第一章:出会った日

「それで?結局大学院の方へ進むの?」

 冷房の風が強く聞いていた情報学部の相談室。

 水ヶ谷簾(みながやれん)は自身の研究室の教授から、卒業後の人生についてこれでもかと聞かれた。

 こんな質問は、これで4、5回といったところだろうか。

「いえ、まだ…そこまでは」

 そう小さな声で答えた時、教授の溜息が寂しくゆっくりと聞こえてきた。

「水ヶ谷君ねぇ、他のみんなはもうこれからのことをしっかり考えているんだよ。その中でも一番の優秀な君がそんなんじゃいかんだろう」

 渋い顔をしながらも、半笑いをしてそう言ってきた。その顔を見た瞬間、簾の心にはさらに、憤怒と虚しさが混じった気持ちになってきた。

「まぁ、もうすぐ見つかると思います。準備はすでにしているので何とかなるかと」

「そうだといいんだけど」

 正直、今後の将来のことはあまり考えていない。面談でもぶっきらぼうに話に集中せず、自身のやりたいことを考えている最中だ。

「考えているのは、夏休みにインターンシップを何社かもう一度受けて、進学か就職か決めるつもりです」

 言い訳をもこれで最後だろう。今はこのあまりにも無駄な面談を一秒でも早く終わらせたい。自身の頭の中は自分の作る創作の続きを考えることでいっぱいだ。

 教授は諦めたかのように下を向いてゆっくりと頷きを繰り返す。

 講義中によく見る眉間のしわがさらに増えている気がした。

「わかりました。とりあえず、今年の夏休みまでに完全に決めてください。インターンシップで行くと決めた企業はこちらに教えてください。そこから大学院進学か、決めた企業へ就職かを考えましょう」

 そう言って、何十分かの面談が終了した。



 研究室に戻ってからは、同期の生徒たちが楽しそうに一つのグループになって話していた。就職先が決まったやら、大学院入試のために地方に行くみたいなことやらでわいわい騒いでいた。簾にとっては彼らの会話に興味も無く、持ちたくもなかった。

 そしてその会話は一人の少女を中心に弾んでいった。

「ねぇねぇ、里奈ちゃんはどうするの?やっぱり東京の大学なの?」

 少女はアハハッと笑いながら、隣の長髪の女性に答えた。

「そうだねー。やっぱり東京の方が自分のやりたい研究ができるし、学びやすいと思ったかな」

 その一言で周囲の同期生は賞賛の声を上げ、彼女を褒めたたえた。

簾はその会話を避けるようににゆっくりと自身の席に戻っていった。

「あ!水ヶ谷君!どうだった?」

 --しまった。逃げきったと思っていたのに、また巻き込まれることになりそうだ。

「別に。何もなかったよ」

 簾はそういって、威嚇の言葉を放った。

 その少女、辻見里奈(つじみりな)は簾にとっては厄介であり、救いでもある人間だった。

 童顔の顔で、肩まで伸びたキラキラの長髪。

 簾と里奈は、学部内の生徒ではかなりの頭脳明晰であった。入学当初から常に成績はトップ。毎年1年に行われる学力優秀賞の表彰では、必ずどちらか、または2人で入賞することもあった。

「また賞を取っちゃったね」

 そんなこともあって、教師や同級生からは賞賛の声を上げられた。

 連はつくづく悟っていた。どうやら教授が2人を院に進めたいのは、自身の名前を売り出すのと、この大学に拍を付けたいのだろうと。

 特に里奈の人気は高く、3年連続でミスコン選出され一躍有名に。容姿端麗ということもあり、数多くの男子生徒からに告白され、女子生徒には友達になりたがる者が続出した。

 里奈が少し口にしていたのは、将来は大学院で「人工知能」について更なる研究を行いたいと言う。

 簾はというと、同級生たちとの会話をかつては楽しんでいたが、今後の将来について「自分のつなげたいことやりたいこと」というのが見つからないことに気づき絶望していった。

 3年生になってからは、これといって講義や就活に対するモチベーションが下がり、エントリーシートはほぼ白紙。成績の順位も次第に下がっていった。

 今に至っては、周囲からの尊敬の目はゆっくりと消えていき、気づけば仲もよかった同期生たちとの会話も無くなった。

 話しかけてくるやつは今や里奈だけとなった。

「大丈夫?顔色が悪いよ。先生に何か言われちゃった?」

 ボケーっとした顔でそう聞いてくる。

 簾はこの顔にうんざりしていた。

 --何も知らない顔で空路な心配する。内心は自分のことを馬鹿にしてやがる。こいつは天然というやつだ。

 簾の心の中で、更なる憤怒の感情が沸き上がってきた。

「何でもないよ」

 少し怒りを込めて簾はそう言い放った。

 とりあえず今は少しでも1人の空間を保持したい。

「あぁごめん。何か気に障っちゃったかな」

「いや、そんなことはない」

 気にするように里奈は悲しげな顔を見せたため、簾は一応否定した。

 そして周りを見ると冷ややかな目で同期や後輩たちがこちらを見つめている。

 簾はこんな四面楚歌(しめんそか)の状態ではまずいと思い、里奈の顔を見ずに謝罪の言葉を残して、研究室を後にした。


午後6時。卒業研究での活動が終わり、生徒たちが帰路についていく。

 正門の周りには、夕陽が上から照らされ、更なる夏の暑さが襲う。

周囲からは楽し気な生徒たちの会話をかき消すかのように蝉の声がけたたましく鳴り響いている。

簾は重苦しい空気、そして里奈や他の研究生たちの眼から逃げるように大学を後にした。

 最寄りのバスに乗って、駅へ向かう。

 しかし自宅にはまだ帰らない。

 簾が向かったのは、自宅から二つ隣の町の琴宮(ことみや)。大きな建物は少なく、商店街や、団地などがある自然が多い町だった。

 簾は駅から5分ほど歩いてようやく目的地にたどり着いた。

 喫茶・リンドウ。

 店の外見は古いレンガの構造で、周囲はツタが絡みついている。そして2階からは巨大なクヌギの木が屋根の代わりをしているかのように沢山の枝を伸ばす。

 簾は扉を開いて、店に入る。客は2,3人座っており、新聞を読む老人。メモを取るサラリーマンなどがいた。

「いらっしゃい」

 奥のカウンターから、店員がやってくる。長い白髭にニット帽。そして古ぼけたエプロンを着けていた。

「どうも、北さん」

「おぅ、兄ちゃんか。ほれ、今日も人少ねぇから好きな場所座んな」

 この店の店長、北良大(きたりょうだい)は簾が大学1年生からの顔見知りだ。帰り道でふと通った際にこの店のコーヒーの香りと味に簾は惚れた。

 そうして毎日のように通うようになった。

「じゃあいつものやつを」

「はいよー」

 そう言って簾は店の奥のソファの席に座り、常備しているパソコンを取り出した。

 数分かけて夏のレポートを中間まで書き終え、本題に取りかかる。

簾が開いたのは小説投稿サイト。

 そして、掲載中の作品の続きを書き始めた。

 大学生3年生になってから始めた小説の執筆。読書が趣味であった簾。今まで読んだ本の数は計り知れない。小説や漫画など、自分の興味のあるジャンルのものは大体読んだ。ジャンルはミステリーや恋愛など、コメディっぽいものは読まず、本格的な重厚なストーリーを好んだ。

 そうして、自身も何か作品を書こうと思い執筆を始めた。といっても、絵は上手くはなかったため、小説を書くことに決めた。

 今書いているのは、ミステリーの物語。といってもストーリーが思い浮かばず、序盤から書き進められない。

 簾は今までもいろんなジャンルを書いて投稿していたが、これといった評価は少なかった。

 そうして自分の自信作を作るため、大学でやる研究や就活に手を付けなかった。

 大学4年生になって、他の生徒たちが就活に明け暮れていた中で、自分だけが執筆に打ち込んでいる。周囲は"急に暗くなった。""キレやすくなった。"と言い、次第に里奈以外は避けていった。

「はいお待ち」

 続きを悩んでいる時に、北がコーヒーセットを持ってきた。

 簾は「どうも」と軽く会釈をして、そのままコーヒーをすすった。

手に進めようとしても、進めることができず、書こうというやる気があってもいい話が思いつかない。簾は溜息をついて頭を抱えた。

「大丈夫か?顔が重いぞ」

 北が様子を見に来ていた。

「いえ、別に・・・」

 北には今の現状を伝えていない。顔見知りとはいっても、プライベートを口にすることはしていなかった。

「随分と切羽詰まってる顔してるが、少しは心を落ち着かせた方がいいぞ」

 アッハッハと笑いながら北は去っていった。

 結局、その日はあらすじに手をつけることもなく、コーヒーを飲み進めた。


 リンドウを出たのはそれから2時間後だった。時計は既に7時を過ぎている。

 簾はスマホの画面を開いて確認する。メールの履歴には、「晩御飯買っておいたよー」と母親のメッセージが来ていた。簾はそれを既読スルーして、帰りの駅へとゆっくりと歩いていく。

 とぼとぼと歩いている最中、後ろからふと名前を呼ばれたような気がした。

 振り向いた先には、人気がない薄暗く照らされた街灯。その下に小さな人影がゆれた。

 人影はこちらにゆっくり近づいてきてようやくその姿を現した。短い髪で背が小さい、そして顔は微笑を浮かべていた。

「やっと見つけたよ」

 その微笑の口からその言葉が小さく聞こえた。

「あの…僕のことを知っているんですか?」

 無関心ながらも簾はその言葉を出した。やがてその「少女」は微笑からはっきりとした笑顔に変わり、小走りにこちらに向かってきた。

 えっ、と言っているところで目の前で少女は立ち止まった。

「な、何ですか?」

 簾は思わず後ずさる。見知らぬ少女が声をかけ、こちらに向かって急に走ってきた。流石に急にきたことには抵抗の表情を見せた。

「やっぱり、あの時の顔だ」

 夜空の星に照らされた青い短髪の少女は簾の顔を見つめつぶやいた。

 簾が「どちらさまですか」と言おうとした途端に、

「会いたかった!」

 唐突に彼女は簾に抱き着いてきた。突然の出来事に簾の頭は混乱している。顔も知らない少女が自分の胸に顔を埋めている。





 

 

 

 

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未来のない僕たちの旅行記 Pepper @jholic0304

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