ツタの葉を辿りて-1

 とある家族経営の自動車整備工場の地下、そこにある近未来的な作業場。

 ハリウッドかSFの一風景を思わせるそこに、さらなる異常があった。


 こうこうと音を立てる、真っ黒な大穴。

 その向こうに覗き窓のように見えている、晴れ渡る大地。


 異世界への門が、此処に開かれた。


「ぜぇ、ぜぇ……っは、やっべ、きっちぃ………………」

『お疲れ、悪いな』

「いや、軽すぎ……な……」


 息も絶え絶えとなった後にその場に寝転んで気絶する男子生徒――――橘 真琴。などという常軌を逸しているどころではない神業を見せて失神程度で済ませているあたり大概なのだが、それをわざわざ突っ込む人間はここにはいなかった。


 紺色の作業着の少年――――竜胆 柚子が、菊花の足元のカタパルトの準備を進めていく。


『めちゃくちゃ動かしやすいけど……これでジャンク品なのか?』

「中身はエンジンですらない魔力で動くタービンだ。お前の無尽蔵の魔力と幽霊じみた在り方があってようやく乗り物として成立するガラクタだよ」

『ああ、そういう』

 

 菊花が手に掴んでいるのはミサイルじみた2mほどの全長の推進機だった。とにかく真っすぐに、かつ最高速で飛んでいくことしか考えていないともいえるそのシンプルな形は、先端に付いている異世界由来の超硬質金属を利用することで瓦礫などを粉砕する破城槌としても機能するというとんでもない一品だった。

 

 異世界と地球で出入り口を繋げられたとしても、その間には非常に不安定な虚空じみた空間が広がっている。まかり間違ってそこへ転落してしまえば、二度とどちらの世界にも戻れなくなってしまう可能性すらあるのだ。

 その問題は今も解決できておらず、それゆえに異世界との行き来の手段はの無理が効く菊花やクラスメイト達を除いて利用不可能な状態だった。


 推進機のタービンが正常に動くことを確認した菊花は、掴むことができない肉体に代わって推進機をカタパルトに固定される。

 これから向かうのは菊花ただ一人。異世界と地球の行き来自体は確立されても、通信まで届くわけではない。


 2年間とは似ているようで違う、自ら選んだ孤独な旅が始まる。


「君が行った後、この門は針の穴程度の大きさを残して縮小する。ふたたび開くためには君が魔力をこちらに送り込み、その出力で無理やり穴をこじ開けるといった具合になる。行きはカタパルトで吹き飛ばすことでどうにかするが……」

『帰りは推進機これ使って死ぬ気で突っ込んでこいって?』

「そうなるな」


 無茶苦茶な、と菊花は苦笑するが、竜胆はあくまでも真面目くさった顔だった。


「野営道具などを考えなくていいのが一番楽だな。その点だけは褒められたものだ」

『はいはい、……んじゃ、行ってくる』


 60秒のカウントが表示され、一段と大きく門が拡張される。

 こうこうと音を立てて発射準備を整える電磁式リニアカタパルトが、貯めこんだエネルギーを発散する瞬間を今か今かと待ち構える。


「菊花」

『何だよ』


 残り40秒、竜胆が菊花を一度だけ呼び止める。

 何かを逡巡して、口を開いた。


「俺はお前が何をしたいのか、そしてこれまで何をしてきたのかに一切興味がない」

『今言うかそれ……』

「だが、半人前の技術屋としてこれだけは言える。仕事はしっかりこなしてこい」


 竜胆は民間の自動車整備店の出自だ。何百万もする機械を預かり、万全に整備して返す。その一連の作業を卒なくこなす家族の背中へ抱いていた憧れが、多少道を逸れながらも彼を動かす動力源だった。

 竜胆は菊花の境遇に興味がない。彼の2年間は機械技術と科学技術の吸収、そして研鑽に全て向けられていた。


 そして、竜胆は今の菊花が『何らかの仕事を託されていた』と思っている。だから、彼なりのポリシーに従って手を貸した。

 仕事をこなす。そんなある種当たり前の行動への憧れと思い入れ。それが彼の行動理由だった。


『あいよ、行ってくる』


 菊花は笑う。

 2年前であれば想像もできなかった相手からの、不慣れながらのエールを受け取る。



 ――――カウント0。

 一人の少年が、次元の狭間を飛び超えて、異世界へと舞い戻った。




 菊花たちが訪れた異世界は、端的に言えば詰んでいた。

 一欠片の不純物も含まない石英ガラスの砂と、純度100パーセントの水による永遠の嵐の世界。魔力を燃料とし、建材とし、資源とした上で、異世界から時折漂流してくる人々の知恵を借りることでようやく衣食住を成り立たせていたそこは、さらなる不幸として『魔獣』と呼ばれる人知を超えた怪物が跋扈していた。


 それを例えるなら、空母の能力を得たシロナガスクジラ。

 硬質かつ柔軟な白い外皮、単純かつ最大の脅威となる巨体と機動力、そして要塞のように、かつ非生物的に入り組んだ体内で製造される小型種の物量。そして人類への明確な悪意を以て襲い来る性質。

 感覚器の類は頭部に生えた一本角のみ。獰猛にヒトを襲うソレは、時として体内に格納する小型種――――『兵士』の中から変異種を生み出す。

 単一の構造をしている兵士とは全く異なり、変異種は抱える性能も段違いとなる。研究によって、魔獣が自己の研鑽の末に1体だけ産み落とす決戦兵器であり、同時に魔獣のを生むことができる唯一の存在であることが分かっていた。


 そして、構造の洗練の果てに、魔獣は『魔王』を産み落とすに至る。

 魔獣を統べる絶対存在、究極のブレイン。

 それは、広がりつつあった人類の生存圏を一気に削り落とした。


 異世界は、裏切りも謀略も知らない究極の侵略者『魔獣群』と、人類に残された3つの国家のにらみ合いと争乱によって成り立つ暗い世界だった。



 狂信国家として悪名高いレミエラ聖法国が召喚し、隣国であったケセド連邦へと亡命した27人の勇者達。

 彼らによってようやく漕ぎ付けた、ケセド連邦とゲブラ帝国からなる「同盟」。

 それによる大規模な魔獣殲滅戦、通称「魔王決戦」。


 勇者たちの尽力により奇跡的なほどに少ない死傷者となった最終決戦により魔王は討滅され、あとは残された魔獣たちを討てばこの星の厄災はすべて退けられる。誰もがそう信じていた。


 ――――そして、聖法国で死んだことにされてたった一人生き延び続けていた勇者が引き起こした最大最悪の災禍、通称「絶滅の津波」。

 全世界を中毒死クラスの超高密度の魔力で覆い尽くすことですべてを滅ぼそうとした青白い大津波。

 

 発生地点の聖法国の人々は避難どころか察知する暇もなく高濃度魔力によって急性中毒を引き起こし、一人残らず即死した。あまりに高い密度ゆえの高熱で死体も国も諸共に焼き払われたのは、果たして幸か不幸か。


 ケセド連邦とゲブラ帝国は魔力の津波を防ぐ手段を有していた勇者たちの尽力によってどうにか生存。同時、勇者たちの嘆願により行われた「津波抑制」によって最後の勇者をすることで事態は幕を閉じた。

 死に体の星にもはや国も思惑もなく、2国家は統合されティファレト連合国へと名前を変えた。

 魔獣が滅びた後に芽吹くはずだった争乱の種は、その尽くが灼熱の青白い津波に焼き消された。


 そんな終わりを乗り越えた星の端に、今度は漂流者でも召喚者でもないが現れる。

 推進機にしがみ付くようにして亀裂を潜り抜けたソレは、二度三度と放たれた青白い衝撃波によって減速しながら着陸する。


 天気は快晴。足元には芝生や牧草に似た草が生い茂り、その間を白く透き通った砂と水たまりのように一面に張った水が波打っている。


小高い砂丘を目指してもう一度推進機を点火する菊花。見下ろす景色から見える連合国からおおよその座標を割り出し、目的の方角へ向けて最大出力で推進機を再点火。


 目的地は聖法国跡地、その大聖堂があった場所。

 瓦礫と即死級の高濃度魔力が今も漂うそこ。その中央ドームから見て朝日が昇る方角に存在する建造物。天を衝く5本の塔からなる『聖地』、その直下数百mの地下こそが菊花の目標地点だった。


 わざわざ聖法国を経由するのは、それだけ迷いやすいというのもある。

 この異世界には今や砂と水と草程度しかなく、一つの座標へ向かうにも目印となるものを見つけなければ四苦八苦する羽目になるのだ。


 であればティファレト連合国を頼ればいいのではともなるが、菊花の場合はそうもいかない。

 何せ、世界がようやく救われると安堵した矢先に人類どころか全生命死滅レベルの災禍を引き起こした張本人だ。如何なる理由があったとしても、一方的に死んでくれと破滅を投げ付けたその行為を看過できる者など異世界に居るわけもなく、故に菊花は独力での探索を強制されることになった。 


 もちろん、ただ『聖地』地下にたどり着くことだけが目的ではない。本来の目的は、異世界で出会い、そして自身と同じ実体なき魔力の幽霊となったとある男――――聖法国の信仰対象であった「神祖」、その娘を探すためだった。


 己が狂わせてしまっのだたと聖法国を成立責任に苦悩していた、ただの人間。

 お飾りのトップとして自身の実子を使われることを恐れて聖地の地下に封じることで聖法国の干渉を防ぐも、それは当事者からすれば突然自由を奪い監禁されたようなもの。『会わせる顔もない』と外道畜生の育児放棄者として誹りを受ける道を選び、『顔も見たくないだろう』と聖法国の被害者ともいえる菊花の前から姿を消した、どうしようもなく不器用な男。


 ――――もしも、君の気が向いたらでいいのだが。娘を頼む。

 ――――こんな身勝手な父親の顔など見たくもないだろうからな、同族のキミに頼みたい。


 菊花が幽霊となったことで得た知覚が真実であるのなら、「神祖」は「絶滅の津波」に飲まれ、聖法国の人間諸共消え去った。

 だが、もしも。

 もしもまた会えたのなら、謝ろう。そして娘に会ってやってくれと、ほかにもまだまだ沢山ある、あの時言えなかったことを言おう。

 ――――もう会えないなら、お別れを告げよう。そして、望み通り彼の娘を引き取ろう。


 それこそが、菊花の目的であり、残された仕事だった。


 どちらにしても意味はあるはずだ、と菊花は思考を切り替える。

 大聖堂跡には到達した、あとは「聖地」へと飛ぶのみ……と、その瞬間。


『――――』

「……!」


 久しく聞かなかった、脳髄を揺らすようなハウリングめいたノイズ音。

 それは、「神祖」がコンタクトを取ってきた時にいつも感じ取っていた感覚だった。


『……この感覚、まさか菊花か?』

「……ホントにアンタなのか、神祖」

『私自身驚いている最中なんだが……どうにもまだ生きているらしい。』


 もはや聞くことはないと思っていた声が仮想の鼓膜を震わせ、思わず声を返す菊花。

 

『……頼みたいことが出来た。ひとまず聖地地下へ向かってくれ』

「何を、ってオイ!?」


 何が起きたのかと聞こうとした刹那、突然連絡が途切れてノイズも感じなくなってしまう。

 何が起きたのか、あるいは神祖を騙る何者かによる、声色だけを真似た悪辣な罠なのか。


「……行ってみれば分かるか、どのみち行先は同じだ」


 遥か遠方、地平線の彼方に僅かに見える5本の塔。

 本来の目的地へ向け、菊花は推進機に再び火を入れた。

 


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