいわゆる地雷であり、家族はとうの昔に自滅に近い形で菊花一人を残してこの世を去っていた。


「……ごめん」

「気にすんな、全員灰とカネに変わって親戚のトコに行っただけだ」

「ほんと、ごめん」

「だから気にしてねぇって……踏ん切りもついてるし」


 菊花がちらりと目を向ければ、少女は分かりやすく消沈していた。

 お気に入りの場所で湿気た表情をされるのが気に食わなくて、今度は菊花が自発的に声を掛ける。


「お前見ない顔だけど。あと日本人じゃねぇだろ」

「あ、うん。ヨーロッパの方……ちょっと事情があってさ」

「引っ越してきたのか? こんな何もねぇようなド辺境のド田舎に」

「……いや、ちょっと、ちがうかなー、って」

「へぇ、他人ヒトの事情詮索しといて自分は知らんふりかよ」

「あっ、いや、そういうことじゃなくて」


 なら言えよ、と視線で訴えかける菊花。明らかにそれは皮肉と拒絶を込めたものであり、答える答えない如何よりもこの場から失せてくれという意思がありありと伝わるもの。

 少女は何故か答えに窮してしまう。異性との会話の経験が少ないということもあったが、それ以上に少女はこうまで他者に拒絶されたことが無かったから。


「話通じてるか?」

「つ、通じてる、通じてる……その、ね、迷子です」

「……は?」


 気まずそうな顔の少女へ、菊花は盛大な呆れ顔を晒した。



 一通り事情を聴いた菊花がカレン――――事情聴取ついでに名前を聞いた――――へ発した第一声は……


「馬鹿じゃねぇの」

「う」


 直球の罵倒だった。何の容赦もない一言が少女の心を抉る。


「一応聞くぞ、確認だ」

「うん」

「まず、お前はヨーロッパ圏のなんか知らんが良いとこのお嬢様で」

「うん」

 

 分かったことの一つ目。

 カレンがヨーロッパに本拠地があるというかなり裕福な家庭の出であるという事。これについては菊花は海外の事情に明るくなく、興味もない事であったため「そういうこともあるか」と理解を投げた。


「初めての日本旅行で舞い上がってて」

「はい」


 二つ、箱入り娘同然に育てられた彼女はそれまで国をまたぐ旅行というものを経験したことが殆ど無く、それ故に見るもの全てが珍しくテンションが振り切れていたらしい。

 菊花はそれについても一つ目同様流した。「窮屈そうだ」という感想こそ抱いたが、どうも家庭環境について文句を言う素振りが無かったため不満もない、円満な家なのだろうと判断した。


「舞い上がりすぎて全く違う方向へ行く電車に飛び乗って、どうにか戻ろうと今度はバスに乗って、そのまま流れに流れて訳の分からない場所まで運ばれてきた、と」

「……うん」


 三つ。箱入り娘で迷子になった時の対応が甘すぎたこと。

 とりあえず適当に乗ってれば元の場所へ着くだろうなどととんでもないことを考え、小遣いの限り何となく見覚えのある文字を辿ってバスを乗り継ぎ、観光場所の首都圏からはるばる地方まで流されてしまったらしい。


「いや馬鹿だわお前」

「そ、そんなにバカバカ言わなくてもいいじゃん!」

「バカ過ぎて何も言えねぇよ、何でその場で連絡するって頭が無かったんだ、楽観的に過ぎんだろ」

「……その、暇つぶししてたら電池切れ、しまして」

「嘘つくなよ、

「――――」


 びくりと体を強張らせるカレン。菊花が自身の姿が見えることに驚かなかった理由がこれだ。彼はカレンが反応した瞬間に自身と同じ存在であることに感づいていた。


「お前は会ったことないかもしれないけどな、もんだ」 

「……だから分かったの?」

「まあそんなとこだな。それはいいとしてだ、俺たちに連絡手段が遮断されるなんて概念はほとんど無ぇ」

「……」

「大方家族に気ぃ使われるのがむしゃくしゃして逃げてきたか嫌気さしたか、あるいは喧嘩でもして衝動的に飛び出したか。その最中にまとめてシャットアウトしたってとこだろ」

「……正解。なんかムカつく」


 不貞腐れるカレン。

 心の底から面倒臭そうな顔をする菊花。

 面倒臭さが限界を上回り始めた菊花の思考回路が下した判断は『さっさと帰ってもらう』。無視して突き放せばいいものを、その選択を菊花自身理由もよく分からないままに拒んでいた。


「とりあえず屋根のある場所は貸してやるから一報入れろ。そんで謝れ、その後に言い訳でもなんでもぶちまけりゃいい」

「……」

「返事」

「ハイ!!!」


 ――――後にカレンは語った。この時の菊花の声は『逆らったら殺す』という言葉を圧縮した低さだったと。

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